報恩抄 下 (訳文-3)


 この事を、日本国の中において、ただ、日蓮一人だけが知っていたのであります。

 もし、この事を言い出したならば、「殷の紂王が比干(紂王の忠臣)の胸を裂いた
ように、夏の桀王が竜蓬(桀王の諫臣)の首を切ったように、ケイヒン国(インド)
の檀弥羅王が師子尊者(付法蔵・二十四人目の伝灯者)の首を刎ねたように、天竺
(インド)の道生(注、一闡提でも成仏出来ることを説いた僧、鳩摩羅什の弟子)が
蘇山へ流されたように、宋の徽宗(老荘思想を信奉していた皇帝)が法道三蔵(徽宗
を諫めた宋代の僧)の顔に焼き印を押したように、私(日蓮大聖人)も、同様の処遇
を受けることになるであろう。」ということは、かねてから、承知しておりました。

 けれども、法華経勧持品第十三においては、「我、身命を愛せず。但、無上道を惜
しむ。」と、お説きになられています。
 また、涅槃経においては、「むしろ、身命を喪失したとしても、仏の教えを隠匿し
てはならない。」と、お諫めになられています。
     
 「今世において、命を惜しむのであれば、一体、いつの世において、仏に成る事が
出来るのであろうか。また、如何なる世において、父母・師匠を救い奉る事が出来る
のであろうか。」と、ひたすら思い切って、この事を申し始めました。

 すると、案に違わず(予想していた通り)、或いは所を追われたり、或いは罵られ
たり、或いは討たれたり、或いは疵(きず)を被ったりしているうちに、去る弘長元
年〈辛酉〉五月十二日に御勘氣(注、幕府からの咎めを受けて、罪を付されること。)
を受けて、伊豆国・伊東に流されました。
 また、弘長三年〈癸亥〉二月二十二日に赦免となりました。

 私(日蓮大聖人)は、その後も、ますます菩提心を強盛にして、正法を申しました。
 すると、ますます大難が重なっていく事は、あたかも、大風によって、大波が起こ
っていくような状況でした。

 昔、威音王仏の世に御出現された不軽菩薩が杖木で責められたことに対しても、「我
が身に、過去世からの罪が存在するためである。」ということを、私(日蓮大聖人)
は認知させられました。
 また、歓喜増益仏の末の世に御出現された覚徳比丘がお受けになられた大難に対し
ても、「私(日蓮大聖人)受けた大難には及ばない。」と、思われます。

 日本六十六箇国・島二つの中において、一日・片時たりとも、如何なる地において
も、私(日蓮大聖人)の住むべき場所はなかったのであります。

 昔は二百五十戒の戒律を持って、忍辱の行を積んだ羅喉羅(釈尊の十大弟子の御一
人・密行第一)のような持戒の聖人でも、富楼那(釈尊の十大弟子の御一人・説法第
一)のような智者でも、日蓮に会ったならば、悪口を吐きます。

 根が正直であって、魏徴(唐の太宗皇帝の諫臣)や忠仁公(清和天皇の摂政であっ
た藤原良房)のような賢者等でも、日蓮を見れば、理を曲げて、非道を行います。

 ましてや、世間の一般の人々は、私(日蓮大聖人)に対して、あたかも、犬が猿を
見た時のように、猟師が鹿を追い込めた時のように接しています。

 日本国の中には、一人として、「彼(日蓮大聖人)の言うことには、理由があるの
だろう。」と、云う人がいません。
 それも、道理でしょう。

 人々は、念仏を申しています。
 ところが、私(日蓮大聖人)は、その人たちと向かい合うたびに、「念仏は、無間
地獄に堕ちる。」と、言っています。
 
 また、人々は、真言を尊んでいます。
 ところが、私(日蓮大聖人)は、「真言は、国を亡ぼす悪法である。」と、言って
います。

 そして、国主は、禅宗を尊んでいます。
 ところが、日蓮は、「禅宗は、天魔の所為である。」と、言っています。

 故に、自ら招いた禍でありますので、日本国の人々が私(日蓮大聖人)を罵ったと
しても、咎めてはおりません。たとえ、咎めたとしても、相手は、一人ではありませ
ん。

 そして、人々から殴打されたとしても、痛くはありません。
 何故なら、私(日蓮大聖人)は、当初から、難を受けることを承知していたからで
す。

 私(日蓮大聖人)は、このようにして、ますます身命も惜しまずに、力を尽くして、
謗法を責めました。
 すると、禅僧数百人・念仏者数千人・真言師百千人が、或いは奉行に付いたり、或
いは権力者に付いたり、或いは権力者の女房に付いたり、或いは後家尼御前(権力者
の未亡人)等に付いて、無尽の(あらゆる)讒言を為しました。

