今日は僕の偏屈な考え方をひとつだけ書いてもいいですか?







NICOのメンバーには一度話したことがあったんですが、





「唄うたい」だとか「ギター弾き」だとか「太鼓叩き」、
珍しい例だと「発声器」とか「六弦」「四弦」、某有名アーティストなんかは「電気式」とかが付加する場合もございますね。




僕は、
自分のことをそういう風に呼称することをあまり快く思いません。

特にロックバンドやってるやつが自分のことをそう言う風に言うときが一番快くない。胸くそ悪い。




ヴォーカルなら「ヴォーカル」または「ヴォーカリスト」
ギターなら「ギター」または「ギタリスト」




じゃないんですか?






なぜ僕が「唄歌い」やらそういう呼び方を嫌がるかというと、
なにかこう「唄歌い」とか「ギター弾き」という響きに、漠然とした言葉ではありますが「自信」を感じないんですね。

己をそういった呼び方で呼ぶことで、己が「ヴォーカリスト」や「ギタリスト」であるという事実を全て覆い隠してしまっている気がしてならんのです。
己のことを「ヴォーカリストだ!」と言うことがそんなに恥ずかしいのですかね。
僕なんかは逆に、己を「ヴォーカリストだ」と言えないことの方が恥ずかしくて仕方ないのですが。

某有名アーティストなんかの場合はそれが逆に己の雰囲気作りであったり、詰まるところアイデンティティなのかもしれませんが。
「六弦」とかおっしゃっている方は、逆にそれをパクっとるだけかもしれないですが、


ミュージシャンとしての自信を感じないですよ。まったくもって。






自信といいましたが、実際自分に自信をもつことはすごく難しいことだと思いますよ。

ただですね、いくらアマチュアミュージシャンだからといっても、
金出してチケット買ってもらってライブを見てもらうわけですよね?
デモを作って買ってもらったりするわけですよね?

その時くらい、ミュージシャンは胸張って堂々としているべきだと思いませんか。
じゃなきゃお客さんにも失礼ではないですか?
お客さんは我々ミュージシャンが胸張って堂々としてる姿をわざわざ金出して見に来たり、聴いたりするわけですよ。

それをですね、

「唄歌い」やら「ギター弾き」やらの呼称でカワイく覆い隠してはですね、
はっきり言いますよ、






カッコ悪い。


いくらステージはカッコ良くても、全て偽りと化してしまいます。





でも実際、己を四六時中、真の「ヴォーカリストだ!」と堂々と名のる自信のある方なんてそうはいないことでしょう。
いたら8割方はナルシストだと思った方がいい。
ただ「ヴォーカリスト」とはっきり名のれるよう、その呼称に恥じぬよう精一杯努力することは可能だと思います。
ですから僕は、そうやって努力している姿も「ヴォーカリスト」というアイデンティティであり、呼称であると考えます。








ワタクシ、

NICO Touches the Wallsのヴォーカリスト、そしてリズムギタリストであります、

光村龍哉と申します。