3月1日に日テレ+であったKalafinaアニバーサリーライブを見て、観に行った当時に感じたものと
落ち着いて見れたときに抱いた感情の変化があったのでメモ。


7年の間にあった大きな変化は

やっぱり彼女たちが「ソロ」で歌い続けていたことなのだろうと思った。

もはや、3人はソロの集合体になっていたんだなと、見直して改めて感じた。
当時は3人が立っている姿を見ることに興奮して、ほぼ泣きっぱなしだったので
小さな違和感って言うのはもちろん会ったけれど、バンド編成も違うし
演出も違うし、ブランクもあるからそれは当然なのだと思っていた。

でも、見返してやっぱりもう、彼女たちの歌声は「ソロ」の集合体になったんだな、と。
それが悪いかと言われたら、違うとも思う。

彼女たちは突然、想定にないソロ活動を強いられて、それぞれが「1人で歌う」ための努力を重ねた。
1人で歌い、1人で完成したものを提供する訓練を続け、歌う表現も当然変化を続けていたのだろうと思う。

違和感があるうちの一つは、3人で1つだった音が、何か違うようにきこえてきたせい。
年齢を重ねるごとに変化する歌の変化もあるだろうと思ったけれど、
1人で歌い続けた時に身に付けたスキルなどが、自然と出たのかな。

3人で1つだったKalafinaが、それぞれが個性の際立つKalafinaになったのだろうと。
7年間、3人が1つでいられずに、離れたパズルのピースはわずかな変化をもたらして、
たぶん永遠にもう1つとして完成することはないのかな、と思った。

でも、それが進化であり成長であり、生きる道だったし
私も7年間彼女たちのソロを一切聞かずにずっと、CDやライブ映像ばかりを見ていたから
ちゃんと観ていなかった私が変化を「違和感」としてとらえてしまったのだろうと思う。

それぞれが「ソロ」として生きるために、歌い続けてくれたことがこのライブに繋がって
今の彼女たちのできる限りを私たちに見せてくださったことが嬉しい

20代前半に歌い続けた曲を、ほぼ3人が40代に突入しても、同じキーで歌い続ける難しさ。
何より、Wakanaの音域はかなりハードで、それを今も歌えるということは、相当かなりの訓練をし続けていたはず。

今、ソロで活躍している彼女たちはもちろん、1人で8000キャパを埋める力がない。
私もソロを見たいと思わない。

でも、歌い続けて欲しい。また、これからも変化をし続けて、いつか20周年、30周年となったときに
その時のその歌声を聞かせて欲しいと思う。

KEIKOあてのファンレターに「幸せでいてね」と送ったら「幸せだよ」と返事が来た。

幸せでいて欲しい。
これからもずっと、それぞれの道を生きている彼女たちの「ソロ」を聴くことはないだろうけれど
幸せでいて欲しいのです。















またね。
原作のデスバスターズとの戦い後、偶然レイと出会ったみちるは思いつきで東京のデートスポットを巡る。
10代の間はもう、この街に戻ることはないだろう。5年以上は帰ることもないだろう。そう思ったみちるはふと、
何かをやり残している気がして、レイと雑誌で見たことがあるデートスポットを巡る。

本当は、鏡を自分の手元から離しておきたかった。
その最適な場所を探していた。

場所ではなく、適切な人に預けるべきだということはわかっているけれど、
みちるの想いを大事に守ってくれる人がいい。
レイとの再会はきっと、神様からのお導きだった。
レイに未来を託した。

レイたちがずっと、幸せでありますように
その想いは鏡を通じてみちるに優しく伝わるだろう。




山郷紗月先輩

ゆるやかな、海王みちるファンでい続けたかったのに、レイのせいで色々と足を踏み外してしまったお嬢様。
一般人はこういうものなのですよね。
レイちゃんを後輩として大切に思っていたことだって嘘じゃないし、海王みちるのことはとても好きだけど
好きという表現がほんの少しおかしくなって、止められなかった人。

