夫老狐は塚をあとにせず。白亀は毛宝が恩をほうず。畜生すらかくのごとし、いわ
うや人倫をや。
 されば古の賢者予譲といゐし者は剣をのみて智伯が恩にあて、こう演と申せし臣下
は腹をさひて、衛の懿公が肝を入れたり。
 いかにいわうや、仏教をならはん者の父母・師匠・国恩をわするべしや。
 此の大恩をほうぜんには、必ず仏法をならひきはめ、智者とならで叶ふべきか。誓
へば衆盲をみちびかんには、生盲の身にては橋河をわたしがたし。方風を弁へざらん
大舟は、諸商を導きて宝山にいたるべしや。
 仏法を習ひ極めんとをもわば、いとまあらずば叶ふべからず。いとまあらんとをも
わば、父母・師匠・国主等に随ひては叶ふべからず。
 是非につけて、出離の道をわきまへざらんほどは、父母・師匠等の心に随ふべから
ず。
 この義は諸人をもわく、顕にもはづれ冥にも叶ふまじとをもう。しかれども、外典
の孝経にも、父母・主君に随はずして忠臣・孝人なるやうもみえたり。
 内典の仏経に云はく「恩を棄て無為に入るは真実報恩の者なり」等云云。
 比干が王に随はずして賢人のなをとり、悉達太子の浄飯大王に背きて三界第一の孝
となりしこれなり。
 かくのごとく存じて、父母・師匠等に随はずして仏法をうかがいし程に、一代聖教
をさとるべき明鏡十あり。
 所謂、倶舎・成実・律宗・法相・三論・真言・華厳・浄土・禅宗・天台法華宗なり。
 此の十宗を明師として一切経の心をしるべし。世間の学者等をもえり、此の十の鏡
はみな正直に仏道の道を照らせりと。
 小乗の三宗はしばらくこれををく。民の消息の是非につけて、他国へわたるに用な
きがごとし。
 大乗の七鏡こそ、生死の大海をわたりて浄土の岸につく大船なれば、此を習ひほど
ひて我がみも助け、人をもみちびかんとおもひて習ひみるほどに、大乗の七宗いづれ
もいづれも自讃あり。我が宗こそ、一代の心はえたれえたれ等云云。
 所謂、華厳宗の杜順・智厳・法蔵・澄観等、法相宗の玄奘・慈恩・智周・智昭等、
三論宗の興皇・嘉祥等、真言宗の善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証等、禅宗
の達磨・慧可・慧能等、浄土宗の道綽・善導・懐感・源空等。
 此等の宗々みな本経本論によりて、我も我も一切経をさとれり、仏意をきはめたり
と云云。
 彼の人々の云はく、一切経の中には華厳経第一なり。法華経・大日経等は臣下のご
とし。
 真言宗の云はく、一切経の中には大日経第一なり。余経は衆星のごとし。
 禅宗が云はく、一切経の中には楞伽経第一なり。乃至余宗かくのごとし。
 而も上に挙ぐる諸師は、世間の人々各々おもえり。諸天の帝釈をうやまひ、衆星の
日月に随ふがごとし。
 我等凡夫はいづれの師なりとも信ずるならば不足あるべからず。仰いでこそ信ずべ
けれども、日蓮が愚案はれがたし。
 世間をみるに、各々我も我もといへども国主は但一人なり。二人となれば国土おだ
やかならず。家に二の主あれば其の家必ずやぶる。
 一切経も又かくのごとくや有るらん。何れの経にてもをはせ、一経こそ一切経の大
王にてはをはすらめ。
 而るに十宗七宗まで各々諍論して随はず。国に七人十人の大王ありて、万民をだや
かならじ、いかんがせんと疑ふところに、一つの願を立つ。我八宗十宗に随はじ。
 天台大師の専ら経文を師として、一代の勝劣をかんがへしがごとく、一切経を開き
みるに、涅槃経と申す経に云はく「法に依って人に依らざれ」等云云。
 依法と申すは一切経、不依人と申すは仏を除き奉りて外の普賢菩薩・文殊師利菩薩
乃至上にあぐるところの諸の人師なり。
 此の経に又云はく「了義経に依って、不了義経に依らざれ」等云云。
