名鉄三河線 廃線区間の旅 西一色駅跡 三河一色駅跡 | nico nicoのブログ

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昭和の時代に製造されたカメラの中で特に一眼レフを中心に取上げます。

名鉄三河線 廃線区間の旅..... 今回は 西一色駅跡 三河一色駅跡 を巡ります。


名古屋鉄道(通称 名鉄)の三河線...海線側の末端駅は2012年現在、碧南駅となっていますが、かつては碧南駅から吉良吉田駅まで レールバス と呼ばれるディーゼル式車両が走行していました。


しかし平成16年3月31日をもって廃線となり、まもなく8年が経過しようとしています。

その三河線海線側の廃線区間.....その後の姿を、フィルムカメラを片手に追って見たいと思います。


ルートとして、現在の三河線末端駅である、碧南駅から吉良吉田駅へ順番に向かうルートをとります。


ここまで取り上げた駅です。

・碧南駅

・玉津浦駅跡

・棚尾駅跡

・三河旭駅跡

・中畑駅跡(消滅)

・三河平坂駅跡

・三河楠駅跡

・寺津駅跡


今回取り上げた駅です。

・西一色駅跡

・三河一色駅跡


今後取り上げる駅です。

・松木島駅跡

・吉良吉田駅(存続中)

撮影に使用した機材。

・ミノルタ SR-T SUPER   MDロッコール 28mm f3.5   Kodak Gold 400



・西一色駅

所在地 愛知県西尾市一色町

開業年月日 大正15年9月1日

廃止年月日 平成16年4月1日



・コメント 

この西一色駅は、大正15年の開通当時は 味浜駅 という名称だったのですが、翌年の昭和2年に、駅舎完成と同時に現在の名称と同じ 西一色駅 と改称されました。


こちらも駅舎は無く、侵入者を拒む柵の向こうには、これもまた非常に長いプラットホームが残されています。

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違う角度からの一枚。

この西一色駅跡がどれ位広いか、わかりますか?

これだけの面積が空き地になっています。


付近には、一色高校があり、こちらの沢山の生徒さんが利用されていたそうです。

通りの1つ入った場所にあるこの駅跡には、誰一人近寄る人も無く、ひっそりと静まり返っていました。

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・三河一色駅

所在地 愛知県西尾市一色町

開業年月日 大正15年9月1日

廃止年月日 平成16年4月1日


・コメント

三河一色駅 については沢山の写真を載せようと思います。


この 三河一色駅 ですが、駅を中心に街が出来ていました。

つまり 駅前商店街 が形成されており、昭和の風情が現在も色濃く残っています。


写真奥に名鉄東部交通のバスが停車していますが、かつてこの場所に駅舎が建っていました。

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駅前の通りのあちこちには、昭和後期によくみられたタイプの街灯があり、かすれた文字で 駅前中央通 と書いてありました。

これが何とも悲しさを誘う......。

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この先に、かつての駅があります。

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現在の三河一色駅跡です。

左に見える木は、駅が使われていた当時から、ここに生えていました。


中央付近に見えるのが、駅の上屋根です。一部がなくなっていましたが、ほぼ当時の状態を保っています。

こちらも、非常に長いプラットホームです。かなり離れた位置から、28mmの広角レンズで撮影しましたが、全体が収まりません。


手前のアスファルトの先に駅舎が、かつては存在しました。

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この写真は、三河一色駅の現役時代の写真です。(著作権放棄されたもの)

昭和33年に立てられた駅舎....


廃駅後まで残っていましたが、この数年の間に取り壊されたようです。


まだ、自動車社会でなかった昭和の30年代は、諏訪神社の大提灯 や 佐久島渡船乗り場 へ向かう人々が沢山、利用されていたとの事ですが、当時は賑わった駅も、時の流れで利用者もいなくなった結果......
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現役当時のプラットホームです。

同じ駅とは思えません.....。

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かつての踏み切り跡から、今の三河一色駅を眺めます。

この茶色い石ころだらけの場所に、二本のレールが駅に向かって伸びていたのは、ちょっぴり遠い過去の事.....。


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つづく。