この小説のキーパーソンは古幡宇奈月ちゃんですよね。

ちなみに山郷っていう苗字はガルパンのモブにそういう苗字がいたなっていう記憶と
紗月は、5月。宇奈月、紗月。月並びにしてみました。おあとがよろしいようで。




倉科緋彩

レイの幼少期、ママが生きていた頃に開いていたピアノ教室に通う生徒だった緋彩は
大好きだったピアノの先生にあこがれ続けて、夢を叶えるために高校時代に短期留学を経験する。

その時に、同室だった海王みちる。
ピアノばかりだった緋彩は、海外暮らしの長いみちるに助けられながら過ごし、いつしかお互いに必要な存在となる。

TA女学院の短期留学から、移籍をしてミラノの音楽学校を卒業してずっとみちると生きて行ってもいい。
そんなことを考えていた春、突然みちるから別れを切り出されてしまう。

号泣しながら別れて欲しいと、その理由は帰国でもない。それだというのに学校を辞めるという。
退学させられるようなことがあったわけではない。
どうすればいいのか、みちるがどうしたいのか、何もわからないまま、みちるは別れて欲しいと言った次の日には荷物を整理して
あっという間に姿を消した。
涙は出なかった。悲しいというよりも驚きだった。
きっと緋彩たちは若すぎたのだろう。
何もかもの意思決定を自分だけではできない幼さのせいで、みちるは誰かに言われてミラノを出なければならなかったのだろう。

メールも電話も緋彩からは連絡を取らなかった。彼女は大金持ちの家の娘。ひと時の恋に溺れるほど愚かでもない。
緋彩もまた、溺れたりなどしなかった。
緋彩は葉月先生のようなピアニストになりたいと思っていたから。

帰国をし、またTA女学院に通う日々。

まさか、葉月先生の娘が海王みちるを連れて現れるなんて思ってもみなかった。
神様は何をお考えなのだろうか。

怯えるように緋彩を見つめるみちるの瞳。
恋を宿すそのまなざしは葉月先生の一人娘に注がれていた。
みちるとは関わらない方がいいだろう。
緋彩が求めているものは、海王みちるではなく、金糸の音色を持つ神様だから。

みちるがちゃんと生きて、今もヴァイオリンを続けているのならそれでいい。
緋彩が観るべき未来の世界に、海王みちるはもういなくなってしまった。



そういう感じの人物です。
私はですね、ドイツに行くことは本当なんだけど、フィアンセがいるとかそういうところは彼女の嘘だと思って書いているんですよね。
みちるやレイに対する、彼女の最大限の気遣いだと思います。

何一つ悪い部分のない人物を書きたかったのです。みちるがとても愛した、愛さずにいられない神様だった人。

この小説のキーパーソンは、もちろん、火野葉月です。

みちるが命を投げ打つために辛い選択をしたことが、いつか報われる日が来る。
それを導いたのはきっと火野葉月じゃないでしょうか。



Etude 10-3
別れの曲ですね。







ついにこの時が来ました。

何億光年、幾千年くりかえしましたとも(7年くらい)
もう、二度と会えないと思っていたし、空中分解してから7年。
生まれた赤ちゃんが小学生になるくらいの長い間です。

その間、私にもいろいろありました。

思い描いていなかった退職とか、4回の転職とか(秘密よ)、病気とか。
おじが2人亡くなり、幼馴染のお父さんが亡くなり。
7年ってすごく長いですよ。
7年あれば高校生は大学を卒業する。
30代半ばで、人生これから!とか思っていたら40代になってしまう。

そして、何よりもコロナがあり世界はとても変わりました。

だから、二度とKalafinaに会えないことは、月日が経てばどうすることもできないことだってあると思っていて
KEIKO、Wakana、Hikaruが7年ぶりに帰って来てくれたこと、本当に本当にうれしかったです。

Pである梶浦氏のことで何も想わないファンはいないと思います。
誰だって、梶浦さんが作った歌だからこそということは十分わかっているし、彼女が育てたKalafinaだし
Kalafinaとは梶浦由記と一心同体であるということは、それは当たり前だと思います。