 此の経に指すところ、了義経と申すは法華経、不了義経と申すは華厳経・大日経・
涅槃経等の已今当の一切経なり。
 されば仏の遺言を信ずるならば、専ら法華経を明鏡として、一切経の心をばしるべ
きか。
 随って法華経の文を開き奉れば「此の法華経は諸経の中に於て最も其の上に在り」
等云云。
 此の経文のごとくば、須弥山の頂に帝釈の居るがごとく、輪王の頂に如意宝珠のあ
るがごとく、衆木の頂に月のやどるがごとく、諸仏の頂に肉髻の住せるがごとく、此
の法華経は華厳経・大日経・涅槃経等の一切経の頂上の如意宝珠なり。
 されば専ら論師・人師をすてて経文に依るならば、大日経・華厳経等に法華経の勝
れ給へることは、日輪の青天に出現せる時、眼あきらかなる者の天地を見るがごとく、
高下宛然なり。
 又大日経・華厳経等の一切経をみるに、此の経文に相似の経文一字一点もなし。
 或は小乗経に対して勝劣をとかれ、或は俗諦に対して真諦をとき、或は諸の空仮に
対して中道をほめたり。
 譬へば、小国の王が我が国の臣下に対して大王というがごとし。法華経は諸王に対
して大王等と云云。
 但涅槃経計りこそ法華経に相似の経文は候へ。
 されば天台已前の南北の諸師は迷惑して、法華経は涅槃経に劣ると云云。
 されども専ら経文を開き見るには、無量義経のごとく華厳・阿含・方等・般若等の
四十余年の経々をあげて、涅槃経に対して我がみ勝るととひて、又法華経に対する時
は「是の経の出世は、乃至、法華の中の八千の声聞に記別を授くることを得て、大果
実を成ずるが如く、秋収冬蔵して更に所作無きが如し」等云云。
 我と涅槃経は、法華経には劣るととける経文なり。
 かう経文は分明なれども、南北の大智の諸人の迷ふて有りし経文なれば、末代の学
者能く能く眼をとどむべし。
 此の経文は、但法華経・涅槃経の勝劣のみならず、十方世界の一切経の勝劣をもし
りぬべし。
 而るを経文にこそ迷ふとも、天台・妙楽・伝教大師の御れうけんの後は、眼あらん
人々はしりぬべき事ぞかし。
 然れども、天台宗の人たる慈覚・智証すら猶此の経文にくらし。いわうや余宗の人
々をや。
 或る人疑って云はく、漢土・日本にわたりたる経々にこそ、法華経に勝れたる経は
をはせずとも、月氏・竜宮・四王・日月・トウリ天・トソツ天なんどには、恒河沙の
経々ましますなれば、其の中に法華経に勝れさせ給ふ御経やましますらん。
 答へて云はく、一をもって万を察せよ。庭戸を出でずして天下をしるとはこれなり。
 癡人が疑って云はく、我等は南天を見て東西北の三空を見ず。彼の三方の空に此の
日輪より外の別の日やましますらん。山を隔て煙の立つを見て、火を見ざれば煙は一
定なれども火にてやなかるらん。
 かくのごとくいはん者は一闡提の人としるべし。生き盲にことならず。
 法華経の法師品に、釈迦如来金口の誠言をもて五十余年の一切経の勝劣を定めて云
はく「我が所説の経典は無量千万億にして、已に説き今説き当に説かん。而も其の中
に於て此の法華経は最も為れ難信難解なり」等云云。
 此の経文は但釈迦如来一仏の説なりとも、等覚已下は仰ぎて信ずべき上、多宝仏東
方より来たりて真実なりと証明し、十方の諸仏集まりて釈迦仏と同じく広長舌を梵天
に付け給ひて後、各々国々へかへらせ給ひぬ。
 已今当の三字は、五十年並びに十方三世の諸仏の御経の一字一点ものこさず引き載
せて、法華経に対して説かせ給ひて候を、十方の諸仏此の座にして御判形を加へさせ
給ひ、各々又自国に還らせ給ひて、我が弟子等に向かはせ給ひて、法華経に勝れたる
御経ありと説かせ給はば、其の土の所化の弟子等信用すべしや。
 又我は見ざれば、月氏・竜宮・四天・日月等の宮殿の中に、法華経に勝れさせ給ひ
