日本国は慈覚・智証・弘法の流れなり。一人として謗法ならざる人はなし。
 但し事の心を案ずるに、大荘厳仏の末、一切明王仏の末法のごとし。
 威音王仏の末法には改悔ありしすら、猶千劫阿鼻地獄に堕つ。
 いかにいわうや、日本国の真言師・禅宗・念仏者等は一分の廻心なし。「如是展転、
至無数劫」疑ひなきものか。
 かかる謗法の国なれば天もすてぬ。天すつればふるき守護の善神もほこらをやひて
寂光の都へかへり給ひぬ。
 但日蓮計り留まり居て告げ示せば、国主これをあだみ、数百人の民に或は罵詈、或
は悪口、或は杖木、或は刀剣、或は宅々ごとにせき、或は家々ごとにをう。
 それにかなはねば、我と手をくだして二度まで流罪あり。去ぬる文永八年九月の十
二日には頚を切らんとす。
 最勝王経に云はく「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に、他方の怨賊来たっ
て国人喪乱に遭ふ」等云云。
 大集経に云はく「若しは復諸の刹利国王諸の非法を作し、世尊の声聞の弟子を悩乱
し、若しは以て毀罵し、刀杖をもって打折し、及び衣鉢種々の資具を奪ひ、若しは他
の給施に留難を作す者有らば、我等彼をして自然に卒かに他方の怨敵を起こさしめん。
及び自界の国土にも亦兵起こり、病疫飢饉し、非時に風雨し闘諍言訟せしめん。又其
の王をして久しからずして復当に己が国を亡失せしむべし」等云云。
 此等の経文のごときは、日蓮この国になくば、仏は大妄語の人、阿鼻地獄はいかで
脱れ給ふべき。
 去ぬる文永八年九月十二日に、平左衛門並びに数百人に向かって云はく、日蓮は日
本国のはしらなり。日蓮を失ふほどならば、日本国のはしらをたをすになりぬ等云云。
 此の経文に、智人を国主等、若しは悪僧等がざんげんにより、若しは諸人の悪口に
よて失にあつるならば、にはかにいくさをこり、又大風吹かせ、他国よりせむべし等
云云。
 去ぬる文永九年二月のどしいくさ、同じき十一年の四月の大風、同じき十月に大蒙
古の来たりしは、偏に日蓮がゆへにあらずや。いわうや前よりこれをかんがへたり。
誰の人か疑ふべき。
 弘法・慈覚・智証の誤り、並びに禅宗と念仏宗とのわざわいあいをこりて、逆風に
大波をこり、大地震のかさなれるがごとし。さればやうやく国をとろう。
 太政入道が国ををさへ、承久に王位つきはてて世東にうつりしかども、但国中のみ
だれにて他国のせめはなかりき。
 彼は謗法の者は国に充満せりといへども、ささへ顕はす智人なし。かるがゆへに、
なのめなりき。
 譬へば師子のねぶれるは手をつけざればほへず。迅き流れは櫓をささへざれば波た
かからず。盗人はとめざればいからず。火は薪を加へざればさかんならず。
 謗法はあれどもあらわす人なければ国もをだやかなるににたり。
 例せば日本国に仏法わたりはじめて候ひしに、始めはなに事もなかりしかども、守
屋仏をやき、僧をいましめ、堂塔をやきしかば、天より火の雨ふり、国にはうさうを
こり、兵乱つづきしがごとし。
 此はそれにはにるべくもなし。謗法の人々も国に充満せり。日蓮が大義も強くせめ
かかる。修羅と帝釈と、仏と魔王との合戦にもをとるべからず。
 金光明経に云はく「時に隣国の怨敵是くの如き念を興さん。当に四兵を具して彼の
国土を壊るべし」等云云。
 又云はく「時に王見已はって、即ち四兵を厳ひて彼の国に発向し、討罰を為さんと
欲す。我等爾の時に、当に眷属無量無辺の薬叉諸神と各形を隠して為に護助を作し、
彼の怨敵をして自然に降伏せしむべし」等云云。
 最勝王経の文、又かくのごとし。大集経云云。仁王経云云。
 此等の経文のごときんば、正法を行ずるものを国主あだみ、邪法を行ずる者のかた
