ナハトムジークツアー、雑感。






とにかく無事完走できて良かった。今はその一言に尽きている。どこかで言ったかもしれないけど、何十本、何百本のツアーではない、たった3公演のツアーなのになんだかとても長いツアーに感じた。




特別な「夜」にしたい。
初めの初めからそれだけを思っていた。バンドが過去にも未来にも縛られずに、その「夜」だけのものになるにはいったいどうしたらよいのだろうか。カラヤンの力強いアイネクライネナハトムジークで幕を開けるのも、星の明かりも、選曲も、全てそう、僕らが無意識に描いてきた「夜」に対する答えになるようにするにはどうしたらよいのか、そこだけがツアーの焦点だった。


早々に僕はその焦点を見失った。今回のツアーは時間こそなかったものの、過去になくしっかりした計画で準備を進めた。大まかな曲順はある程度最初から決まっていたので、音作りやライヴアレンジなどをメンバーだけでなくスタッフともしっかり組んでまとめ上げようとした。今までお互い言いたくても言えなかったことをきちんと言い合って、グレーな部分をひとつひとつ明らかにする作業、それを繰り返し行った。その中で僕は徐々に現実感を感じられなくなっていた。いったい何が良くなっているのか、これが果たして人に伝わるものなのか、何も見えなかった。声が出なくなった。苛立った。「絶対にうまくいく」誰かがそう言うたび、僕は「絶対にうまくいかない」そう思っていた。


そんな状態は絶対に良くない。幸い、そんな危機感が徐々に沸いてきてくれた。こんな時は誰かのライヴ盤に刺激をもらおう、そう思って僕はポールマッカートニーの「BACK IN THE U.S」を一通り聴いた。過去にも似たような感覚に陥ったときにこのライヴ盤はとても心を真っ直ぐにしてくれた記憶があった。
ヒットパレードである。ビートルズ時代の黄金の名曲からウィングス時代のヒット曲まで、これでもかと言うほどのヒットパレード。奇なんか一切衒わないのである。ポールだって飽きるほど歌ってきたであろう曲たち、どんなところに呼ばれてもリクエストされるのは大抵○○…って曲たち、それをこんなにも愛情たっぷりに聴かせる姿勢に、僕は観客同様に熱くなり、ステージの上に立つ同じミュージシャンとしてあるべき姿を見た。案の定ポールは救ってくれた。それが4月3日深夜、ツアー初日前々日である。


そしてようやく気分が落ち着いてきた僕は、やっとライヴに向かい合うことができた。声はまだいまいちでなかったが、心も身体も軽かった。髪も5ヶ月ぶりに切った。
初日のステージに立った。梅田シャングリラ。良い思い出ばかりのライヴハウス。きっと大丈夫、そう思って完全に身を預けた。あんなに現実味のなかった曲たちに色が付いていく。僕はそれをただ観ていた。なんだこれは、と思いながら。大阪で僕はただの観客だった。良いバンドだなと思った。終わってみて、やっと欲が出てきた。もっとやってやりたい。
名古屋ELL FITSALL。この日は完全に僕らが握っていた。全てをぶつけるってこういう事かと思った。名古屋では初めてのワンマンだということ、口では言っても頭はまったくそんなこと考えちゃいなかった。


そして一週間たち東京、リキッドルームエビス。なんとか声も復調し、バンドのグルーブも絡み合ってきた。あとは全力でやりきるだけ。後悔なんか残したらもったいない。特別な「夜」になっていますように。そう祈り続けたステージだった。


あとは、ライヴ中に話したとおりです。一生忘れられないものになった。



我らがライヴスタッフチームに感謝します。あなた方なしには今回のツアーは本当に成立しなかった。たくさんの思いをぶつけてくれてありがとう。素晴らしいアクトでした。メンバー、マネージャー、たくさん迷惑をかけました。悪態ばっかりついてごめんなさい。この先どんなことがあってもみんなを信じます。



長くなってしまいましたが最後に、限られた人生の大事な一夜を僕らに預けてくれた全ての方々に心から感謝します。
今度はもっともっと長い旅に出よう。たとえその分悩むとしても。よかったらその時はまたぜひご一緒して欲しいな。そう切実に思っています。