あれから1年…変わったこと、変わらないもの
3月11日、日本全土が悲しみ包まれた、東日本大震災からちょうど1年。ブログ上でも、この短いようで長か..........≪続きを読む≫
秋に断捨離という名の寄付をした後、
私の母が自分の友人に声をかけて 食器やら洋服が再び箱に一杯になっていた我が家に
元同僚から『雪深くなる前に』と…12月初旬、今シーズン最後の宮城入りをするとの連絡がきた。
何故 彼女が所属するボランティア団体が他の県ではなく宮城へお手伝いに行くのか?
その“縁”は聞いていないけれど 私が参加出来る『東北へのお手伝い』は当面ココしかない。
冬を迎えるにあたってそのボランティア団体が集めていたのは湯たんぽ。
閉店しようとしていた小売店が大量に湯たんぽを在庫を抱えていた為、
小売店と協力して湯たんぽを1コイン…500円で買ってもらう形にして、
その湯たんぽを被災地の皆さんに配ると言う事だった。
我が家も3コ購入した。湯たんぽにはメッセージを書いて。
ちょうど2年前、ジレの為に新しく購入した石油ファンヒーター。
結局ジレはファンヒーターを1週間しか使わずこの世を去ってしまい、
私はこのファンヒーターを使うことなく過ごしていた。
私の家に置いといたら“いつか使う”のだろうけど、
被災地の皆さんはきっと“今使いたい”と思ったので このファンヒーターも寄付させて頂いた。
『何でも欲しいんだよ、被災地の皆さんは。すべて流されたのだから』と言われ、
こちらも『捨てるにはもったいないけれど使わない』モノを
『こんなの使うのかな』『これ寄付するのは失礼かな』ってモノも寄付させて頂いた。
震災まもなくの頃から比べると必要な物が変わってきたわけで。
アンケートを実施して必要とされた支援物資は
ストーブ(石油ストーブ・石油ファンヒーター)
ホットカーペット(4畳半・6畳)
こたつ
こたつ布団(あまり大きくないもの)※場所が狭いとのこと
空気清浄機
ストッカー
網戸
足踏みミシン
自転車
シルバーカー
布団乾燥機
結露止め
じゅうたん
ごみ箱
毛布・布団
化粧箱
洋服(秋・冬物)※大きめサイズ不足しています
野菜
食器類
・・・・・と本当に生活に密着したものが多かった。
布団乾燥機ってさ、こちらではほとんど使わないし使わなくても済むんだよね。
でもあちら…私の母の実家もさ、冬は日照時間が少なく布団を干せる日もごくわずか。
必要なんだよね、雪国は。
そしてボロッボロの石油ストーブでも欲しいって言うのだから
どれだけモノが不足していたのか、容易に想像できる。
…ファンヒーターを寄付し、年末テレビが我が家に舞い込むとは
何だか…わらしべ長者って感じだけどもw
被災地のどこかで、私達のメッセージ入り湯たんぽが、あのファンヒーターが活躍している事を願う。
3月11日。職場でその時を迎えた事、
職場でお預かりしている子供達を職員全員で守った事、
母とは奇跡的に40分かかったけど電話で無事を確認した事、
あの日 退職者の送別会をする予定だった為、キャンセルしようにも電話がつながらず
出席者それぞれに連絡する為に混乱するなか車で走りまくった事、
虫の知らせか…その日にガソリンを満タンに入れた事。
震災後、なかなか連絡が取れなかった友、
石巻で被災した親戚、福島で家を流された親戚。
それでも連絡ついた時は本当に嬉しかったよね。
計画停電にガソリン不足問題、食料品や日用品の買占め。
皆が殺気立ってたよね。
風評被害で泣き、放射能で翻弄された農業と漁業。
自分の街に帰れなくなった人々、そこに残された動物たち。
夏の土日就業、なかなか進まない被災地の復興。
物資を運ぶトラックの運転手さんが英雄だったし、