たる経やおはしますらんと疑ひをなさば、反詰して云へ、されば、今の梵釈・日月・
四天・竜王は、法華経の御座にはなかりけるか、若し日月等の諸天、法華経に勝れた
る御経まします、汝はしらず、と仰せあるならば、大誑惑の日月なるべし。
 日蓮せめて云はく、日月は虚空に住し給へども、我等が大地に処するがごとくして
堕落し給はざる事は、上品の不妄語戒の力ぞかし。法華経に勝れたる御経ありと仰せ
ある大妄語あるならば、恐らくはいまだ壊劫にいたらざるに、大地の上にどうとおち
候はんか。無間大城の最下の堅鉄にあらずば留まりがたからんか。大妄語の人は須臾
も空に処して四天下を廻り給ふべからずと、せめたてまつるべし。
 而るを華厳宗の澄観等、真言宗の善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証等の大
智の三蔵・大師等の、華厳経・大日経等は法華経に勝れたりと立て給ふは、我等が分
斉には及ばぬ事なれども、大道理のをす処は、豈諸仏の大怨敵にあらずや。
 提婆・瞿伽梨もものならず、大天・大慢外にもとむべからず。彼の人々を信ずる輩
はをそろしをそろし。
 問うて云はく、華厳の澄観・三論の嘉祥・法相の慈恩・真言の善無畏、乃至弘法・
慈覚・智証等を、仏の敵との給ふか。
 答へて云はく、此大なる難なり。仏法に入りて第一の大事なり。愚眼をもて経文を
見るには、法華経に勝れたる経ありといはん人は、設ひいかなる人なりとも謗法は免
れじと見えて候。
 而るを経文のごとく申すならば、いかでか此の諸人仏敵たらざるべき。若し又をそ
れをなして指し申さずば、一切経の勝劣空しかるべし。
 又此の人々を恐れて、末の人々を仏敵といはんとすれば、彼の宗々の末の人々の云
はく、法華経に大日経をまさりたりと申すは我私の計らひにはあらず、祖師の御義な
り。戒行の持破、智慧の勝劣、身の上下はありとも、所学の法門はたがふ事なしと申
せば、彼の人々にとがなし。
 又日蓮此を知りながら人々を恐れて申さずば、「寧喪身命不匿教者」の仏陀の諫暁
を用ひぬ者となりぬ。いかんがせん、いはんとすれば世間をそろし、黙止さんとすれ
ば仏の諫暁のがれがたし。進退此に谷まれり。
 宜なるかなや、法華経の文に云はく「而も此の経は如来の現在にすら猶怨嫉多し、
況んや滅度の後をや」と。又云はく「一切世間怨多くして信じ難し」等云云。
 釈迦仏を摩耶夫人はらませ給ひたりければ、第六天の魔王、摩耶夫人の御腹をとを
し見て、我等が大怨敵法華経と申す利剣をはらみたり。事の成ぜぬ先にいかにしてか
失ふべき。
 第六天の魔王、大医と変じて浄飯王宮に入り、御産安穏の良薬を持ち候大医ありと
ののしりて、毒を后にまいらせつ。
 初生の時は石をふらし、乳に毒をまじへ、城を出でさせ給ひしかば黒き毒蛇と変じ
て道にふさがり、乃至提婆・瞿伽利・波瑠璃王・阿闍世王等の悪人の身に入りて、或
は大石をなげて仏の御身より血をいだし、或は釈子をころし、或は御弟子等を殺す。
 此等の大難は皆遠くは法華経を仏世尊に説かせまいらせじとたばかりし、如来現在
猶多怨嫉の大難ぞかし。此等は遠き難なり。
 近き難には舎利弗・目連・諸大菩薩等も四十余年が間は、法華経の大怨敵の内ぞか
し。
 況滅度後と申して、未来の世には又此の大難よりもすぐれてをそろしき大難あるべ
しと、とかれて候。
 仏だにも忍びがたかりける大難をば凡夫はいかでか忍ぶべき。いわうや在世より大
なる大難にてあるべかんなり。
 いかなる大難か、提婆が長三丈、広さ一丈六尺の大石、阿闍世王の酔象にはすぐべ
きとはをもへども、彼にもすぐるべく候なれば、小失なくとも大難に度々値ふ人をこ