 最終的には、「日蓮は、天下第一の大事である日本国を失わせようと呪詛している
法師である。日蓮は、故最明寺殿(北条時頼)や極楽寺殿(北条重時)のことを、『無
間地獄に堕ちた。』と申している法師である。御尋問をされるまでもない。直ちに、
首を斬るべきである。日蓮の弟子たちに対しても、或いは首を斬ったり、或いは遠国
に流罪したり、或いは牢に入れるべきである。」と、尼御前たちがお怒りになったの
で、そのまま刑が執行されたのであります。
 
 去る文永八年〈辛未〉九月十二日の夜は、相模の国・龍口の地において、首を斬ら
れるはずでした。
 ところが、どうしたことでしょうか。
 その夜は生き延びて、依智(現在の神奈川県厚木市依知)という所へ移送されました。

 また、文永八年九月十三日の夜には、「日蓮が赦免されるだろう。」と、多くの者
が騒いでいました。
 ところが、どうしたことでしょうか。
 佐渡の国まで流されることになりました。

 佐渡の国においては、「今日、日蓮の首を斬るだろう。」「明日、日蓮の首を斬る
だろう。」と云われている間に、四年の歳月が経過しました。
 結局、文永十一年〈太歳甲戌〉二月十四日に赦免されて、文永十一年三月二十六日
に鎌倉へ入りました。

 そして、文永十一年四月八日には、平左衛門尉に見参(面会)して、様々な事を申
しつけました。(注、日蓮大聖人の三度目の国家諫暁)
 その際に、私(日蓮大聖人)は、「今年中に、必ず、蒙古が押し寄せて来るであろ
う。」と、平左衛門尉に申しておきました。

 そして、文永十一年五月十二日に鎌倉を出て、この山(身延山)に入りました。
 私(日蓮大聖人)は、偏(ひとえ)に、父母の恩・師匠の恩・三宝の恩・国恩を報
じようとするために、我が身を破り、命を捨てたのです。
 けれども、身命が失われなかったので、この山(身延山)へ入ることにしました。

 また、賢人の習いとして、「三度、国を諫めたとしても、用いられることがなけれ
ば、山林に交わりなさい。」と、云われています。
 これは、古代からの定説であります。 
 
 この功徳は、必ずや、上は三宝(仏・法・僧)から、下は大梵天王・帝釈天王・大
日天王・大月天王までも、ご存知のことでしょう。
 私(日蓮大聖人)の父母も、故道善房の聖霊も、助かることでしょう。

 ただし、疑問に思うことがあります。

 目連尊者は、母の青提女を助けようと思いました。けれども、青提女は、餓鬼道に
墜ちてしまいました。
 大覚世尊の御子であっても、善星比丘は、阿鼻地獄へ墜ちてしまいました。

 これらの事例は、「仮に、その人を、力の限り、救おうと思ったとしても、自業自
得の結果であるものは、救い難い。」ということを意味しています。

 故道善房は、大切な弟子のことですから、「日蓮が憎い。」とは思わなかったので
しょう。
 けれども、極めて臆病である上に、「清澄寺を離れたくない。」と、執着した人(道
善房)であります。

 「地頭の東条景信が恐ろしい。」と、道善房は云っていました。
 また、提婆達多と瞿伽利(注、提婆達多を師匠として、舎利弗や目連を誹謗したた
め、地獄に堕ちた釈迦族の者)との関係のような、円智と実成(注、二人とも、日蓮
大聖人に敵対した清澄寺の住僧と思われる。)が清澄寺の上と下に居て、道善房は脅
されていました。

 それらのことを必要以上に恐れて、愛おしいと思う年頃の弟子等さえも捨ててしま
った人(道善房)ですから、「後生は、如何なるものになるのか。」と、疑っていま
す。

 ただ一つの救いは、東条景信と円智・実城が先に死亡したことです。
 それによって、道善房は、何らかの救済になったと思われます。
 けれども、彼等(東条景信・円智・実城)は、法華経の十羅刹女の責めを被って、
早々に亡くなったのであります。

 後に、道善坊は、少しだけ、法華経を信じるようになりました。
 しかし、それは、喧嘩をした後の乳切木(護身用の棒)のようなものです。また、
昼の灯火のようなものです。
 それらは、時機を逸してしまえば、何の役にも立ちません。

 その上、如何なる事があったとしても、子や弟子等に対しては、不便に思うもので
あります。
 力のない人ではなかったにも関わらず、佐渡国まで流されていた私(日蓮大聖人)
の許を一度も訪れなかった事は、道善房が法華経を信じていなかった証しになるでし
ょう。

 それにしても、嘆かわしいことでありますので、彼の人(道善房)の御死去の報せ
を聞いた際には、仮に、火の中に入ったとしても、水の中に沈んだとしても、道中を
走り続けたとしても、清澄寺へ行きたかったのです。