アメリカをはじめ世界中の人々が助けてくれて、
自衛隊の皆さんが頼もしかったよね。
何かしたいと思うけれど 何も出来ない歯がゆさに涙した事。
それでも日本のどこかで 自分に出来る事を少しずつしてきた人々、
笑いをくれた芸人さん達、歌で癒してくれた歌手。
頑張り続けた被災地の人々。
それぞれが 必死に過ごしましたよね。
反面、『頑張れ日本』『がんばれ東北』と言いながらも
ガレキ然り 復興の足を引っ張るような…矛盾している世間の声に腹立たしく思う事も。
一年、それぞれが必死でしたね。
2011年を表す漢字は絆ー…。
年末、一年を振り返ってインタビューされた映像が流れていたけれど
若い人達の声がとっても印象的だったな。
震災により家族を大事に思う様になった、とか
家族と過ごすようになった、とか…。
当たり前の事だけれど 出来ていなかった現実かもね。
私達日本人が“豊かすぎて”色々と忘れていた事をこの震災が思い出させてくれたのかな。
ひねれば出るお水、押せば点く電気、温かい食べ物に暖かい部屋は当たり前だった。
家族が大事だったり、モノの大切さ、自然の脅威、命の重さ…
沢山の犠牲者を出して初めて、気づいたのかもしれないね。
私達は麻痺していたのかもしれない。
沢山の尊い命を失って学ぶとは。余りにも大きな代償だなぁ。
…でも。
日本人って凄いんだよ。
戦後約20年でオリンピック開催した国だよ?
出来る。出来る。出来る。
まだまだ不安な事はいっぱいあるけれど発展する。
医学も、エネルギーも、今まで以上のモノが見つかる。
願った者勝ちよね!?
お亡くなりになった方々の事は祈り続けます。
被災された人達の事は、忘れません。
また行くね、被災地に。東北に、茨城に。
暖かくなったらまた、救援物資も用意しておこう。
日本は必ず、再び すんばらしい国になる。
言霊言霊…
3月11日、日本全土が悲しみ包まれた、東日本大震災からちょうど1年。ブログ上でも、この短いようで長か..........≪続きを読む≫
秋に断捨離という名の寄付をした後、
私の母が自分の友人に声をかけて 食器やら洋服が再び箱に一杯になっていた我が家に
元同僚から『雪深くなる前に』と…12月初旬、今シーズン最後の宮城入りをするとの連絡がきた。
何故 彼女が所属するボランティア団体が他の県ではなく宮城へお手伝いに行くのか?
その“縁”は聞いていないけれど 私が参加出来る『東北へのお手伝い』は当面ココしかない。
冬を迎えるにあたってそのボランティア団体が集めていたのは湯たんぽ。
閉店しようとしていた小売店が大量に湯たんぽを在庫を抱えていた為、
小売店と協力して湯たんぽを1コイン…500円で買ってもらう形にして、
その湯たんぽを被災地の皆さんに配ると言う事だった。
我が家も3コ購入した。湯たんぽにはメッセージを書いて。
ちょうど2年前、ジレの為に新しく購入した石油ファンヒーター。
結局ジレはファンヒーターを1週間しか使わずこの世を去ってしまい、
私はこのファンヒーターを使うことなく過ごしていた。
私の家に置いといたら“いつか使う”のだろうけど、
被災地の皆さんはきっと“今使いたい”と思ったので このファンヒーターも寄付させて頂いた。
『何でも欲しいんだよ、被災地の皆さんは。すべて流されたのだから』と言われ、
こちらも『捨てるにはもったいないけれど使わない』モノを
『こんなの使うのかな』『これ寄付するのは失礼かな』ってモノも寄付させて頂いた。
震災まもなくの頃から比べると必要な物が変わってきたわけで。
アンケートを実施して必要とされた支援物資は
ストーブ(石油ストーブ・石油ファンヒーター)
ホットカーペット(4畳半・6畳)