そ、滅後の法華経の行者とはしり候わめ。
 付法蔵の人々は四依の菩薩、仏の御使ひなり。
 提婆菩薩は外道に殺され、師子尊者は檀弥羅王に頭を刎ねられ、仏陀密多・竜樹菩
薩等は赤幡を七年・十二年さしとをす。馬鳴菩薩は金銭三億がかわりとなり、如意論
師はをもひじにに死す。
 此等は正法一千年の内なり。
 像法に入って五百年、仏滅後一千五百年と申せし時、漢土に一人の智人あり。始め
は智ギ、後には智者大師とがうす。
 法華経の義をありのままに弘通せんと思ひ給しに、天台已前の百千万の智者しなじ
なに一代を判ぜしかども、詮じて十流となりぬ。所謂南三北七なり。
 十流ありしかども一流をもて最とせり。所謂南三の中の第三の光宅寺の法雲法師こ
れなり。
 此の人は一代の仏教を五にわかつ。其の五つの中に三経をえらびいだす。所謂華厳
経・涅槃経・法華経なり。
 一切経の中には華厳経第一、大王のごとし。涅槃経第二、摂政関白のごとし。第三
法華経は公卿等のごとし。此より已下は万民のごとし。
 此の人は本より智慧かしこき上、慧観・慧厳・僧柔・慧次なんど申せし大智者より
習ひ伝へ給はるのみならず、南北の諸師の義をせめやぶり、山林にまじわりて法華経
・涅槃経・華厳経の功をつもりし上、梁の武帝召し出だして、内裏の内に寺を立て、
光宅寺となづけて此の法師をあがめ給ふ。
 法華経をかうぜしかば、天より花ふること在世のごとし。
 天監五年に大旱魃ありしかば、此の法雲法師を請じ奉りて法華経を講ぜさせまいら
せしに、薬草喩品の「其雨普等・四方倶下」と申す二句を講ぜさせ給ひし時、天より
甘雨下りたりしかば、天子御感のあまりに現に僧正になしまいらせて、諸天の帝釈に
つかえ、万民の国王ををそるるがごとく、我とつかへ給ひし上、或人夢みらく、此の
人は過去の灯明仏の時より法華経をかうぜる人なり。
 法華経の疏四巻あり。
 此の疏に云はく「此の経未だ碩然ならず」と。亦云はく「異の方便」等云云。
 正しく法華経はいまだ仏理をきわめざる経と書かれて候。
 此の人の御義、仏意に相ひ叶ひ給ひければこそ、天より花も下り雨もふり候ひけら
め。
 かかるいみじき事にて候ひしかば、漢土の人々、さては法華経は華厳経・涅槃経に
は劣るにてこそあるなれと思ひし上、新羅・百済・高麗・日本まで此の疏ひろまりて、
大体一同の義にて候ひしに、法雲法師御死去ありていくばくならざるに、梁の末、陳
の始めに、智ギ法師と申す小僧出来せり。
 南岳大師と申せし人の御弟子なりしかども、師の義も不審にありけるかのゆへに、
一切経蔵に入って度々御らんありしに、華厳経・涅槃経・法華経の三経に詮じいだし、
此の三経の中に殊に華厳経を講じ給ひき。
 別して礼文を造りて日々に功をなし給ひしかば、世間の人おもはく、此の人も華厳
経を第一とおぼすかと見えしほどに、法雲法師が、一切経の中に、華厳第一・涅槃第
二・法華第三と立てたるが、あまりに不審なりける故に、ことに華厳経を御らんあり
けるなり。
 かくて一切経の中に、法華第一・涅槃第二・華厳第三と見定めさせ給ひてなげき給
ふやうは、如来の聖教は漢土にわたれども、人を利益することなし。かへりて一切衆
生を悪道に導びくこと、人師の誤りによれり。
 例せば国の長とある人、東を西といゐ、天を地といゐいだしぬれば、万民はかくの
ごとくに心うべし。後にいやしき者出来して、汝等が西は東、汝等が天は地なり、と
いわばもちうることなき上、我が長の心に叶はんがために、今の人をのりうちなんど
すべし。
 いかんがせんとはをぼせしかども、さてもだすべきにあらねば、光宅寺の法雲法師
は謗法によて地獄に堕ちぬとののしらせ給ふ。