 「御墓を叩いて、法華経を一巻読誦しよう。」と、私(日蓮大聖人)は、強く思い
ました。

 けれども、賢人の習いとして、自分(日蓮大聖人)の心の中では、遁世(隠遁の身)
と思っていなくても、世間の人は、私(日蓮大聖人)のことを、遁世(隠遁の身)と
認識しているでしょうから、見境もなく走り出したならば、「最後まで、意志を通す
ことの出来ない人だ。」と、思うに違いありません。
 
 ならば、如何に、私(日蓮大聖人)が道善房のことを思っていたとしても、参上す
るべきではありません。

 ただし、各々御二人(浄顕房・義浄房)は、日蓮が幼少であった頃の師匠でいらっ
しゃいます。
 勤操僧正・行表僧正は、伝教大師の御師でありました。ところが、後になると、返
って、伝教大師の御弟子となられています。
 私(日蓮大聖人)と浄顕房・義浄房の関係は、それと同様です。

 日蓮が東条景信に憎まれて、清澄山を出た際に、私(日蓮大聖人)を追って、浄顕
房・義浄房が清澄山を忍び出られたことは、天下第一の法華経の御奉公であります。
 故に、後生に対して、疑いをお持ちになってはなりません。

 質問致します。

 法華経一部・八巻・二十八品の中において、何物が肝心になるのでしょうか。

 お答えします。

 華厳経の肝心は、大方広仏華厳経です。
 阿含経の肝心は、仏説中阿含経です。
 大集経の肝心は、大方等大集経です。
 般若経の肝心は、摩訶般若波羅蜜経です。
 双観経の肝心は、仏説無量寿経です。
 観経の肝心は、仏説観無量寿経です。
 阿弥陀経の肝心は、仏説阿弥陀経です。
 涅槃経の肝心は、大般涅槃経です。

 このように、一切経においては、皆、『如是我聞』(注、仏教の経典の冒頭には、
共通して、『如是我聞→是くの如く、我は聞いた。』と記されている。)の語句の
上に記された題目が、その経の肝心となっています。
          
 大乗経は大乗経なりに、小乗経は小乗経なりに、それぞれの経典の題目を以て、肝
心としています。
 大日経・金剛頂経・蘇悉地経等においても、また、同様であります。

 仏も、また、同様のことが云えます。
 大日如来・日月燈明仏・燃燈仏・大通仏・雲雷音王仏等々、これらの仏も、また、
その御名前の内に、種々の徳を備えられていらっしゃいます。

 今、この法華経においても、また、同様であります。
 法華経序品第一の冒頭の『如是我聞』の上にお記しになられた、『妙法蓮華経』の
五字は、即ち、法華経一部・八巻の肝心であり、また、一切経の肝心であり、そして、
一切の諸仏・菩薩・二乗(声聞・縁覚)・天・人・修羅・竜神等の頂上の正法であり
ます。
       
 質問致します。

 『南無妙法蓮華経』と、その意味を理解していない者が題目を唱えていたとします。
 その一方で、『南無大方広仏華厳経』と、その意味を理解していない者が題目を唱
えていたとします。

 これらの二つの行為は、同等になるのでしょうか。また、その題目を唱える功徳に、
浅深の差別があるのでしょうか。

 お答えします。
 それらの二つの行為の功徳には、浅深等の差別があります。

 疑問があります。
 その根拠は、如何なるものでしょうか。

 お答えします。

 小河は、露・涓(しずく)・井(井戸水)・渠(溝水)・江(入り江の水)等を収
めることは出来ます。けれども、大河を収めることは出来ません。
 大河は、露・涓(しずく)・井(井戸水)・渠(溝水)・江(入り江の水)、及び、
小河を収めることは出来ます。けれども、大海を収めることは出来ません。

 阿含経は、露・涓(しずく)・井(井戸水)・渠(溝水)・江(入り江の水)等を
収めた小河のようなものです。
 方等経・阿弥陀経・大日経・華厳経等は、小河を収めた大河のようなものです。

 それに対して、法華経は、露・涓(しずく)・井(井戸水)・渠(溝水)・江(入
り江の水)・小河・大河・天雨等の一切の水を、一滴たりとも漏らさぬ大海となりま
す。

 それを譬えると、身体に熱のある者が大寒水の辺(ほとり)で寝ていれば、涼しく
感じます。けれども、小水の辺(ほとり)で臥しているだけでは、依然として、身体
が苦しいようなものです。

 五逆罪(殺父・殺母・殺阿羅漢・出仏身血・破和合僧)の謗法を犯した大一闡提人
(注、正法を信ずることなく、覚りを求める心もないため、成仏する機縁を持たない
人)が、阿含経・華厳経・観無量寿経・大日経等の小水の辺(ほとり)で臥している
だけでは、大罪の大熱を冷ますことが出来ません。

 しかし、法華経の大雪山の上に臥したならば、五逆罪・正法誹謗・一闡提等の大熱
は、忽(たちま)ちに退散するのであります。
 
 ならば、愚者(機根の乏しい末法の衆生)は、必ず、法華経を信ずるべきでありま
す。
 各々の経典の題目を唱えること自体は、易しい行為です。それは、何れの経典の題
目を唱える場合でも、同じです。
 けれども、愚者と智者が題目を唱える功徳には、天地雲泥の差があります。

