先日『加藤虎ノ介氏の旅番組を我慢してまで見た』


エリザベスサンダースホームの特番。→トンネルの向こうは僕らの楽園だった



かたさんから「エリザベスサンダースホームて何ーー?」と質問されたので…UPアップ今さら



私はこの先、自分から発生した家族を持たなかった場合笑う(要するに結婚です笑)


『こう生き、人生を終えよう』という夢がありー…


その夢に向かって少しずつ少しずつ、進めているのだが…


そう思ったきっかけというか、人生の中で強い道しるべとなった、ドキュメンタリー番組があります…


1994年 テレビ長崎

~母の肖像 アメリカ人ツヨシの戦後~







にゃーすの毎日





この番組は、戦後の長崎市で米軍兵士と日本人女性の子として生まれ、

十二歳で国際養子縁組によって渡米した松本強さんの半生記です。

渡米後、松本さんは 反日感情の強い米国で日本語を使うことも禁じられ、ずいぶん苦労されたようです。

このドキュメンタリー番組が制作された際に妻のナイナさんと共に三十三年ぶりに長崎を訪問し、母との[対面]を果たすのですが…。

…お母様はすでに13年前にガンで亡くなり、遺体は長崎大学医学部に献体され白骨標本として安置されていました。

松本さんは、母の記憶もないまま渡米するまで養護施設で育ったそうですが…

“古いアルバムで初めて見る母の姿”

そして

“母は自分を捨てたのではなかったという証言”


など、松本さんの数奇な運命をたどりながら戦争が人々に担わせた重荷を浮き彫りにし、

満場一致でその年のドキュメンタリー大賞に選ばれた番組です。(朝日新聞より抜粋)




日本では敵国の子としていじめられ…国際養子縁組で海を渡ったとしても、幸せになった混血児達は何人いたでしょうか?

ツヨシさんは養子縁組とは名ばかりで、奴隷同然の仕打ちを養父母から受けたそうです。

歯を食いしばってアメリカでの生活を耐え、自分の愛する家族が出来たツヨシさん。

母のぬくもりを辿り、昔住んでいた住居へ行き、『I’m Home!!』と笑顔で言ったツヨシさんの顔は、今でも忘れられません。


私は当時付き合ってた彼もいましたが、とても感動しまして『私も現代のそんな子供達の為に働けたらなー』と思っていました。

そしてこの番組をきっかけに色々調べていたらエリザベスサンダースホームにたどり着きました。


~エリザベスサンダースホームとは~

第二次世界大戦後の1948年。

沢田美喜さんが連合軍に取り上げられていた岩崎家の旧宅を募金を集めて400万円で買い戻し、

そこを利用し孤児の為の孤児院として設立。

ホームは戦後、日本占領の為にやってきたアメリカ軍兵士を中心とした連合軍兵士と日本人女性の間に強姦や売春、あるいは自由恋愛の結果生まれたものの

両親はおろか周囲からも見捨てられた混血孤児達の為の施設であった。

施設の名前は旧宅を買い戻すにあたり多額の寄付をしてくれた聖公会のある信者の名前から取られたものである。

※wikipediaより抜粋





沢田美喜

沢田さんのご子息と安田祥子さんはご夫婦なんですね…びっくりーー目




これは、私の夢の一つです…ラブラブ

カタチは違っても子供達の為に出来る仕事

そして血のつながりはなくても私の子供達

と言える環境で私の人生は終わりを迎えたいのだよ音譜








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