 其の時南北の諸師はちのごとく蜂起し、からすのごとく烏合せり。
 智ギ法師をば頭をわるべきか国をうべきか、なんど申せし程に、陳主此をきこしめ
して、南北の数人に召し合わせて、我と列座してきかせ給ひき。
 法雲法師が弟子等の慧栄・法歳・慧コウ・慧ゴウなんど申せし僧正・僧都已上の人
々百余人なり。
 各々悪口を先とし、眉をあげ、眼をいからかし、手をあげ、拍子をたたく。
 而れども智ギ法師は末座に坐して、色を変ぜず、言を誤らず、威儀しづかにして、
諸僧の言を一々に牒をとり、言ごとにせめかへす。
 をしかへして難じて云はく、抑法雲法師の御義に、第一華厳・第二涅槃・第三法華
と立てさせ給ひける証文は何れの経ぞ、慥かに明らかなる証文を出ださせ給へとせめ
しかば、各々頭をうつぶせ、色を失ひて、一言の返事なし。
 重ねてせめて云はく、無量義経に正しく「次説方等十二部経・摩訶般若・華厳海空」
等云云。
 仏、我と華厳経の名をよびあげて、無量義経に対して未顕真実と打ち消し給ふ。
 法華経に劣りて候無量義経に華厳経はせめられて候。いかに心えさせ給ひて、華厳
経をば一代第一とは候ひけるぞ。
 各々御師の御かたうどせんとをぼさば、此の経文をやぶりて、此に勝れたる経文を
取り出だして、御師の御義を助け給へとせめたり。
 又涅槃経を法華経に勝ると候ひけるはいかなる経文ぞ。
 涅槃経の第十四には、華厳・阿含・方等・般若をあげて、涅槃経に対して勝劣は説
かれて候へども、またく法華経と涅槃経との勝劣はみへず。
 次上の第九の巻に、法華経と涅槃経との勝劣分明なり。
 所謂、経文に云はく「是の経の出世は、乃至、法華の中の八千の声聞、記別を受く
ることを得て大菓実を成ずるが如し、秋収冬蔵して更に所作無きが如し」等云云。
 経文明らかに諸経をば春夏と説かせ給ひ、涅槃経と法華経とをば菓実の位とは説か
れて候へども、法華経をば秋収冬蔵の大菓実の位、涅槃経をば秋の末冬の始めクン拾
の位と定め給ひぬ。此の経文、正しく法華経には我が身劣ると、承伏し給ひぬ。
 法華経の文には已説・今説・当説と申して、此の法華経は前と並びとの経々に勝れ
たるのみならず、後に説かん経々にも勝るべしと仏定め給ふ。
 すでに教主釈尊かく定め給ひぬれば疑ふべきにあらねども、我が滅後はいかんかと
疑ひおぼして、東方宝浄世界の多宝仏を証人に立て給ひしかば、多宝仏大地よりをど
り出でて、「妙法華経皆是真実」と証し、十方分身の諸仏重ねてあつまらせ給ひ、広
長舌を大梵天に付け、又教主釈尊も付け給ふ。
 然して後、多宝仏は宝浄世界えかへり、十方の諸仏各々本土にかへらせ給ひて後、
多宝・分身の仏もおはせざらんに、教主釈尊、涅槃経をといて法華経に勝ると仰せあ
らば、御弟子等は信ぜさせ給ふべしやとせめしかば、日月の大光明の修羅の眼を照ら
すがごとく、漢王の剣の諸侯の頚にかかりしがごとく、両眼をとぢ一頭を低れたり。
 天台大師の御氣色は師子王の狐兎の前に吼えたるがごとし、鷹鷲の鳩雉をせめたる
ににたり。
 かくのごとくありしかば、さては法華経は華厳経・涅槃経にもすぐれてありけりと、
震旦一国に流布するのみならず、かへりて五天竺までも聞こへ、月氏大小の諸論も智
者大師の御義には勝たれず、教主釈尊両度出現しましますか。仏教二度あらはれぬと
ほめられ給ひしなり。
 其の後天台大師も御入滅なりぬ。陳隋の世も代はりて唐の世となりぬ。章安大師も
御入滅なりぬ。
 天台の仏法やうやく習ひ失せし程に、唐の太宗の御宇に玄奘三蔵といゐし人、貞観
三年に始めて月氏に入り同十九年にかへりしが、月氏の仏法尋ね尽くして法相宗と申
す宗をわたす。此の宗は天台宗と水火なり。