 (注、上記は、「たとえ、愚者であったとしても、法華経の題目を唱える者の功徳
は勝れている。しかし、智者であったとしても、爾前経の題目を唱える者の功徳は劣
っている。」という意味。)

 それを譬えると、大きな綱は、大きな力を持っている者であっても、切り難いので
す。
 しかし、小さな力しか持っていなくても、小刀を持っていれば、容易に、大きな綱
を切ることが出来ます。

 同様に、堅い石を、鈍刀で切ろうとすると、大きな力を持っている者であっても、
割り難いのです。
 しかし、利剣を持っていれば、小さな力しか持っていなくでも、割ることが出来ます。
 
 更に譬えると、たとえ、成分を知らなくても、薬を服すれば、病は治癒します。
 しかし、単なる食物を服しただけでは、病が治癒しません。

 また、仙薬(不老不死の薬)を飲めば、寿命を延ばすことが出来ます。
 けれども、凡薬(凡庸な効能の薬)を飲んだだけでは、病を癒せたとしても、寿命
を延ばすことが出来ません。
   
 疑問があります。
 法華経二十八品の中において、何が肝心となるのでしょうか。

 お答えします。

 ある者は、「法華経の各品は、皆、それぞれの事情に従って、肝心となる。」と、
云っています。

 ある者は、「方便品第二・如来寿量品第十六が肝心となる。」と、云っています。

 ある者は、「方便品第二が肝心となる。」と、云っています。

 ある者は、「如来寿量品第十六が肝心となる。」と、云っています。

 ある者は、「方便品第二の『開・示・悟・入』の法門(注、衆生に対して、仏の知
見を開かせ、示し、悟らせ、入らしめること。)が肝心となる。」と、云っています。

 ある者は、「方便品第二の『諸法実相』の法門(注、十界の諸法が、悉く、実相の
当体であり、妙法蓮華経の当体であること。)が肝心となる。」と、云っています。
     
 質問致します。
 あなたのお考えは、如何でしょうか。

 お答えします。
 「南無妙法蓮華経が肝心となる。」ということです。

 その証拠は、如何なるものでしょうか。

 お答えします。
 阿難尊者と文殊師利菩薩等は、『如是我聞』(注、是くの如く、我は聞いた。)等
と、云われています。それが、証拠となります。

 質問致します。
 その真意は、如何なるものでしょうか。

 お答えします。

 法華経が御説法されていた八年の間、阿難尊者と文殊師利菩薩は、この法華経の無
量の義を、一句・一偈・一字も残すことなく、御聴聞されています。
 そして、阿難尊者と文殊師利菩薩は、仏(釈尊)の御入滅後、仏典結集をなされて
います。

 九百九十九人の阿羅漢が筆に墨をつけていた際に、阿難尊者と文殊師利菩薩は、『妙
法蓮華経』と(阿羅漢に)書かせてから、『如是我聞』と(阿難尊者と文殊師利菩薩
が)お唱えになりました。

 この仏典結集の所行こそ、「『妙法蓮華経』の五字は、法華経一部・八巻・二十八
品の肝心となる。」ということへの証拠であります。

 故に、過去の日月灯明仏の時代から、法華経を講じていたと云われている、光宅寺
の法雲法師は、「『如是』とは、将(まさ)に、所聞(仏から聞いた教え)を伝えよ
うとして、経典の最前の題目に、法華経一部全体の法門を提示しているのである。」
等と、云われています。

 霊鷲山において、法華経を目の当たりに聴聞されたと云われている、天台大師は、
『如是』とは、所聞(仏から聞いた教え)の法体である。」等と、仰せになられてい
ます。

 章安大師は、このように、仰せになられています。

 「記者(天台大師の法門を御解釈された章安大師)は、このように、解釈して云う。
『思うに、序王(天台大師の序文)は、法華経の『玄意』(深い意味)を述べられて
いる。そして、法華経の『玄意』(深い意味)は、法華経の『文心』(経文の心)を
述べられている。」と。

 この章安大師の御解釈において、「『文心』とは、題目である。そして、題目は、
法華経の心である。」ということが云われています。

 妙楽大師は、『法華玄義釈籤』において、「釈尊御一代の教法を収めることは、法
華経の『文心』より出ていることである。」等と、仰せになられています。
 
 天竺(インド)には、七十箇国があります。その総名は、月氏国と云います。

 日本には、六十箇国があります。その総名は、日本国と云います。

 『月氏』という名の内に、七十箇国、及び、その国々の人間や家畜や珍宝等が、皆、
入っています。

 『日本』という名の内に、六十六箇国があります。
 出羽国の鷲の羽も、奥州(東北)の金も、及び、国の珍宝や人間や家畜も、そして、
寺塔も神社も、皆、『日本』という二字の名の内に収まっています。