こたつ
こたつ布団(あまり大きくないもの)※場所が狭いとのこと
空気清浄機
ストッカー
網戸
足踏みミシン
自転車
シルバーカー
布団乾燥機
結露止め
じゅうたん
ごみ箱
毛布・布団
化粧箱
洋服(秋・冬物)※大きめサイズ不足しています
野菜
食器類
・・・・・と本当に生活に密着したものが多かった。
布団乾燥機ってさ、こちらではほとんど使わないし使わなくても済むんだよね。
でもあちら…私の母の実家もさ、冬は日照時間が少なく布団を干せる日もごくわずか。
必要なんだよね、雪国は。
そしてボロッボロの石油ストーブでも欲しいって言うのだから
どれだけモノが不足していたのか、容易に想像できる。
…ファンヒーターを寄付し、年末テレビが我が家に舞い込むとは
何だか…わらしべ長者って感じだけどもw
被災地のどこかで、私達のメッセージ入り湯たんぽが、あのファンヒーターが活躍している事を願う。
3月11日。職場でその時を迎えた事、
職場でお預かりしている子供達を職員全員で守った事、
母とは奇跡的に40分かかったけど電話で無事を確認した事、
あの日 退職者の送別会をする予定だった為、キャンセルしようにも電話がつながらず
出席者それぞれに連絡する為に混乱するなか車で走りまくった事、
虫の知らせか…その日にガソリンを満タンに入れた事。
震災後、なかなか連絡が取れなかった友、
石巻で被災した親戚、福島で家を流された親戚。
それでも連絡ついた時は本当に嬉しかったよね。
計画停電にガソリン不足問題、食料品や日用品の買占め。
皆が殺気立ってたよね。
風評被害で泣き、放射能で翻弄された農業と漁業。
自分の街に帰れなくなった人々、そこに残された動物たち。
夏の土日就業、なかなか進まない被災地の復興。
物資を運ぶトラックの運転手さんが英雄だったし、
アメリカをはじめ世界中の人々が助けてくれて、
自衛隊の皆さんが頼もしかったよね。
何かしたいと思うけれど 何も出来ない歯がゆさに涙した事。
それでも日本のどこかで 自分に出来る事を少しずつしてきた人々、
笑いをくれた芸人さん達、歌で癒してくれた歌手。
頑張り続けた被災地の人々。
それぞれが 必死に過ごしましたよね。
反面、『頑張れ日本』『がんばれ東北』と言いながらも
ガレキ然り 復興の足を引っ張るような…矛盾している世間の声に腹立たしく思う事も。
一年、それぞれが必死でしたね。
2011年を表す漢字は絆ー…。
年末、一年を振り返ってインタビューされた映像が流れていたけれど
若い人達の声がとっても印象的だったな。
震災により家族を大事に思う様になった、とか
家族と過ごすようになった、とか…。
当たり前の事だけれど 出来ていなかった現実かもね。
私達日本人が“豊かすぎて”色々と忘れていた事をこの震災が思い出させてくれたのかな。
ひねれば出るお水、押せば点く電気、温かい食べ物に暖かい部屋は当たり前だった。
家族が大事だったり、モノの大切さ、自然の脅威、命の重さ…
沢山の犠牲者を出して初めて、気づいたのかもしれないね。
私達は麻痺していたのかもしれない。
沢山の尊い命を失って学ぶとは。余りにも大きな代償だなぁ。
…でも。
日本人って凄いんだよ。
戦後約20年でオリンピック開催した国だよ?
出来る。出来る。出来る。
まだまだ不安な事はいっぱいあるけれど発展する。
医学も、エネルギーも、今まで以上のモノが見つかる。
願った者勝ちよね!?
お亡くなりになった方々の事は祈り続けます。
被災された人達の事は、忘れません。
また行くね、被災地に。東北に、茨城に。
暖かくなったらまた、救援物資も用意しておこう。
日本は必ず、再び すんばらしい国になる。
言霊言霊…