それでも、そこにお金や権利やそして4人以外の多くの人が携わる一つのプロジェクトである以上
ファンが望む形に戻れないということは、致し方のないことだと思います。
7年という月日の間に、きっとそう言うことは何度も話し合われてきたのでしょうし、解散に至るまでの
騒動が明るみになるもっと前から、Kalafinaの継続が難しいという問題はあったのでしょう。

それでもやっと帰って来てくれました。

Wakanaが「今夜限りのステージ」というセリフを口にしていたので
もう、二度と3人が揃うステージはないものだろうと、覚悟をしていました。

世界のすべては、自分の思う通りにならないし、
それはファンよりもKalafinaの3人の方がずっと苦しいことなのだと、本当に3人は長い間、苦しみ続けていたのだろうと
思いました。

泣かないで最後まで笑顔でステージに立とうと、きっと3人はそういう決意を込めて歌ってくれたのだろうと思います。
だから、アンコールでWakanaが本当に7年間分の想いを吐露して涙を流した時に、KEIKOがそれを隠そうとしたり、Hikaruが
「私は泣かない」って言って見せて、そういう3人の「今夜限り」をやり遂げる想いが、切なくて

これでもう、2度と会えなくてもファンとして納得できる。そう思えるライブでした。

見ていない人や、あるいは見た人の中でも
FBMじゃないことに対する意見を抱く人もいましたが
私には、何も不満はありませんでした。
私も7年という月日で老い、あの頃の私ではないのだから、あの頃と何も変わることだらけの世界なのです。
このライブに携わってくださった人のできるベストとして、とても素晴らしい構成だったと思います。
今回のライブは、初期の「歌」を大事にしていた頃のKalafinaらしさがあったなと感じました。
床を這いずり回る謎のダンスや、神田うののウエディングドレスを着て踊らされるような、
よくわからないライブよりも、ひたすら「歌」を大事に届けようとする、本当にKalafinaのためのライブだったと感じました。

7年という長い月日が経ち、それでもずっとKalafinaのことを想い続け、一夜限りのライブ開催のために
沢山の人が頑張ってきたのだろうと思います。

梶浦由記は生みの親で育ての親で、何よりKalafinaを大事にされていたのだろうと思います。
だからこそ、愛が裏切りのように思えたのだと思います。
険悪な関係で別れたであろうスぺクラに対して、想うところはかなりあるでしょう。

それでも、嘘でも事務的でもいいので梶浦由記としてフラワースタンドがあれば、
モヤモやし続けるファンや、敵意むき出しにする梶オタたちを納得させることもできただろうに、と。
ひとつ、大人の対応を見せていただきたかったと個人的には思います。
嘘でもライブ頑張って欲しいと言っていたのなら、それを長い間、放置され続けたファンに態度で見せてもらいたかったです。
そして、やっぱり個人的な恨みは、表に出さずにいて欲しかったと思います。ファンに対して「あなた」と呼びかける梶浦さんなら
ファンに対してきちんと向き合ってもらいたかったと思います。

最後、KEIKOに、これからもKalafinaの曲を聞いてね、沢山愛してねという別れの言葉
空中分解して解散させられたときでも、そしてこの2度目の別れの時でも
色々な言いたいことを我慢して、ファンの心に想い出が残るように優しく語り掛けてくれました。
彼女たちの
「歌い続けたいけれど、そうすることもできない状況」に対する悲しみと、あの場所に駆け付けたファンに対する感謝の思いを
Kalafinaの曲を聴き続けて欲しいという願いや愛を私なりに受け止めました。

深い愛をもらったのでこれからもずっと、Kalafinaを聞き続けようと思います。

KEIKOはファンに向けて また、会いたいという希望を込めた言葉を発してくれて
きっとそれが彼女たちの精一杯の想いを表現した言葉なのだと信じ
想い出を抱いて行こうと思いました。

いつかまたどこかで、3人で歌える場所がありますように
そうならなくても、ずっとKalafinaが二度と「解散」と発表されませんように
「復活」したまま、そこにあり続けますように

