大隅智佳子リサイタル"歌の時間"@北トピア・つつじホール 2015.4.30 | リーベショコラーデ

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待ちに待ったリサイタルです。私的には日本でもっとも素晴らしいソプラノの一人。
推定35歳だと思いますがリサイタルを開くと聞いたのは初めて。

大隅さんを初めて見たのは綾瀬市の市民オペラでした。(2012年6月)二期会の歌手がたくさん出ていましたが、ミカエラのアリアを聴いて歌手の名前を覚えて帰ったのが最初です。ブラボーが飛んでました。以来、機会があれば必ず出かけましたがリサイタルをするという情報は聞いた事が無かったのです。しかし考えてみると「リサイタルをひらける声楽家」というのは非常に限られています。そういう事をこの3年間で知りました。リサイタルをひらいてお客さんが来てくれる自信のある声楽家はほとんどいないでしょう。ファンの集いならまだできるかもしれませんが、それさえもできない人がほとんど。それが現実。その理由は私には分かっていますがその話をするのは今日は割愛させて戴きます。

ということで「待ちに待った」わけです。田中彩子さんはメジャーレーベルがバックについたからあの若さで(推定31歳)今年日本全国ツアーまでしてしまいましたが、個人で企画して実施まで持っていくのは並大抵のことではありません。ガッツに(死語?)敬服します。


ということで待ちに待ったリサイタルでしたが、このレビューを書こうかどうか迷いましたが、期待したものは満たされませんでした。
まず、最初の発声からいままでの大隅智佳子の絹のような声とは違いました。先日澤村翔子の声を一年ぶりに聞いて全盛期を過ぎたかのような声に残念な思いをしましたが年齢の所為なのか、まさか30代半ばで声変わりというものがあるのかどうか分かりませんが、違いました。練習のしすぎなのか、とも思いましたが、声が「疲れている」のです。またソプラノの命は「高音の弱音のコントロール」にあると思いますが、この日の選曲の所為なのかもしれませんがほとんど全曲(三曲は弱音の歌唱がありましたが)が「声量全開」の歌唱なのです。まるで全日本学生コンクール決勝演奏会のようです。大隅さんの歌唱には聞くたびに涙したものですが(YouTubeで観ても毎回涙が出ます)、この日は一度もそういうことがありませんでした。

何故なのか。選曲の所為では無いと思います。何故なら、たとえ一度も聞いたことの無い曲でも感動させられることがあるのは当たり前だからです。しかも、大隅さんの歌唱はまったく瑕疵の無い素晴らしいものでした。けれども、感動できませんでした。

私だけかと戸惑っていましたが同行したにゃーも同じようでした。上手いけれど巻き込まれない、という演奏は以前にも経験したことがあります。もっともそう感じたのは「音楽教室の先生たちによる演奏会」でのショパンでした。

上手いんだけれど、巻き込まれない。大隅さんの歌唱なら会場からすすり泣きが聞こえてもおかしくないのに、それはありませんでした。


帰り道、にゃーは問わず語りにこう言いました。
「芸術家じゃなくて先生になっちゃったのね」
直ぐには意味が飲み込めませんでしたが、そういうことなのかなと今は思います。

個人のリサイタルはたとえ瑕疵があってももっと若い時からやるべきものだと感想を持ちました。小さい会場でも良いんです。いきなり200人のファンは来ないでしょう。それにチャレンジしている音楽家は尊敬します。みなさん、芸術家を目指すならどんどん発表の場をもって批判にさらされる勇気とガッツを持ってください。「仕事がきたときだけのんびり歌っていければ良い」と考える人はすでに道を極めることを放棄しているのと同じです。


私にはこのリサイタルが期待したものと違った真の理由はまだ分かりません。声楽家にとって35歳には何かあるのか。それともこれがもともと大隅さんの狙い通りのものなのか。

次は6月28日に大隅さんを観ます。(神奈川県民ホール)そこでまた大隅さんの進む道が理解出来るかも知れません。

最後までお読み戴き有り難うございました。


※今回、会場で紳士淑女から声をかけて戴きました。どうして私の顔がわかるのか不思議ですが(^^;、先日湯浅桃子さんのファンの集いでも初対面の人に私が誰であるかを見破られたし司会の人にもバレてたし、品行には注意しなければと思い至りました。少なくとも後ろ指は刺されていない事を希望します。