 
 天眼(天人の眼)を以て、『日本』という二字を見れば、日本の六十六箇国、及び、
その国々の人間や家畜等を見ることが出来ます。

 法眼(仏法の眼)を以て、『日本』という二字を見れば、人間や家畜等がこちらで
死んでいたり、あちらで生まれたりしている状況を見ることが出来ます。

 それを譬えると、人の声を聞いて体格を把握したり、足跡を見て身体の大小を推測
するようなものであります。
 そして、蓮を見れば、池の大小を計る事が出来ます。また、雨を見れば、竜の大き
さを考えられます。

 これらの事例には、皆、「一つの物事に、一切が含有されている。」という道理が
示されております。

 阿含経の題目には、概ね、一切の法門があるようにも見えます。
 けれども、ただ、小乗の釈迦仏が一仏いらっしゃるだけで、その他の仏は説かれて
いません。

 また、華厳経・観無量寿経・大日経等には、一切の法門があるようにも見えます。
 けれども、二乗(声聞・縁覚)を仏に成す法門(二乗作仏)と、久遠実成(注、法
華経本門の如来寿量品第十六において、釈尊が五百塵点劫という久遠の昔に、法身・
報身・応身の三身を備えられた仏に成道されていた真実を明かされたこと。)の釈迦
仏が説かれていません。

 それを例えると、花が咲くだけで、果実が実らないようなものです。
 雷が鳴るだけで、雨が降らないようなものです。
 鼓を叩いても、音が鳴らないようなものです。
 眼があっても、物を見ることが出来ないようなものです。
 女性であっても、子供を産めないようものです。
 人間であっても、命がなく、また、神(魂)がないようなものです。

 大日如来の真言・薬師如来の真言・阿弥陀如来の真言・観世音菩薩の真言等も、ま
た、同様のことであります。
    
 それらの経典(爾前経)の中においては、あたかも、大王・須弥山・日月・良薬・
如意宝珠・利剣等のように扱われています。
 けれども、法華経の題目と対比すれば、天地雲泥の勝劣が存在するだけでなく、そ
れらの経典(爾前経)のいずれにおいても、当初から備えていた自用(はたらき)が
失われます。

 それを例えると、多くの星の光が、一つの日輪(太陽)に奪われるようなものです。
 たくさんの鉄が一つの磁石によって、鉄の特質が失われるために、引き寄せられる
ようなものです。
 大剣が小火の中に入れられると、その用(特性)を失うようなものです。
 牛乳・驢乳(ロバの乳)等が、師子王の乳に出会えば、水と成るようなものです。
 多くの狐が術を使っても、一匹の犬に遭遇すれば、その術の力を失うようなもので
す。
 狗犬(小犬)が小虎に遭遇すると、顔色が変わるようなものです。

 南無妙法蓮華経と唱えるならば、南無阿弥陀仏の用(はたらき)も、南無大日真言
の用(はたらき)も、観世音菩薩の用(はたらき)も、一切の諸仏・諸経・諸菩薩の
用(はたらき)も、皆、悉く、妙法蓮華経の用(はたらき)によって、失なわれます。
 
 それらの経々は、妙法蓮華経の用(はたらき)用を借りなければ、皆、無駄なもの
となってしまいます。
 それは、当時(現在)、眼の前にある道理であります。

 日蓮が南無妙法蓮華経と弘めれば、南無阿弥陀仏の用(はたらき)は、あたかも、
月が隠れるように、潮が干いていくように、秋冬に草が枯れるように、氷が太陽の光
で溶けるように、その用(はたらき)が失われていく様子を見なさい。

 質問致します。

 もし、本当に、この法(妙法蓮華経)が尊いとするならば、何故に、迦葉・阿難・
馬鳴・竜樹・無著・天親・南岳・天台・妙楽・伝教等は、あたかも、善導が南無阿弥
陀仏を勧めて、漢土(中国)へ弘通したように、また、慧心・永観・法然が日本国を、
皆、阿弥陀仏の信仰に為したように、お勧めにならなかったのでしょうか。

 お答えします。

 この難(論難)は、古くからの難(論難)であります。
 今に始まった事ではありません。

 馬鳴菩薩・竜樹菩薩等は、仏(釈尊)の御入滅後六百年・七百年頃に、御出現され
た大論師であります。
 これらの人々が世に出られて、大乗経を弘通されると、諸々の小乗の者が疑って、
このように云いました。

 「迦葉・阿難等は、仏(釈尊)の御入滅後二十年から四十年ほど御存命になられて、
正法を弘められた理由は、如来(釈尊)御一代の肝心を弘通されるためであろう。

 ところが、これらの人々(馬鳴菩薩・竜樹菩薩等)は、ただ、如来(釈尊)の『苦・
空・無常・無我』の法門だけに特化して、法門を説いている。
 今、如何に、馬鳴・竜樹等が賢かったとしても、迦葉・阿難等に対して、勝るもの
ではない。〈これが第一の論難〉