Wakana、KEIKOI、Hikaruの3人がずっと幸せでありますように。
















舞HiMEで梶浦由記を知ってから、ゆるくファンを続け、YKライブに何度か行ってからFJCに入会して、ふぃなのライブにも行ってどっちも平等に好きだった。
ファンクラブが2つに分裂し、その後考えて考えて、楽しいライブはふぃなの方だったので(シンプルにwakanaの声が多く聴ける方を選んだのと、チケット取りにくいのはふぃなだと思った)がちのカジウラーでもない(という前提がある)

ふぃなのラジオを毎週聴いたりしていた程度で、まぁ好きに重いも軽いもなく、私は勝手気ままに好きになっていたわけです。
私は曲が好きなので、アーティストやPの人間性に惹かれるとか、曲が好き=人間として素晴らしいと思う人でもありません。
むしろそれは別物だと考えています。

anyway.

それでもって、9+oneとかいうなぞのライブのタイトルのころから、「どういうことなのでせう?」という想いはあって、でもガンガンに全国ツアーをやるし
9年目でこれだけ凄いライブツアーをやるって、10周年は世界でも回るんか?くらい、わりとそういう気持ちもありつつ、何をしようとしているのだろうか?
というソワソワした思いもありました。結果的に、クリスマスコンサートが私にとって最後のライブでした。
10周年記念ライブは東京の武道館。たしか平日。9+oneは全国巡ったのだから、まさか、10周年は平日武道館だけなんてそんなわけないだろうと思い、地方民の私は
当時勤めていた会社で海外出張のタイミングが未定ということもあって(たしか、そうだったはず)考えたうえでライブ参戦は見送りました。
あれが本当に最後だと事前案内があれば、たぶんマジで無理にチケットを取ったと思う(そういう意味ではスぺクラは嫌い)
ファンクラブの更新のちょっと前に梶浦由記が事務所を去るということがありました。それでも、情報は更新もなく、あの時はもちろんKEIKO脱退という情報もなく、
とにかくあらゆる情報がなかったのですよ。
Kalafinaは継続っていうことをニュースで見たような記憶もあって、どうしていくのか、誰かほかにPを迎えて今までの曲を歌いながら
未来への策を講じていくのか。と、で、先の通り私は10周年なのだから1年はそれを理由にライブをするかもしれないと思い、活動休止が決まっていたことの案内もなかったので、ファンクラブの更新をしました。

その直後、KEIKO脱退、Hikaru脱退。

ファンクラブ更新をしてから、届いた会報は2人の写真になり、そのあと届いた会報は「wakanaファンクラブ発足」みたいな案内だったと記憶しています。(そのあたりから、病気で休職→退職になりました。好きだったふぃながなくなったのも結構精神にきましたね。もちろんそれは退職理由じゃなくて)真面目に、スぺクラに対しては前から決まっていた癖に黙ってファンクラブの更新費用せしめたことに対しては、一生根に持つでしょう。クソが。

私はガチでもないので、誰の味方でもないですし、誰かの味方であるとすれば私自身だけの味方なので、梶浦由記が事務所を辞めた経緯に、さほど興味もありません。
客観的な事実は誰にもわからないのです。それは私が前職を辞めたことがある経験から得たものですが、梶浦由記が事務所を辞めた理由は梶浦由記にしかわからないし、それを例えば本人がファンクラブ向けに説明をしたとしても、それは「梶浦由記」だけの説明です。なので、私がわかるのは「事務所を辞めた」という事実だけです。ともに仕事をしていたM氏だかが事務所からハラスメントを受けたとか、社長がM氏ともめたとか、それがどこから漏れた情報かはわかりませんが、客観的な事実である証拠はファンの誰もが持ち得ていないと思います。なぜなら人は自分の好きな人のことだけを信じるものです。一番信用できないのは自称梶浦由記ファンの言葉です。彼らは梶浦由記の言葉だけを信じているし、スぺクラまじムカつくという想いがあるし、そもそもスぺクラは梶浦由記が事務所を辞めた経緯を詳しく誰かに言う立場でもないでしょう。クソのような会社だと思っているけれど、契約関係を綺麗に整理して(いるはず)梶浦由記は退社して、ふぃなはPを失い、メンバーも2人去り、活動が空中分解したわけです。