 而るに天台の御覧なかりし深密経・瑜伽論・唯識論等をわたして、法華経は一切経
には勝れたれども深密には劣るという。
 而るを天台は御覧なかりしかば、天台の末学等は智慧の薄きかのゆへに、さもやと
おもう。
 又太宗は賢王なり、玄奘の御帰依あさからず。いうべき事ありしかども、いつもの
事なれば時の威をおそれて申す人なし。
 法華経を打ちかへして、三乗真実・一乗方便・五性各別と申せし事は心うかりし事
なり。
 天竺よりはわたれども、月氏の外道が漢土にわたれるか。
 法華経は方便、深密経は真実といゐしかば、釈迦・多宝・十方の諸仏の誠言もかへ
りて虚しくなり、玄奘・慈恩こそ時の生身の仏にてはありしか。
 其の後則天皇后の御宇に、前に天台大師にせめられし華厳経に、又重ねて新訳の華
厳経わたりしかば、さきのいきどをりをはたさんがために、新訳の華厳をもって、天
台にせめられし旧訳の華厳経を扶けて、華厳宗と申す宗を法蔵法師と申す人立てぬ。
 此の宗は華厳経をば根本法輪、法華経をば枝末法輪と申すなり。
 南北は一華厳・二涅槃・三法華、天台大師は一法華・二涅槃・三華厳、今の華厳宗
は一華厳・二法華・三涅槃等云云。
 其の後玄宗皇帝の御宇に、天竺より善無畏三蔵は大日経・蘇悉地経をわたす。金剛
智三蔵は金剛頂経をわたす。又金剛智三蔵の弟子あり、不空三蔵なり。
 此の三人は月氏の人、種姓も高貴なる上、人がらも漢土の僧ににず。
 法門もなにとはしらず、後漢より今にいたるまでなかりし印と真言という事をあひ
そいてゆゆしかりしかば、天子かうべをかたぶけ、万民掌をあわす。
 此の人々の義にいわく、華厳・深密・般若・涅槃・法華経等の勝劣は顕教の内、釈
迦如来の説の分なり。今の大日経等は大日法王の勅言なり。
 彼の経々は民の万言、此の経は天子の一言なり。
 華厳経・涅槃経等は大日経には梯を立てても及ばず。但法華経計りこそ大日経には
相似の経なれ。
 されども彼の経は釈迦如来の説、民の正言、此の経は天子の正言なり。言は似たれ
ども人がら雲泥なり。譬へば濁水の月と清水の月のごとし。月の影は同じけれども水
に清濁ありなんど申しければ、此の由尋ね顕はす人もなし。諸宗皆落ち伏して真言宗
にかたぶきぬ。
 善無畏・金剛智死去の後、不空三蔵又月氏にかへりて、菩提心論と申す論をわたし、
いよいよ真言宗盛りなりけり。
 但し妙楽大師と云ふ人あり。天台大師よりは二百余年の後なれども、智慧かしこき
人にて、天台の所釈を見明らめてをはせしかば、天台の釈の心は後に渡れる深密経・
法相宗、又始めて漢土に立てたる華厳宗、大日経・真言宗にも法華経は勝れさせ給ひ
たりけるを、或は智の及ばざるか、或は人を畏るか、或は時の王威をおづるかの故に
云はざりけるか。かうてあるならば天台の正義すでに失せなん。
 又陳隋已前の南北が邪義にも勝れたりとおぼして、三十巻の末文を造り給ふ。所謂、
弘決・釈籤・疏記これなり。
 此の三十巻の文は、本書の重なれるをけづり、よわきをたすくるのみならず、天台
大師の御時なかりしかば、御責めにものがれてあるやうなる法相宗と華厳宗と真言宗
とを、一時にとりひしがれたる書なり。
 又日本国には、人王第三十代欽明天皇の御宇十三年壬申十月十三日に、百済国より
一切経・釈迦仏の像をわたす。
 又用明天皇の御宇に聖徳太子仏法をよみはじめ、和氣妹子と申す臣下を漢土につか
はして、先生の所持の一巻の法華経をとりよせ給ひて持経と定め、其の後人王第三十
七代孝徳天王の御宇に、三論宗・華厳宗・法相宗・倶舎宗・成実宗わたる。
 人王四十五代に聖武天王の御宇に律宗わたる。已上六宗なり。
 孝徳より人王五十代の桓武天王にいたるまでは十四代一百二十余年が間は天台・真
言の二宗なし。