昨夜は長い夜でした。新月の時は時間の感覚が長くなる。時間も人により一定ではない。
時間が無いと感じると時間は無くなる。時間を作ろうと思えば時間は生まれる。

昨晩はかなりの強さであることを願っていた。

願いという想い。思考は現実化するというカーネギーさんの理論。
そこに矛盾が生じる。Aさんが全幸福の世界を願い。Bさんが自分だけがいいという世界を願えば。

その世界はどうなるのか?

願いはその人の本質的な願いの想いから私欲を引いた分の力。世界はそれに相手側の願う力が加わる。

全世界の幸福を願う。一切の私利私欲なくそれを願うと力は強くなる。多くの人がそれを願うようになっても

それ以上の自分だけでいいじゃん。今だけでいいじゃん。子どもが死ぬって関係ないじゃん。
支配されてていい。自分の意志で行動するのしんどい。それなりの幸せでいい。
って願いが世界に強ければ、世界は変わっていかない。

特定の人に対する願いも同じ。こうなって欲しいという純粋な想い(利己的でない。)がこちらにあっても
相手がそうなりたいと思っていなければ、見える世界は違ってくる。
自分のことで手一杯な人たちは、まずは自分が本当はどうなりたいのか?を見つけることです。

追伸:徐々に遅れている時間をどのように今後に使うのか?私が見たポーネグリフにびっくりの使い方がありました笑