事務所が勝手に解散宣言をしてむりやり解散させてしまったとなっていますが、どのみち、残る道は「解散」しかなかったのかな、とファンクラブに入っていた私は思います。
梶浦由記がふぃなのPをして、天才的な素晴らしい曲を世に生み出したことは、まぎれもない事実で、私は凄く大好きですが、Pだけがふぃなを成功させたわけじゃないのです。
クソのスぺクラがあらゆる場でプロモーション、PV撮影、テレビ出演、ライブ、スタッフの手配、その他もろもろ、彼女たちの歌を全国、全世界に広げる仕事の一端を担いふぃなは大きくなりました。なので、確かに梶浦由記は素晴らしいけれど、ふぃなは4人でこそ!みたいな意見を言う人が騒ぐたびに、「いやいや、私たちの嫌いなスぺクラも一応は大きな役割を果たしていたし、そもそもあの時は梶浦由記もスぺクラに所属していたのだから、商材の版権はクソのスぺクラが持っていたのでは?」と感じていました。

どのような事情においても、梶浦由記はスぺクラを退職した人間であり、今回のふぃな再結成やライブをやるという報告を受けていないのは、受けることができないのは
「あたりまえだろう」と私は感じました。円満退職であっても、あるいはそうじゃなくても、スぺクラの部外者になってしまった(自らその道を選んだ)以上、前の職場の人たちが、自分たちの手元にある版権を使用してお金を稼ぐことに関係を持つことができなくても、それは不義理ではないと感じます。これはどこの会社でもあたりまえのことです。アーティスト側から梶浦由記に連絡を取らなかったことを断罪する人がやたらと多くて、どちゃくそに呆れましたよ。彼女たちは歌を歌う側であり、事務所の代表者でも代弁者でもありません。

例えば、昔同じ職場にいた人間に、自社開発中の億単位の利益が出るプロジェクトのことをペラペラしゃべるんですか?人として信用なりませんねとリプを送ってやりたい。そんな気分ですねぇ。梶浦由記が言う「知らなかった」、「本人たちからも聞かされていなかった」というのは、「そりゃそうでしょう、あなたは自分から進んで辞めたのだから」と心の中で思いました。辞めたくて辞めたのは本人で、ふぃなとさよならの道を選んだのも本人。


anyway


そういうわけで、梶浦由記が「お気持ち表明」を出した時に「???」という想いがありました。
そりゃふぃなを好きな人は梶浦由記が作った歌をふぃながもう一度歌う時には、梶浦由記には関わって欲しいし、大々的に「おかえり!待っていたよ!」って泣きたいに決まっていますよ。
でもそうならない事態に陥った最初のきっかけを作ったのは誰ですか?クソのスぺクラ「だけ」ですか?梶浦由記本人も、あの時にその権利を手放したのではなかったですか?残された3人がどの道を選んでも、それは彼女たちの選んだ道。事務所に残る事情もあっただろうし、辞めた事情もあるだろうし、そんなことは本人だけしかわかりません。慮ることのできない領域ですね。梶浦由記側はなんとかもう一度3人で歌えるようにと考えていたらしいですけれど、wakanaを除いてカバーをすることはOKでもふぃなのオリジナルメンバーが、梶浦由記の元で再始動することは相当ハードルの高い案件になるということは、スぺクラ側からすればそうだろうな、と納得できることです。

