認知症の母親を殺害した事件に涙が止まらない




2006年2月1日


京都市 伏見区 桂川河川敷で
無職の片桐康晴被告が認知症の母親を殺害した。




片桐被告は両親と三人暮らしだった。




1995年父親が病死後、母親が認知症を発症。


症状は徐々に進み
十年後には週の三日から四日は夜間に寝つけなくなり



徘徊して警察に保護されるようにもなった。




被告はどうにか続けていた仕事も休職して介護にあたり


収入がなくなったことから生活保護を申請したが休職を理由に認められなかった。




母親の症状がさらに進みやむなく退職。




再度の生活保護の相談も
失業保険を理由に受け入れられなかった。




母親の介護サービスの利用料や生活費も切り詰めたが



カードローンを利用しても
アパートの家賃などが支払えなくなった。





被告は母親との心中を考えるようになる。






そして2006年真冬のその日。



手元の僅かな小銭を使って
コンビニでいつものパンとジュースを購入。




母親との最後の食事を済ませ
思い出のある場所を見せておこうと
母親の車椅子を押しながら湯河原界隈を歩く。





やがて死に場所を探して河川敷へと向かった。







もう生きられへんのやで。






ここで終わりや。





そういう息子の力ない声に
母親は「そうか、あかんのか」と呟く。






そして、




一緒やで。






お前と一緒や。






そう言うと







傍らですすりなく息子にさらに続けて語った





こっちに来い。






お前はわしの子や。






わしがやったる。






その言葉で心を決めた息子は




母親の首を絞めるなどで殺害。







自分も包丁で自らを切りつけて



さらに近くの木で首を吊ろと
巻つけたロープが解けてしまったところで意識を失う。





裁判では検察官が献身的な介護を続けながら
金銭的に追い詰められていった過程を述べた。




殺害時の二人のやりとりや



「私は母の命を奪ったがもう一度母の子に生まれたい。」




そう供述すると
目を赤くした裁判官が言葉を詰まらせ




刑務官も涙をこらえるように瞬きするなど
法廷は静まり返った。





京都地裁は2006年4月。



被告に懲役二年六ヶ月、執行猶予三年を言い渡した。




殺人で執行猶予がつくことは極めて異例だった。





判決を言い渡した裁判官は



裁かれているのは被告だけではない。





介護制度や生活保護のあり方も問われている。





そして、お母さんのためにも幸せに生きていくように努力してください。




この言葉にありがとうございますと答え涙を拭った。







それから約10年後の2015年。





彼はすでに亡き人になっていた。






やがて判明した死因はやはり自殺だった。






琵琶湖大橋から身を投げたという。






所持金は数百円。






あまりに悲しすぎる結末だった。








要介護者を抱える家族が増える一方





後を絶たない介護苦による悲しい殺人事件。





なぜ悲劇は繰り返されるのか





どうすれば食い止めることができるのか





行政のあり方を真剣に考えなければならない。








高齢化国家、少子化対策、問題が山積みの中。




国会議員の脱税など危機感のなさ




真面目に生きていく難しさ







生活保護の制度、あり方を見直すべき




国はどこを見ている。
世の中の本当に必要としてる人にお金を出してくれ。




目の前の人達を助けてください。





こんなことがこれから増えていくかもしれない現実








こんなにも悲しい事件が





どうかなくなりますように…