舞HiMEで梶浦由記を知ってから、ゆるくファンを続け、YKライブに何度か行ってからFJCに入会して、ふぃなのライブにも行ってどっちも平等に好きだった。
ファンクラブが2つに分裂し、その後考えて考えて、楽しいライブはふぃなの方だったので(シンプルにwakanaの声が多く聴ける方を選んだのと、チケット取りにくいのはふぃなだと思った)がちのカジウラーでもない(という前提がある)
ふぃなのラジオを毎週聴いたりしていた程度で、まぁ好きに重いも軽いもなく、私は勝手気ままに好きになっていたわけです。
私は曲が好きなので、アーティストやPの人間性に惹かれるとか、曲が好き=人間として素晴らしいと思う人でもありません。
むしろそれは別物だと考えています。
anyway.
それでもって、9+oneとかいうなぞのライブのタイトルのころから、「どういうことなのでせう?」という想いはあって、でもガンガンに全国ツアーをやるし
9年目でこれだけ凄いライブツアーをやるって、10周年は世界でも回るんか?くらい、わりとそういう気持ちもありつつ、何をしようとしているのだろうか?
というソワソワした思いもありました。結果的に、クリスマスコンサートが私にとって最後のライブでした。
10周年記念ライブは東京の武道館。たしか平日。9+oneは全国巡ったのだから、まさか、10周年は平日武道館だけなんてそんなわけないだろうと思い、地方民の私は
当時勤めていた会社で海外出張のタイミングが未定ということもあって(たしか、そうだったはず)考えたうえでライブ参戦は見送りました。
あれが本当に最後だと事前案内があれば、たぶんマジで無理にチケットを取ったと思う(そういう意味ではスぺクラは嫌い)
ファンクラブの更新のちょっと前に梶浦由記が事務所を去るということがありました。それでも、情報は更新もなく、あの時はもちろんKEIKO脱退という情報もなく、
とにかくあらゆる情報がなかったのですよ。
Kalafinaは継続っていうことをニュースで見たような記憶もあって、どうしていくのか、誰かほかにPを迎えて今までの曲を歌いながら
未来への策を講じていくのか。と、で、先の通り私は10周年なのだから1年はそれを理由にライブをするかもしれないと思い、活動休止が決まっていたことの案内もなかったので、ファンクラブの更新をしました。
その直後、KEIKO脱退、Hikaru脱退。
ファンクラブ更新をしてから、届いた会報は2人の写真になり、そのあと届いた会報は「wakanaファンクラブ発足」みたいな案内だったと記憶しています。(そのあたりから、病気で休職→退職になりました。好きだったふぃながなくなったのも結構精神にきましたね。もちろんそれは退職理由じゃなくて)真面目に、スぺクラに対しては前から決まっていた癖に黙ってファンクラブの更新費用せしめたことに対しては、一生根に持つでしょう。クソが。
私はガチでもないので、誰の味方でもないですし、誰かの味方であるとすれば私自身だけの味方なので、梶浦由記が事務所を辞めた経緯に、さほど興味もありません。
客観的な事実は誰にもわからないのです。それは私が前職を辞めたことがある経験から得たものですが、梶浦由記が事務所を辞めた理由は梶浦由記にしかわからないし、それを例えば本人がファンクラブ向けに説明をしたとしても、それは「梶浦由記」だけの説明です。なので、私がわかるのは「事務所を辞めた」という事実だけです。ともに仕事をしていたM氏だかが事務所からハラスメントを受けたとか、社長がM氏ともめたとか、それがどこから漏れた情報かはわかりませんが、客観的な事実である証拠はファンの誰もが持ち得ていないと思います。なぜなら人は自分の好きな人のことだけを信じるものです。一番信用できないのは自称梶浦由記ファンの言葉です。彼らは梶浦由記の言葉だけを信じているし、スぺクラまじムカつくという想いがあるし、そもそもスぺクラは梶浦由記が事務所を辞めた経緯を詳しく誰かに言う立場でもないでしょう。クソのような会社だと思っているけれど、契約関係を綺麗に整理して(いるはず)梶浦由記は退社して、ふぃなはPを失い、メンバーも2人去り、活動が空中分解したわけです。