なぜ、わざわざ全世界に「お気持ち」を言わなければならなかったのか。ファンクラブ限定でそのあと、さらに詳しいお気持ちを表明したらしいですが、それは梶浦由記側だけのお気持ちであり、スぺクラにも言い分はあるでしょう。辞めた当時にハラスメントがあったかどうかもわかりませんが、仮にそうだとしても結果的に「スぺクラを辞めた人」が一方的にお気持ちを表明して、スぺクラに悪意を向けさせる(本人はそのつもりがなかったかもしれませんが)ましてや「本人たちから何も聞いていない」と余計なことを言って、結果的に3人を精神的に追い詰めたことは、非常に社会人として稚拙な行動であると思います。恨みつらみはあるでしょうけれど、言いたいことは直接本人に言えばいいし、報告がないのには言えない事情があるんだろうなんて想像は、簡単にできたはず。
どれほど悲しくても、事態が飲み込めなくても、沈黙し続けることが事務所を辞めた側の大人の対応だったのではないか、と個人的に思います。

気が狂っている、一方的な意見だけを鵜呑みにするしかできないファンたちが3人に攻撃的なリプを送り、KEIKOとHikaruがファン向けに混乱を謝罪せざるを得ない状況に追いやったのは、スぺクラではなく梶浦由記本人の稚拙なお気持ち表明のせいだと、個人的に思います。Hikaruに泣きながら謝罪させたかった梶浦由記ファンの人、よかったですね。そうさせたかったんでしょう?クソが。(おっと)そして、お気持ち表明の結果、アーティストに泣きながら謝罪させることが望みだったのでしょうか。でもあのお気持ち表明はそうさせるために出したのかな?と思いたくなりました。

色々あって、アーティストが口を挟めることもできず、意思疎通がうまくいかなかったというようなことをHikaruが口にしていましたが
そんなことを泣きながら言わせたのは、スぺクラ「だけ」じゃないです。梶浦由記本人が悔しいとか悲しいというお気持ちを表に出さず、ライブが終わるまで、あるいはチケットが売り切れるまで沈黙を貫いていればよかったのではないでしょうか。

契約を伴う仕事に「感情」は存在しません。もちろん目に見えない感情面に訴えるものを商材にしていますけれど、それはそれ。これはこれ。

スぺクラ側にも言い分はあるでしょう。金儲けに走ったと非難する人もいますが「会社」が「お金儲け」をするのは当然です。クソのスぺクラにも従業員がいて、関連会社もあるでしょう。お金を稼いで従業員や関連会社にお給料や支払いをする必要があるのだから、彼らは辞めた人間ではなく、今、働いてくれる人たちのためにできることをやったのではないでしょうか。社長がクソとか、考えがクソとか、それは色々あるでしょうけれど、どうしてクソのスぺクラが梶浦由記に不義理をしたということになるのか、私にはわかりません。辞めた人間です。辞めた人間に対しての道義的責任って何ですか。本来10周年でツアーをやって収益をあげようとしていたスぺクラ側からしたら、立てていた予算もぱー。掛けた費用の回収も将来的にできなくなったわけですからね。彼らには収益のマイナス要因になった人でもあるんじゃないですか?(知らんけど)

片方だけの言葉だけを信じ、梶浦由記が悲しんでいるからアーティスト側は謝るべきだと断罪し、「行かない」とか「ファンを辞める」なんてお気持ちを直接本人たちに送るオタが最も悪い人達だと思いますが、それでも盲目的に信じているファンに対しあのようなメッセージを発信すれば、ふぃなの3人に非があるような演出をしてたきつけているようにも見えます。
実際私は、梶浦由記は3人を突き放したと読み取りました。表面的な文字に色も温度もないですから、受け取る側がどう思うかは自由です。あとで違うと言われたとしても、そもそもその訂正を全員が知るとは限りません。
それ以上の発信はお金を払う信者にのみなので、私はずっとあの人は2度もふぃなの3人を傷つけた人、というイメージのままです。だからと言って、二度と梶浦由記の音楽なんて聴かない!という想いもありません。性格と作品は別物だからです。好きな曲はすこぶる機嫌よくリピートしますし、FJもふぃなの曲も好きです。まぁ、wakanaのいないYKライブに行って、何一つ感動できなかったのでそれ以降、ライブ参戦はせずに新曲も聴いていませんけれども。