 迦葉は、仏(釈尊)にお会いになられて、解脱(覚り)を得られた人である。
 しかし、これらの人々(馬鳴菩薩・竜樹菩薩等)は、仏(釈尊)にお会いになって
いない。〈これが第二の論難〉

 インドの外道は、『常・楽・我・浄』の法門を立てている。
 それに対して、仏(釈尊)は、世に御出現なされて、『苦・空・無常・無我』と、
お説きになられている。
 ところが、この者ども(馬鳴菩薩・竜樹菩薩等)は、『常・楽・我・浄』と云って
いる。〈これが第三の論難〉」と。
 
 そこで、仏(釈尊)も御入滅になられました。
 また、迦葉等もお亡くなりになりましたので、第六天の魔王が小乗の者どもの身に
入れ替わって、「仏法を破り、外道の法と為してしまおう。」と、しているのであり
ます。

 それ故に、「仏法の怨敵に対しては、頭を割れ、首を切れ、命を断て、食物を止め
よ、国を追放せよ。」と、諸の小乗の人々が申していました。

 けれども、馬鳴菩薩・竜樹菩薩は、ただ、一人・二人であります。
 馬鳴菩薩・竜樹菩薩は、昼夜に渡って、悪口の声を聞き、朝暮に渡って、杖や木で
撲たれたました。
     
 しかしながら、この二人(馬鳴菩薩・竜樹菩薩)は、仏(釈尊)の御使いでありま
す。

 まさしく、摩耶経においては、「仏滅後六百年に馬鳴が出現して、仏滅後七百年に
竜樹が出現するであろう。」と、お説きになられています。
 その上、楞伽経等にも、同様の事柄が記されています。
 また、付法蔵経においても、同様の事柄が記されているのは、申し上げるに及びま
せん。

 けれども、諸の小乗の者どもは、それらの経典の御記述を用いずに、ただ、理不尽
に、馬鳴菩薩・竜樹菩薩を責めたのであります。

 法華経法師品第十においては、「如来現在・猶多怨嫉・況滅度後」(如来の御在世
でさえ、なお、怨嫉が多い。ましてや、御入滅の後には、尚更である。)と、仰せに
なられています。

 馬鳴菩薩・竜樹菩薩は、上記の経文の意義を、この時に当たって、少々、御自身の
罪障を知ることにより、身読なされたのであります。
 提婆菩薩が外道に殺されたり、師子尊者が首を斬られたことも、この事例を以て、
推察していきなさい。

 また、仏滅後・一千五百余年において、月氏(インド)の東の方角に、漢土(中国)
という国がありました。
 その国(漢土)の『陳』・『隋』の時代に、天台大師が御出世なさっていらっしゃ
います。

 この人(天台大師)は、このように仰いました。

 「如来(釈尊)の聖教には、大乗教もあれば小乗教もある。顕教もあれば密教もあ
る。権教(爾前経)もあれば実教(法華経)もある。

 迦葉・阿難等は、一向に(もっぱら)、小乗教を弘めた。

 馬鳴・竜樹・無著・天親等は、権大乗教を弘めて、実大乗教の法華経については、
ただ、指を指(さ)して、法義を隠されていた。

 或いは、法華経の表面的なことだけを述べられて、法華経の始・中・終(全体)に
ついては述べられなかった。

 或いは、法華経の迹門のことだけを述べられて、法華経の本門については説き顕さ
れなかった。

 或いは、法華経の本門と迹門のことを説かれていても、法華経の観心(注、一念三
千の法門のこと。末法においては、事の一念三千・三大秘法の御本尊となる。)につ
いては説かれていなかった。」と。

 すると、漢土(中国)における南三・北七の十家の流れを汲む末弟(学者・僧侶)
数千万人は、一時に、どっと嘲笑しました。

 そして、南三・北七の十家の流れを汲む、末弟(学者・僧侶)数千万人は、こう云
いました。

 「世も末になると、不思議なことを云う法師が出現するものだ。

 時によっては、我等を偏執する(執拗に中傷する)者がいたとしても、後漢の永平
十年〈丁卯〉の年(仏法が中国に伝来した年)から、今、陳・隋の時代に至るまでの
三蔵・人師二百六十余人に対して、『物を知らない。』と申した上に、『謗法の者で
ある。悪道に墜ちた。』と云う者(天台大師)が出現した。

 この者(天台大師)は、あまりにも狂氣じみているために、法華経を持って来られ
た鳩摩羅什三蔵に対しても、『物を知らない者だ。』と申している。」と。

 また、南三・北七の十家の流れを汲む、末弟(学者・僧侶)数千万人は、このよう
に、天台大師を罵りました。

 「漢土(中国)のことは、さて、置いたとしても、この者(天台大師)は、月氏(イ
ンド)の大論師である、竜樹・天親等の数百人の四依の菩薩(注、仏滅後に、正法を
護持・弘通して、人々の拠りどころとなる四種の菩薩のこと。)に対しても、『未だ
に、実義を述べられていない。』と云っている。

