子供の頃によく見ていたTV番組は『8時だよ、全員集合!』。

そう、オイラはドリフ世代。親としてはあまり見せたくなかったらしいが、それでも見ていた。

同じく好きだったのが『みごろ ! たべごろ ! 笑いごろ !!』。

最近は第二次お笑いブームとして、たくさんの芸人が出てきているが、

ベンジャミン伊東&小松の親分さんのコンビに勝る芸人は一度も見たことがない。



ところで、日本武道館で最初にコンサートを行ったグループと言えば、1966年のビートルズという

ことはあまりにも有名な話だが、本当に最初に演奏したグループは前座のザ・ドリフターズだ。



1957年にサンズ・オブ・ドリフターズとして誕生したバンドに1963年、ベーシストの碇矢長一が

参加する。その後、長さんが引き継いだこのバンドは、ザ・ドリフターズとして、コミックの要素を

取り込んで活動することになる。長さんの厳しさやコミックバンドとしての方向性や意見の相違

などが原因で小野やすしが3人のメンバーを引き連れて脱退。そしてドンキーカルテットを組む。

ドラマーの加藤英文(茶)も一緒に辞める積りだったらしいが、長さんから

『加藤、お前もか?』と聞かれた時に、恐くて辞めますとは言えなかったらしい。

次の営業までたった2週間ほどしか日がなかった為、急遽集めたバンドメンバーがオイラたちの

知っているドリフのメンバーだ。(高木ブー、荒井注、仲本工事)

ちなみに荒井注はキーボードが殆ど弾けないのにキ-ボード担当だった。

タイガースに後で加入した岸辺シローが、全く弾けないギターを持ってステージに

上がっていたこととよく似ている。ビートルズのスチュワート・サトクリフもそうだ。



さて、ビートルズの前座の話だが、正確なデータではなく、オイラの記憶によると

次のような前座公演だったと思う。(ちなみにオイラはまだ生まれてません)

最初は20分程の演奏を依頼されていたが、本番直前に10分にして欲しいと言われた。

さらに、一曲分の時間しかないと言われて結局は一曲のみの演奏となった。

この時の映像を2回だけ見たことがある。

楽曲は『Long tall Sally』。 ボーカルはギター担当の仲本工事。

最初は普通に演奏していたが、後半に入ると茶のドラムが4拍目に合わせてやたらと大きな

ビートを刻むようになる。メンバー全員が、その4拍目に飛び上がり、最後にはジャンプした直後に

倒れこむ。そして、茶がマイクで『逃げろーっ!』と叫んで、全員がステージから走り去る。

巷のウワサでは『逃げろーっ!』 だが、オイラの記憶では 『馬鹿みたい。』 と言ってた気がする。

恐らくビートルズの前座でこんなことをやったのは、世界でも彼らだけだろう。

ちなみに、その前座公演を、当時高校生だった志村けんが客席で見ていたらしい。




この演奏を見ていたポールが長さんのウッドベースプレイを絶賛したと言うウワサもある。

確かに、長さんのベースの弾き方は当時としては珍しいスラップベースっぽいもの。

日本で最初にスラップやチョッパーっぽい弾き方をしたのは長さんだと言う説もある。

後に長さん本人は、ギターを独学ではじめたときからの癖で親指を使ってピッキング

したり、弦を叩くように弾くことが多かったと語っている。その上、手のひらでカッティング

も入れていたのがそれっぽく見えたらしい。

今ではその親指での奏法は「いかりや弾き」とか「長介弾き」と呼ばれている。

オイラも、少しだけエレキベースを弾くことがあるが、どうしても人差し指と中指を上手に使えない。

そこで、親指多用のサムピッキングと人差し指で弾くのだが、実は手が小さすぎてロクに弾けてない。

先日、バンドの練習をした時にあまりにも下手だということがよく分かった。

その日はギターだけを持って練習に参加したが、メンバー所有のフェンダー・ジャズベース

を少しだけ弾かせて貰った。その日の練習メニューにはなかったが、ビートルズの

『I saw her standing there』を演った時に、酷い演奏になってしまった。

普段はミディアムスケールの自分のベースを弾いているのでまだ良いが、ジャズベだと

左手を思い切り広げても指が届かない。今後は、『バンドでベースやってます』とは

言わない方がいいかも…と思ってしまった。



というワケで、オイラのド下手なベースプレイに対して長さんから一言…


『ダメだ、こりゃ、次行ってみようっ!』

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