うどせば、大梵天王・帝釈・日月・四天等、隣国の賢王の身に入りかわりて其の国を
せむべしとみゆ。
 例せば訖利多王を雪山下王のせめ、大族王を幻日王の失ひしがごとし。訖利多王と
大族王とは月氏の仏法を失ひし王ぞかし。漢土にも仏法をほろぼしし王、みな賢王に
せめられぬ。
 これは彼にはにるべくもなし。仏法のかたうどなるやうにて、仏法を失ふ法師のか
たうどをするゆへに、愚者はすべてしらず。智者なんども常の智人はしりがたし。天
も下劣の天人は知らずもやあるらん。
 されば漢土・月氏のいにしへのみだれよりも大きなるべし。
 法滅尽経に云はく「吾般泥オンの後、五逆濁世に魔道興盛し、魔沙門と作って吾が
道を壊乱せん。乃至、悪人転多く海中の沙の如く、善者甚だ少なくして、若しは一、
若しは二」云云。
 涅槃経に云はく「是くの如き等の涅槃経典を信ずるものは、爪上の土の如し。乃至、
是の経を信ぜざるものは、十方界の所有の地土の如し」等云云。
 此の経文は予が肝に染みぬ。当世日本国には、我も法華経を信じたり信じたり、諸
人の語のごときんば、一人も謗法の者なし。
 此の経文には、末法に謗法の者十方の地土、正法の者爪上の土等云云。経文と世間
とは水火なり。
 世間の人の云はく、日本国には日蓮一人計り謗法の者等云云。又経文には天地せり。
 法滅尽経には善者一・二人。涅槃経には信ずる者は爪上の土等云云。
 経文のごとくならば、日本国は但日蓮一人こそ爪上の土、一・二人にては候へ。経
文をや用ふべき、世間をや用ふべき。
 問うて云はく、涅槃経の文には、涅槃経の行者は爪上の土等云云。汝が義には法華
経等云云、如何。
 答へて云はく、涅槃経に云はく「法華の中の如し」等云云。妙楽大師云はく「大経
自ら法華を指して極と為す」等云云。
 大経と申すは涅槃経なり。涅槃経には法華経を極と指して候なり。
 而るを涅槃宗の人の涅槃経を法華経に勝ると申せしは、主を所従といゐ下郎を上郎
といゐし人なり。
 涅槃経をよむと申すは、法華経をよむを申すなり。譬へば、賢人は国主を重んずる
者をば、我をさぐれども悦ぶなり。涅槃経は法華経を下げて我をほむる人をば、あな
がちに敵とにくませ給ふ。
 此の例をもって知るべし。華厳経・観経・大日経等をよむ人も法華経を劣るとよむ
は、彼々の経々の心にはそむくべし。
 此をもって知るべし。法華経をよむ人の此の経をば信ずるやうなれども、諸経にて
も得道なるとをもうは、此の経をよまぬ人なり。
 例せば、嘉祥大師は、法華玄と申す文十巻造りて法華経をほめしかども、妙楽かれ
をせめて云はく「毀其の中に在り、何ぞ弘讃と成さん」等云云。
 法華経をやぶる人なり。されば嘉祥は落ちて、天台につかひて法華経をよまず、我
経をよむならば悪道まぬかれがたしとて、七年まで身を橋とし給ひき。
 慈恩大師は玄賛と申して法華経をほむる文十巻あり。
 伝教大師せめて云はく「法華経を讃むると雖も還って法華の心を死す」等云云。
 此等をもってをもうに、法華経をよみ讃歎する人々の中に無間地獄は多く有るなり。
 嘉祥・慈恩すでに一乗誹謗の人ぞかし。弘法・慈覚・智証あに法華経蔑如の人にあ
らずや。
 嘉祥大師のごとく講を廃し衆を散じて身を橋となせしも、猶や已前の法華経誹謗の
罪やきへざるらん。
 不軽軽毀の者は不軽菩薩に信伏随従せしかども、重罪いまだのこりて、千劫阿鼻に
堕ちぬ。
 されば弘法・慈覚・智証等は設ひひるがへす心ありとも、尚法華経をよむならば重
罪きへがたし。いわうやひるがへる心なし。又法華経を失ひ、真言教を昼夜に行なひ、
朝暮に伝法せしをや。
 世親菩薩・馬鳴菩薩は小をもて大を破せる罪をば、舌を切らんとこそせしか。
 世親菩薩は仏説なれども、阿含経をばたわふれにも舌の上にをかじとちかひ、馬鳴