あまりにもHikaruが泣く姿が可愛そうで、事の発端はなんでしょうね、という想いから個人的な想いを個人的なブログに残しておこうと思いました。

惰性でチケットを取りに行くわけじゃないです。
全力で3人のふぃなを応援しています。
待ち焦がれ、もう永遠に会えないと思った3人の集結をそれを形にしてくれたのは、皮肉にもクソのスぺクラであり梶浦由記ではないのです。
彼女のいないふぃなを受け入れられないファンもいるでしょうけれど、私は崩壊していった経緯をファンクラブに入ってハラハラしながら見守っていた一ファンの立場として
ありがとう、おかえり。これでよかったと思ってもらえるくらい全力で応援します!という想いです。

私の夢を叶えてくれたのは、ふぃなのカバーを披露した梶浦由記ではなく、クソのスぺクラです。
クソが。ファンクラブの会費を返せ。

敬称略です。


※追記です。梶浦氏のファンクラブの発言については漏れ伝わっていておおよそのことは把握している状態での意見です。















二次創作は、割と自由に創作をしてもかまわないので、
公式で学生だった少女たちが大人になってからの話などを支部に上げている人はおおく、熟した大人の恋愛ものを読みたがる人も多い。

私は、ほとんど大人になってからの小説を書かない。記憶でも発表しているもので成人(20歳以降)している小説を書いていないと思う。

単純に私はピュアな恋愛ものが好きだから。
読む小説(きちんとした本)では、むしろ大人のドロドロとした損得感情とかに絡まる世界が好きだけど

好きなキャラクターが大人になって惰性や恋愛ではない感情の部分に振り回される世界が嫌いだし
二次創作もアニメキャラが成長したものは基本的には読みたいと思わない。

10代の、惰性や損得や、周囲の人の影響を受けずにただひたすらに、真っ白に相手に対して「愛」だと信じて疑わない感情が好きだ

それを「愛」と呼んで軽率に「愛してる」と言える10代の少女たちの心の透明さが好きだ

それを持ちえない年齢になればなるほど、その無色でいられる刹那的な思春期を思い出すし思い出したくない感情もある

若い頃の、20年前に小説を書いていた頃は軽率に「愛している」をキャラに言わせることができた
それはたぶん、私が比較的、単色の美しさを持ち合わせていた年齢だったせいだろう
「愛している」感情があれば、困難に立ち向かえると信じていたし、それが赦される年齢でもあった
傷つくことを知らない、何にでもなれるし何でもできるだろうという感情が、キャラクターに「愛している」と言わせることができた

20年経って、キャラクターに「愛している」を言わせることがほとんどなくなった
愛しているという世界の壮大な感情を、軽率にキャラに使わせたいと思えなくなった

年齢を重ねることで得た知識のおかげで「キャラクター性」を考察するようになった
親がいないキャラクターが何を求め、何を信じ、何を支えに生きてきたのだろうか。この子は幼い頃誰と、どんなことを語り合ったのだろうか。
そういうことを考えることは、それは20年という年月のおかげであり、透明がくすんだわけでも色あせたわけでもない

愛しているという10代の世界だけで、この世界は成り立たないということを
諦めではないと思うし、人はいつまでも成長していき、1人では生きられないと、愛しているだけでは生きてはいけないのだと知る

でも、だからと言って10代の少女の「愛している」という早熟を意図して書かないようにしていたのは
ちょっともったいないような気もする

セラエタの火野レイと海王みちるは「愛している」を一つのテーマに書いているふしはある


大人の使う「愛している」も10代の少女が語り合う「愛してる」も同じ言葉だけど

大人同士が語る「愛している」は「いろんな人と、それなりに経験を積んで学んで、やっとあなたにたどり着いた」
10代の少女が語る「愛している」は「世界中にあなただけでいい、あなた以外何もいらない」

という違いのように思う。

どちらも正しいし、その時感じた愛はその時だけが本物で、「愛している」は常にせつな的な感情なのかもしれない。

今を生きている生身の人間は、成長を止められないから、思春期に「愛している」を謳歌して、それなりの年齢になって、その「愛している」過去を懐かしんで笑えるのよね

「愛している」の透明感をまた、書けるようになれたらいいな。