事務所が勝手に解散宣言をしてむりやり解散させてしまったとなっていますが、どのみち、残る道は「解散」しかなかったのかな、とファンクラブに入っていた私は思います。
梶浦由記がふぃなのPをして、天才的な素晴らしい曲を世に生み出したことは、まぎれもない事実で、私は凄く大好きですが、Pだけがふぃなを成功させたわけじゃないのです。
クソのスぺクラがあらゆる場でプロモーション、PV撮影、テレビ出演、ライブ、スタッフの手配、その他もろもろ、彼女たちの歌を全国、全世界に広げる仕事の一端を担いふぃなは大きくなりました。なので、確かに梶浦由記は素晴らしいけれど、ふぃなは4人でこそ!みたいな意見を言う人が騒ぐたびに、「いやいや、私たちの嫌いなスぺクラも一応は大きな役割を果たしていたし、そもそもあの時は梶浦由記もスぺクラに所属していたのだから、商材の版権はクソのスぺクラが持っていたのでは?」と感じていました。
どのような事情においても、梶浦由記はスぺクラを退職した人間であり、今回のふぃな再結成やライブをやるという報告を受けていないのは、受けることができないのは
「あたりまえだろう」と私は感じました。円満退職であっても、あるいはそうじゃなくても、スぺクラの部外者になってしまった(自らその道を選んだ)以上、前の職場の人たちが、自分たちの手元にある版権を使用してお金を稼ぐことに関係を持つことができなくても、それは不義理ではないと感じます。これはどこの会社でもあたりまえのことです。アーティスト側から梶浦由記に連絡を取らなかったことを断罪する人がやたらと多くて、どちゃくそに呆れましたよ。彼女たちは歌を歌う側であり、事務所の代表者でも代弁者でもありません。
例えば、昔同じ職場にいた人間に、自社開発中の億単位の利益が出るプロジェクトのことをペラペラしゃべるんですか?人として信用なりませんねとリプを送ってやりたい。そんな気分ですねぇ。梶浦由記が言う「知らなかった」、「本人たちからも聞かされていなかった」というのは、「そりゃそうでしょう、あなたは自分から進んで辞めたのだから」と心の中で思いました。辞めたくて辞めたのは本人で、ふぃなとさよならの道を選んだのも本人。
anyway
そういうわけで、梶浦由記が「お気持ち表明」を出した時に「???」という想いがありました。
そりゃふぃなを好きな人は梶浦由記が作った歌をふぃながもう一度歌う時には、梶浦由記には関わって欲しいし、大々的に「おかえり!待っていたよ!」って泣きたいに決まっていますよ。
でもそうならない事態に陥った最初のきっかけを作ったのは誰ですか?クソのスぺクラ「だけ」ですか?梶浦由記本人も、あの時にその権利を手放したのではなかったですか?残された3人がどの道を選んでも、それは彼女たちの選んだ道。事務所に残る事情もあっただろうし、辞めた事情もあるだろうし、そんなことは本人だけしかわかりません。慮ることのできない領域ですね。梶浦由記側はなんとかもう一度3人で歌えるようにと考えていたらしいですけれど、wakanaを除いてカバーをすることはOKでもふぃなのオリジナルメンバーが、梶浦由記の元で再始動することは相当ハードルの高い案件になるということは、スぺクラ側からすればそうだろうな、と納得できることです。
なぜ、わざわざ全世界に「お気持ち」を言わなければならなかったのか。ファンクラブ限定でそのあと、さらに詳しいお気持ちを表明したらしいですが、それは梶浦由記側だけのお気持ちであり、スぺクラにも言い分はあるでしょう。辞めた当時にハラスメントがあったかどうかもわかりませんが、仮にそうだとしても結果的に「スぺクラを辞めた人」が一方的にお気持ちを表明して、スぺクラに悪意を向けさせる(本人はそのつもりがなかったかもしれませんが)ましてや「本人たちから何も聞いていない」と余計なことを言って、結果的に3人を精神的に追い詰めたことは、非常に社会人として稚拙な行動であると思います。恨みつらみはあるでしょうけれど、言いたいことは直接本人に言えばいいし、報告がないのには言えない事情があるんだろうなんて想像は、簡単にできたはず。
どれほど悲しくても、事態が飲み込めなくても、沈黙し続けることが事務所を辞めた側の大人の対応だったのではないか、と個人的に思います。