菩薩は懺悔のために起信論をつくりて、小乗をやぶり給ひき。
 嘉祥大師は天台大師を請じ奉りて、百余人の智者の前にして、五体を地になげ、遍
身にあせをながし、紅のなんだをながして、今よりは弟子を見じ、法華経をかうぜじ、
弟子の面をまぼり法華経をよみたてまつれば、我が力の此の経を知るににたりとて、
天台よりも高僧老僧にてをはせしが、わざと人のみるとき、をひまいらせて河をこへ、
かうざにちかづきてせなかにのせまいらせ給ひて高座にのぼせたてまつり、結句御臨
終の後には、隋の皇帝にまいらせ給ひて、小児が母にをくれたるがごとくに、足をす
りてなき給ひしなり。
 嘉祥大師の法華玄を見るに、いたう法華経を謗じたる疏にはあらず。
 但法華経と諸大乗経とは、門は浅深あれども心は一つとかきてこそ候へ。此が謗法
の根本にて候か。
 華厳の澄観も、真言の善無畏も、大日経と法華経とは理は一とこそかかれて候へ。
嘉祥大師とがあらば、善無畏三蔵も脱れがたし。 
 されば善無畏三蔵は中天の国主なり。位をすてて他国にいたり、殊勝・招提の二人
にあひて法華経をうけ、百千の石の塔を立てしかば、法華経の行者とこそみへしか。
 しかれども大日経を習ひしよりこのかた、法華経を大日経に劣るとやをもひけん。
 始めはいたう其の義もなかりけるが、漢土にわたりて玄宗皇帝の師となりぬ。
 天台宗をそねみ思ふ心つき給ひけるかのゆへに、忽ちに頓死して、二人の獄卒に鉄
の縄七つつけられて閻魔王宮にいたりぬ。
 命いまだつきずといゐてかへされしに、法華経謗法とやをもひけん、真言の観念・
印・真言等をばなげすてて、法華経の今此三界の文を唱へて、縄も切れかへされ給ひ
ぬ。
 又雨のいのりををほせつけられたりしに、忽ちに雨は下りたりしかども、大風吹き
て国をやぶる。結句死し給ひてありしには、弟子等集まりて臨終いみじきやうをほめ
しかども、無間大城に堕ちにき。
 問うて云はく、何をもってかこれをしる。
 答へて云はく、彼の伝を見るに云はく「今畏の遺形を観るに、漸く加縮小し、黒皮
隠々として、骨其れ露なり」等云云。
 彼の弟子等は死後に地獄の相の顕はれたるをしらずして、徳をあぐなどをもへども、
かきあらはせる筆は畏が失をかけり。
 死してありければ、身やうやくつづまりちひさく、皮はくろし、骨あらはなり等云
云。人死して後、色の黒きは地獄の業と定むる事は仏陀の金言ぞかし。
 善無畏三蔵の地獄の業はなに事ぞ。
 幼少にして位をすてぬ。第一の道心なり。月氏五十余箇国を修行せり。慈悲の余り
に漢土にわたれり。
 天竺・震旦・日本・一閻浮提の内に真言を伝へ鈴をふる、この人の徳にあらずや。
いかにとして地獄に堕ちけると、後生ををもはん人々は御尋ねあるべし。
 又金剛智三蔵は南天竺の大王の太子なり。金剛頂経を漢土にわたす。其の徳善無畏
のごとし。又互ひに師となれり。
 而るに金剛智三蔵勅宣によて雨の祈りありしかば七日が中に雨下る。天子大いに悦
ばせ給ふほどに、忽ちに大風吹き来たる。王臣等けうさめ給ひて、使ひをつけて追は
せ給ひしかども、とかうのべて留まりしなり。
 結句は姫宮の御死去ありしに、いのりをなすべしとて、身の代に殿上の二の女子七
歳になりしを薪につみこめて、焼き殺せし事こそ無慙にはをぼゆれ。而れども姫宮も
いきかへり給はず。
 不空三蔵は金剛智と月支より御ともせり。此等の事を不審とやをもひけん。畏と智
と入滅の後、月氏に還りて竜智に値ひ奉り、真言を習ひなをし、天台宗に帰伏してあ
りしが、心計りは帰れども、身はかへる事なし。
 雨の御いのりうけ給はりたりしが、三日と申すに雨下る。天子悦ばせ給ひて我と御
布施ひかせ給ふ。
 須臾ありしかば、大風落ち下りて内裏をも吹きやぶり、雲閣月卿の宿所一所もある