 この者(天台大師)を殺そうとする人がいたとしても、鷹を殺すようなものだ。
 鬼を殺すよりも、この者(天台大師)を殺した方が有益である。」と。

 また、妙楽大師の時代には、月氏(インド)から、法相宗・真言宗が渡来してきま
した。
 そして、漢土(中国)においても、華厳宗が開かれました。
 妙楽大師は、それらの宗派の者を、とにかく責められたので、これもまた、騒ぎに
なりました。

 日本国においては、仏滅後・一千八百年に当たる頃、伝教大師が御出現なされまし
た。

 伝教大師は、天台大師の御注釈書を御覧になられた上で、欽明天皇の時代から二百
六十余年間に及ぶ、南都六宗の教えを責められました。
 すると、南都六宗の者どもは、「釈尊御在世当時の外道や、漢土(中国)の道士(道
教の僧)が、日本に出現した。」と云って、伝教大師を誹謗しました。

 そして、伝教大師は、「仏滅後・一千八百年間において、月氏(インド)・漢土(中
国)・日本に存在しなかった、円頓の大戒(注、円頓の経典である法華経の教旨に則
った、大乗戒壇のこと。)を比叡山延暦寺に立てよう。」と、仰せになられました。

 それのみならず、伝教大師は、「西国(九州)・筑紫国の観音寺の戒壇、東国(関
東)・下野国の小野寺の戒壇、中国(近畿)・大和国の東大寺の戒壇は、いずれも同
様に、小乗教の臭糞の戒壇である。その価値は、瓦や石程度のものである。その戒を
持つ法師等は、野干(狐)や猿猴(猿)等の如き存在である。」と、仰せになられま
した。

 それに対して、南都六宗の者どもは、このように、伝教大師を罵りました。

 「たいへん不思議なことではないか。法師(僧侶)に似た大蝗虫(イナゴ)が、国
に出現した。仏教の苗は、一時にして、失われてしまうだろう。

 殷の紂王・夏の桀王(注、いずれも、中国の悪王として知られる。)が法師(僧侶)
となって、日本に生まれたのである。
 仏教を破壊した、後周の宇文(武帝)・唐の武宗が、再び、世に出現したのである。

 仏法も、ただ今、まさに、失われてしまうだろう。この国も、滅びてしまうだろう。」
と。

 このように、大乗教と小乗教の二種類の法師が同時期に出現した状況は、あたかも、
修羅と帝釈天王、秦の項羽と漢の高祖を、一国に並べたような模様でした。
 
 そして、諸の人々は、手を叩き、舌を震わせながら、このように、伝教大師を罵り
合っていました。

 「仏(釈尊)の御在世には、仏(釈尊)と提婆達多との間で、二つの戒壇に関する
争い事があったため、若干の人々が死んだ。
 そのため、他宗(天台宗以外の宗派)に背くことには、理解が出来る。

 しかし、我々の師匠である天台大師でさえもお立てにならなかった、円頓の戒壇(注、
円満かつ速やかに成仏する教法の戒壇=法華経の戒壇)を、伝教が『建立するべきで
ある。』と主張していることは、誠に、不思議ではないか。

 何と、恐ろしいことであろう。何と、恐ろしいことであろう。」と。

 それでも、経文には、明確に、戒壇建立の意義がお説きになられています。
 そのため、比叡山の大乗戒壇(法華経の戒壇)は、既(弘仁14年・823年)に、
建立されたのであります。
     
 従って、内証(心中の覚り)が同じであったとしても、その方々が流布された教法
の価値としては、迦葉尊者・阿難尊者よりも、馬鳴菩薩・竜樹菩薩等の方が勝れてい
ます。
 また、馬鳴菩薩等よりも、天台大師の方が勝れています。
 そして、天台大師よりも、伝教大師の方が超越されています。(注、天台大師が建
立出来なかった法華経の戒壇を、伝教大師が比叡山に建立されたため。)

 つまり、「世が末になると、人の智慧は浅くなり、仏教は深くなる。」ということ
です。
 それを例えると、軽病には凡薬(通常の薬)で済んだとしても、重病には仙薬(不
老不死の薬)が必要となるようなものです。
 そして、弱い人には、強い味方がいることによって、助けることが出来るようなも
のです。

 質問致します。
 天台大師・伝教大師が弘通されなかった正法があるのでしょうか。

 お答えします。
 有ります。

 求めて、質問致します。
 それは、何物でしょうか。

 お答えします。
 三つあります。

 末法のために、仏(釈尊)が留め置かれた正法です。
 それは、迦葉尊者・阿難尊者等や、馬鳴菩薩・竜樹菩薩等や、天台大師・伝教大師
等が弘通されなかった正法となります。

