噂話が人を殺す。これは会議で何度も言ってきた。辞めていった職員にも言ってきた。
それでもなお、影で人のことを話題にしている人たちがいる。

と、こう書くことで、私たちが噂話をしている主体になる。こんな矛盾はどこにでもある。

戦争反対という人がいる。でも、戦争万歳という人もいる。
争わないで和気あいあいにという意見は、結局は争いたい人にとったら受け入れられず、そこで争いが起こる。

では、どうするのか??

過去に書いた愛の4定義。理解するという事(赦す)ということ。

人間に与えられた愛の課題の1つ。自分が殺されたことは赦すことが出来た。

しかし、愛する者が殺されたことを赦すことはさらに難しい。その課題に直面して、乗り越えるのが戦争か。

となると、戦争賛成の人たちが因果応報で殺されるのは仕方がないことなのか?

赦すけれども、許さない。その絶妙な中庸バランスこそが真実の答えなのか。難しい答え。

人生の諸先輩方なら、もう、分かっているのかな? 今日はちょっと哲学的になりました。 おやすみなさい。