べしともみへざりしかば、天子大いに驚きて宣旨なりて風をとどめよ。且らくありて
は又吹き又吹きせしほどに、数日が間やむことなし。結句は使ひをつけて追ふてこそ、
風もやみてありしか。
 此の三人の悪風は、漢土日本の一切の真言師の大風なり。
 さにてあるやらん。去ぬる文永十一年四月十二日の大風は、阿弥陀堂加賀法印、東
寺第一の智者の雨のいのりに吹きたりし逆風なり。
 善無畏・金剛智・不空の悪法をすこしもたがへず伝へたりけるか。心にくし、心に
くし。
 弘法大師は去ぬる天長元年の二月大旱魃のありしに、先には守敏祈雨して七日が内
に雨を下らす。但し京中にふりて田舎にそそがず。
 次に弘法承け取りて一七日に雨氣なし、二七日に雲なし。三七日と申せしに、天子
より和氣真綱を使者として、御幣を神泉苑にまいらせたりしかば、雨下る事三日。
 此をば弘法大師並びに弟子等、此の雨をうばひとり、我が雨として、今に四百余年、
弘法の雨という。
 慈覚大師の夢に日輪をいしと、弘法大師の大妄語に云へる、弘仁九年の春大疫をい
のりしかば、夜中に大日輪出現せりと云云。
 成劫より已来住劫の第九の減、已上二十九劫が間に、日輪夜中に出でしという事な
し。
 慈覚大師は夢に日輪をいるという。内典五千七千、外典三千余巻に日輪をいるとゆ
めにみるは、吉夢という事有りやいなや。
 修羅は帝釈をあだみて日天をいたてまつる。其の矢かへりて我が眼にたつ。
 殷の紂王は日天を的にいて身を亡ぼす。
 日本の神武天皇の御時、度美長と五瀬命と合戦ありしに、命の手に矢たつ。
 命の云はく、我はこれ日天の子孫なり。日に向かひ奉りて弓をひくゆへに、日天の
せめをかをほれりと云云。
 阿闍世王は仏に帰しまいらせて、内裏に返りてぎょしんなりしが、をどろいて諸臣
に向かって云はく、日輪天より地に落つとゆめにみる。
 諸臣の云はく、仏の御入滅か云云。須跋陀羅がゆめ又かくのごとし。
 我が国は殊にいむべきゆめなり。神をば天照という、国をば日本という。又教主釈
尊をば日種と申す。摩耶夫人日をはらむとゆめにみてまうけ給へる太子なり。    
 慈覚大師は大日如来を叡山に立てて釈迦仏をすて、真言の三部経をあがめて法華経
の三部の敵となりしゆへに、此の夢出現せり。
 例せば漢土の善導が、始めは密州の明勝といゐし者に値ひて法華経をよみたりしが、
後には道綽に値ひて法華経をすて観経に依りて疏をつくり、法華経をば千中無一、念
仏をば十即十生・百即百生と定めて、此の義を成ぜんがために、阿弥陀仏の御前にし
て祈誓をなす。仏意に叶ふやいなや、毎夜夢の中に常に一の僧有り、来たって指授す
と云云。乃至一経法の如くせよ。乃至観念法門経等云云。
 法華経には「若し法を聞く者有れば一として成仏せざるなし」と。
 善導は「千の中に一も無し」等云云。法華経と善導とは水火なり。
 善導は観経をば十即十生・百即百生と。無量義経に云はく、観経は「未だ真実を顕
はさず」等云云。無量義経と楊柳房とは天地なり。
 此を阿弥陀仏の僧と成りて、来たって真なりと証せば、あに真事ならんや。抑阿弥
陀は法華経の座に来たりて、舌をば出だし給はざりけるか。観音・勢至は法華経の座
にはなかりけるか。
 此をもてをもへ、慈覚大師の御夢はわざわひなり。
 問うて云はく、弘法大師の心経の秘鍵に云はく「時に弘仁九年の春天下大疫す。爰
に皇帝自ら黄金を筆端に染め、紺紙を爪掌に握って、般若心経一巻を書写し奉り給ふ。
予講読の撰に範りて経旨の宗を綴り、未だ結願の詞を吐かざるに、蘇生の族途に彳ず
む。夜変じて日光赫々たり。是愚身の戒徳に非ず、金輪の御信力の所為なり。但神舎
に詣でん輩は此の秘鍵を誦し奉れ。昔、予、鷲峰説法の莚に陪して、親しく其の深文