 求めて、質問致します。
 その形貌(形や姿)は、如何なるものでしょうか。

 お答えします。

 一つには、日本及び一閻浮提(世界全体)が、一同に、本門の教主釈尊(人法一箇
の大御本尊)を本尊とするべきであります。 
 所謂、宝塔(注、法華経見宝塔品第十一において、虚空会の儀式で涌出した七宝の
塔。)の内に在す、釈迦如来・多宝如来・その他の諸仏、並びに、上行菩薩等の地涌
の四菩薩が脇士となります。

 二つには、本門の戒壇であります。

 三つには、日本・漢土(中国)・月氏(インド)・一閻浮提(世界全体)において、
人ごとに、智慧のある者・智慧のない者を区別することなく、一同に、他事(他の教
えや修行)を捨てて、南無妙法蓮華経と唱えるべきであります。
        
 しかし、この事(本門の本尊・本門の戒壇・本門の題目)は、未だに、広まってい
ません。
 一閻浮提(世界中)の内で、仏滅後・二千二百二十五年の間、一人も唱えておりま
せん。 
 日蓮一人だけが、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と、声も惜しまずに、唱えて
いるのであります。

 そのことを例えると、風の強さによって、波に大小が生じたり、薪の量によって、
炎の高低があったり、池によって、蓮の大小が異なったりするようなものです。

 また、雨の大小は、竜によって定まります。
 そして、「根が深ければ、枝が茂る。水源が遠ければ、川の流れは長い。」と、云
われていることも、同様の事例になります。

 周の時代が七百年も続いた要因は、文王(周王朝の創始者である武王の父)が『礼
孝』を重んじたからであります。
 その一方、秦の時代が長く続かなかったのは、始皇(始皇帝)の左道(誤った政治)
に因るものです。

 日蓮の慈悲が広大であるならば、南無妙法蓮華経は、末法万年の他、未来までも流
れていくことでしょう。
 日本国の一切衆生の盲目を開いていく功徳があります。それによって、無間地獄へ
の道を塞ぎます。
 この功徳は、伝教大師・天台大師を超えて、竜樹菩薩・迦葉尊者にも勝れています。

 極楽における百年の修行の功徳は、穢土(娑婆世界)における一日の功徳に及びま
せん。
 正像二千年(正法時代・像法時代の二千年間)の弘通は、末法の一時の弘通に劣り
ます。
 
 これは、ひとえに、日蓮の智慧が賢いからではありません。末法という『時』の必
然性であります。
 春には花が咲き、秋には果実が実り、夏は暖かく、冬は冷たくなります。
 『時』の必然性があるからこそ、季節が運行しているのではないでしょうか。

 法華経薬王菩薩本事品第二十三においては、「私(釈尊)が入滅した後、後の五百
年の間(末法)に、広宣流布をして、閻浮提(世界中)において、悪魔・魔民・諸の
天竜・夜叉・鳩槃荼(鬼神)等に隙を与えることによって、この教えが断絶するよう
なことがあってはならない。」等と、仰せになられています。

 もし、この経文が空しいものとなってしまうのであれば、法華経において、成仏の
記別(注、仏が未来世における弟子の成仏を明らかにすること)が与えられていたと
しても、舎利弗は、華光如来となる事が出来ません。

 迦葉尊者も、光明如来となる事が出来ません。
 目連尊者も、多摩羅跋栴檀香仏となる事が出来ません。
 阿難尊者も、山海慧自在通王仏となる事が出来ません。
 摩訶波闍波提比丘尼も、一切衆生喜見仏となる事が出来ません。
 耶輸陀羅比丘尼も、具足千万光相仏となる事が出来ません。

 そして、法華経で説かれた『三千塵点』(注、法華経迹門でお説きになられた、久遠
の三千塵点劫の過去のこと。)も戯論となり、『五百塵点』(注、法華経本門でお説き
になられた、久遠の五百塵点劫の過去のこと。)も妄語となるでしょう。

 恐らく、教主釈尊は無間地獄に堕ちて、多宝如来は阿鼻地獄の炎にむせび、十方の諸
仏は八大地獄を栖として、一切の菩薩は百三十六の地獄の苦しみを受けることになるで
しょう。

 何故に、そのような義(仮説)が成り立つのでしょうか。
 そのような義(仮説)が成り立たないのであれば、日本国の人々は、一同に、南無妙
法蓮華経と唱えることになります。

 ならば、咲いた花は、根に返っていきます。果実の真味(成分)は、土に留まります。
 この功徳は、故道善房(日蓮大聖人の師匠)の聖霊の御身に集まることでしょう。

 南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。

 建治二年〈太歳丙子〉七月二十一日、この書を記しました。

 甲州(山梨県)波木井の郷・身延山の岳より、安房国・東条郡・清澄山在住の浄顕
房・義城房(日蓮大聖人の修業時代の兄弟子)の許へ、奉送致します。