気が狂っている、一方的な意見だけを鵜呑みにするしかできないファンたちが3人に攻撃的なリプを送り、KEIKOとHikaruがファン向けに混乱を謝罪せざるを得ない状況に追いやったのは、スぺクラではなく梶浦由記本人の稚拙なお気持ち表明のせいだと、個人的に思います。Hikaruに泣きながら謝罪させたかった梶浦由記ファンの人、よかったですね。そうさせたかったんでしょう?クソが。(おっと)そして、お気持ち表明の結果、アーティストに泣きながら謝罪させることが望みだったのでしょうか。でもあのお気持ち表明はそうさせるために出したのかな?と思いたくなりました。
色々あって、アーティストが口を挟めることもできず、意思疎通がうまくいかなかったというようなことをHikaruが口にしていましたが
そんなことを泣きながら言わせたのは、スぺクラ「だけ」じゃないです。梶浦由記本人が悔しいとか悲しいというお気持ちを表に出さず、ライブが終わるまで、あるいはチケットが売り切れるまで沈黙を貫いていればよかったのではないでしょうか。
契約を伴う仕事に「感情」は存在しません。もちろん目に見えない感情面に訴えるものを商材にしていますけれど、それはそれ。これはこれ。
スぺクラ側にも言い分はあるでしょう。金儲けに走ったと非難する人もいますが「会社」が「お金儲け」をするのは当然です。クソのスぺクラにも従業員がいて、関連会社もあるでしょう。お金を稼いで従業員や関連会社にお給料や支払いをする必要があるのだから、彼らは辞めた人間ではなく、今、働いてくれる人たちのためにできることをやったのではないでしょうか。社長がクソとか、考えがクソとか、それは色々あるでしょうけれど、どうしてクソのスぺクラが梶浦由記に不義理をしたということになるのか、私にはわかりません。辞めた人間です。辞めた人間に対しての道義的責任って何ですか。本来10周年でツアーをやって収益をあげようとしていたスぺクラ側からしたら、立てていた予算もぱー。掛けた費用の回収も将来的にできなくなったわけですからね。彼らには収益のマイナス要因になった人でもあるんじゃないですか?(知らんけど)
片方だけの言葉だけを信じ、梶浦由記が悲しんでいるからアーティスト側は謝るべきだと断罪し、「行かない」とか「ファンを辞める」なんてお気持ちを直接本人たちに送るオタが最も悪い人達だと思いますが、それでも盲目的に信じているファンに対しあのようなメッセージを発信すれば、ふぃなの3人に非があるような演出をしてたきつけているようにも見えます。
実際私は、梶浦由記は3人を突き放したと読み取りました。表面的な文字に色も温度もないですから、受け取る側がどう思うかは自由です。あとで違うと言われたとしても、そもそもその訂正を全員が知るとは限りません。
それ以上の発信はお金を払う信者にのみなので、私はずっとあの人は2度もふぃなの3人を傷つけた人、というイメージのままです。だからと言って、二度と梶浦由記の音楽なんて聴かない!という想いもありません。性格と作品は別物だからです。好きな曲はすこぶる機嫌よくリピートしますし、FJもふぃなの曲も好きです。まぁ、wakanaのいないYKライブに行って、何一つ感動できなかったのでそれ以降、ライブ参戦はせずに新曲も聴いていませんけれども。
あまりにもHikaruが泣く姿が可愛そうで、事の発端はなんでしょうね、という想いから個人的な想いを個人的なブログに残しておこうと思いました。
惰性でチケットを取りに行くわけじゃないです。
全力で3人のふぃなを応援しています。
待ち焦がれ、もう永遠に会えないと思った3人の集結をそれを形にしてくれたのは、皮肉にもクソのスぺクラであり梶浦由記ではないのです。
彼女のいないふぃなを受け入れられないファンもいるでしょうけれど、私は崩壊していった経緯をファンクラブに入ってハラハラしながら見守っていた一ファンの立場として
ありがとう、おかえり。これでよかったと思ってもらえるくらい全力で応援します!という想いです。
私の夢を叶えてくれたのは、ふぃなのカバーを披露した梶浦由記ではなく、クソのスぺクラです。
クソが。ファンクラブの会費を返せ。
敬称略です。
※追記です。梶浦氏のファンクラブの発言については漏れ伝わっていておおよそのことは把握している状態での意見です。