を聞きたてまつる。豈其の義に達せざらんや」等云云。
 又孔雀経の音義に云はく「弘法大師帰朝の後、真言宗を立てんと欲し、諸宗を朝廷
に群集す。即身成仏の義を疑ふ。大師智拳の印を結びて南方に向ふに、面門俄に開い
て金色の毘盧遮那と成り、即便本体に還帰す。入我我入の事、即身頓証の疑ひ、此の
日釈然たり。然るに真言瑜伽の宗、秘密曼荼羅の道、彼の時より建立しぬ」と。
 又云はく「此の時に諸宗の学徒大師に帰して、始めて真言を得て、請益し習学す。
三論の道昌、法相の源仁、華厳の道雄、天台の円澄等、皆其の類なり」と。
 弘法大師の伝に云はく「帰朝泛舟の日発願して云はく、我が所学の教法若し感応の
地有らば、此の三鈷其の処に到るべしと。仍って日本の方に向かって三鈷を抛げ上ぐ
るに遥かに飛んで雲に入る。十月に帰朝す」云云。
 又云はく「高野山の下に入定の所を占む。乃至、彼の海上の三鈷今新たに此に在り」
等云云。
 此の大師の徳無量なり。其の両三を示す。かくのごとくの大徳あり。いかんが此の
人を信ぜずして、かへて阿鼻地獄に堕つるといはんや。
 答へて云はく、予も仰いで信じ奉る事かくのごとし。但し古の人々も不可思議の徳
ありしかども、仏法の邪正は其れにはよらず。  
 外道が或は恒河を耳に十二年留め、或は大海をすひほし、或は日月を手ににぎり、
或は釈子を牛羊となしなんどせしかども、いよいよ大慢ををこして、生死の業とこそ
なりしか。
 此をば天台云はく「名利を邀め見愛を増す」とこそ釈せられて候へ。
 光宅が忽ちに雨を下らし須臾に花を感ぜしをも、妙楽は「感応此くの如くなれども
猶理に称はず」とこそかかれて候へ。
 されば天台大師の法華経をよみて須臾に甘雨を下らせ、伝教大師の三日が内に甘露
の雨をふらしてをはせしも、其れをもって仏意に叶ふとはをほせられず。
 弘法大師いかなる徳ましますとも、法華経を戯論の法と定め、釈迦仏を無明の辺域
とかかせ給へる御ふでは、智慧かしこからん人は用ふべからず。いかにいわうや、上
にあげられて候徳どもは不審ある事なり。
 「弘仁九年の春天下大疫」等云云。春は九十日、何れの月何れの日ぞ、是一。
 又弘仁九年には大疫ありけるか、是二。
 又「夜変じて日光赫々たり」云云。此の事第一の大事なり。弘仁九年は嵯峨天皇の
御宇なり。左史右史の記に載せたりや、是三。
 設ひ載せたりとも信じがたき事なり。成劫二十劫・住劫九劫・已上二十九劫が間に
いまだ無き天変なり。
 夜中に日輪の出現せる事如何。又如来一代の聖教にもみへず。未来に夜中に日輪出
づべしとは、三皇五帝の三墳五典にも載せず。
 仏経のごときんば、減劫にこそ、二つの日三つの日乃至七つの日は出づべしとは見
ゆれども、かれは昼のことぞかし。夜日出現せば東西北の三方は如何。
 設ひ内外の典に記せずとも、現に弘仁九年の春、何れの月、何れの日、何れの夜の、
何れの時に日出づるという。公家・諸家・叡山等の日記あるならば、すこし信ずるへ
んもや。
 次下に「昔、予、鷲峰説法の莚に陪して、親しく其の深文を聞く」等云云。
 此の筆を人に信ぜさせしめんがために、かまへ出だす大妄語か。
 されば霊山にして法華経は戯論、大日経は真実と仏の説き給ひけるを、阿難・文殊
が誤りて妙法華経をば真実とかけるか、いかん。
 いうにかいなき淫女、破戒の法師等が歌をよみて雨らす雨を、三七日まで下らさざ
りし人は、かかる徳あるべしや、是四。
 孔雀経の音義に云はく「大師智拳の印を結んで南方に向かふに、面門俄かに開いて
金色の毘廬遮那と成る」等云云。
 此又何れの王、何れの年時ぞ。
 漢土には建元を初めとし、日本には大宝を初めとして緇素の日記、大事には必ず年
号のあるが、これほどの大事にいかでか王も臣も年号も日時もなきや。
 又次に云はく「三論の道昌・法相の源仁・華厳の道雄・天台の円澄」等云云。
 抑円澄は寂光大師、天台第二の座主なり。其の時何ぞ第一の座主義真、根本の伝教
大師をば召さざりけるや。
 円澄は天台第二の座主、伝教大師の御弟子なれども、又弘法大師の弟子なり。
 弟子を召さんよりは、三論・法相・華厳よりは、天台の伝教・義真の二人を召すべ
かりけるか。
 而も此の日記に云はく「真言瑜伽の宗、秘密曼荼羅道彼の時より建立しぬ」等云云。
 此の筆は伝教・義真の御存生かとみゆ。  
 弘法は平城天皇大同二年より弘仁十三年までは盛んに真言をひろめし人なり。其の
時は此の二人現にをはします。又義真は天長十年までをはせしかば、其の時まで弘法
の真言はひろまらざりけるか。かたがた不審あり。
 孔雀経の疏は、弘法の弟子真済が自記なり、信じがたし。又邪見の者が公家・諸家
・円澄の記をひかるべきか。又道昌・源仁・道雄の記を尋ぬべし。
 「面門俄かに開いて金色の毘盧遮那と成る」等云云。
 面門とは口なり、口の開けたりけるか。眉間開くとかかんとしけるが誤りて面門と
かけるか。ぼう書をつくるゆへにかかるあやまりあるか。
 「大師智拳の印を結んで南方に向かふに、面門俄かに開いて、金色の毘盧遮那と成
る」等云云。
 涅槃経の五に云はく「迦葉、仏に白して言さく、世尊、我今是の四種の人に依らず。
何を以ての故に。瞿師羅経の中の如き、仏瞿師羅が為に説きたまはく、若し、天・魔・
梵、破壊せんと欲するが為に変じて仏の像となり、三十二相八十種好を具足し荘厳し、
円光一尋面部円満なること猶月の盛明なるがごとく、眉間の毫相白きこと珂雪に踰え、
乃至、左の脇より水を出だし右の脇より火を出だす」等云云。
 又六の巻に云はく「仏迦葉に告げたまはく、我般涅槃して、乃至、後是の魔波旬漸
く当に我が之の正法を沮壊すべし。乃至、化して阿羅漢の身及び仏の色身と作り、魔
王此の有漏の形を以て無漏の身と作り、我が正法を壊らん」等云云。
 弘法大師は法華経を華厳経・大日経に対して戯論等云云。而も仏身を現ず。此涅槃
経には魔、有漏の形をもって仏となって、我が正法をやぶらんと記し給ふ。
 涅槃経の正法は法華経なり。
 故に経の次下の文に云はく「久しく已に成仏す」と。又云はく「法華の中の如し」
等云云。
 釈迦・多宝・十方の諸仏は一切経に対して、法華経は真実、大日経等の一切経は不
真実等云云。
 弘法大師は仏身を現じて、華厳経・大日経に対して、法華経は戯論等云云。
 仏説まことならば弘法は天魔にあらずや。
 又三鈷の事、殊に不審なり。漢土の人の日本に来たりてほりいだすとも信じがたし。
已前に人をやつかわしてうづみけん。いわうや弘法は日本の人、かかる誑乱其の数多
し。
 此等をもって仏意に叶ふ人の証拠とはしりがたし。
 されば此の真言・禅宗・念仏等やうやくかうなり来たる程に、人王第八十二代尊成
隠岐の法王、権太夫殿を失はんと年ごろはげませ給ひけるゆへに、国主なればなにと
なくとも、師子王の兎を伏するがごとく、鷹の雉を取るやうにこそあるべかりし上、
叡山・東寺・園城・奈良・七大寺・天照太神・正八幡・山王・加茂・春日等に数年が
間、或は調伏、或は神に申させ給ひしに、二日三日だにもささへかねて、佐渡国・阿
波国・隠岐国等にながし失せて終にかくれさせ給ひぬ。
 調伏の上首御室は、但東寺をかへらるるのみならず、眼のごとくあひせさせ給ひし
第一の天童勢多伽が頚切られたりしかば、調伏のしるし還著於本人のゆへとこそ見へ
て候へ。 
 これはわづかの事なり。此の後定んで日本国の国臣万民一人もなく、乾草を積みて
火を放つがごとく、大山のくづれて谷をうむるがごとく、我が国他国にせめらるる事
出来すべし。