季札という者は、「一度、心に誓った約束に背くことはしない。」と決意して、王
からの重宝であった剣を、亡くなった徐国の君主の墓に掛けました。

 王寿という人は、川の水を飲んだお礼として、金貨を川の水に投げ入れました。

 公胤という人は、自らの腹を裂いて、主君の肝を入れました。

 これらの人々は賢人であり、恩を報じた人々であります。

 ましてや、舎利弗・迦葉等の偉大なる聖人は、二百五十の戒律と三千の威儀(起居動作の作法)を一つも欠かすことなく守り、見惑(理性的な迷い)と思惑(感情的な迷い)を断じて、欲界・色界・無色界の三界(迷える現実世界)を超越した聖人であります。

 そして、舎利弗・迦葉等の偉大なる聖人は、大梵天王・帝釈天王や、その他の諸天善神の導師であり、一切衆生の眼目となる存在であります。

 しかしながら、舎利弗・迦葉等の偉大なる聖人は、法華経が説かれるまでの四十余年の間、「永久に成仏出来ない。」と嫌われて、捨て去られていました。

 ところが、法華経の不死の良薬を舐めることによって、焦げた種が芽を出したり、一度割れた石が元通りに合ったり、枯木に華が咲いて実がなったりすることのように、奇跡的にも、成仏を許される旨の記別を与えられました。

 未だに、舎利弗・迦葉等の偉大なる聖人は、釈尊のような八相作仏の相を示しておりませんが、何としても、法華経に対する重恩に報いなければなりません。
 もし、法華経の重恩に報いなかったならば、季札・王寿・公胤等の賢人にも劣るどころか、不知恩の畜生に該当することでしょう。

 毛宝に助けられた亀は、救命された恩を忘れることなく、毛宝の命を救いました。

 昆明地の大魚は、漢の武帝に命を助けられた恩に報いようとして、素晴らしい珠を夜中に捧げました。

 このように、畜生でさえ、恩に報いているのであります。
 ましてや、舎利弗・迦葉等の偉大なる聖人が、恩に報いないはずがありません。

 阿難尊者は斛飯王の次男であり、羅喉羅尊者は浄飯王の孫であります。

 彼等は、世間的にも家柄が高かった上に、小乗経における阿羅漢の悟りを得た身でありながら、法華経が説かれる以前は成仏を抑えられていました。
 けれども、八年間の霊鷲山における法華経の御説法の席において、彼等は、『山海慧』『蹈七宝華』という如来の号を授けられました。

 もし、法華経が存在しなかったとすれば、如何に家柄が高く、如何に偉大なる聖人であったとしても、誰が、彼等を恭敬したのでしょうか。

 中国の夏の桀王や殷の紂王は、大国の君主であり、人民の帰依を受けていました。
 しかしながら、悪政を行って国を滅ばしたため、今でも悪者の代表として、「桀・紂(けつ・ちゅう)、桀・紂(けつ・ちゅう)」と呼ばれています。

 身分の卑しい者や癩病の者も、「貴様は、桀・紂のようだ。」と言われたならば、罵られたと思って、腹を立てるものです。

 法華経五百弟子授記品第八に御登場される千二百の声聞や、数え切れないほど多くの声聞たちは、仮に、法華経が存在しなかったとすれば、誰も、その名さえ聞くことはなかったでしょう。

 また、誰も、彼等の言葉に、耳を傾けて習うことはなかったでしょう。
 そして、千人の声聞が一切経を結集したとしても、よもや、見る人はいなかったでしょう。
 ましてや、これらの人々を絵像や木像に顕して、本尊と仰ぐことはなかったでしょう。

 これは、ひとえに、「法華経の御力によって、一切の阿羅漢たちは、人々からの帰依を受けている。」と、いうことです。

 仮に、諸の声聞たちが法華経を離れてしまったならば、魚が水を離れ、猿が木を離れ、小児が乳を離れ、民が王を離れてしまうようなものであります。

 その声聞たちが、どうして、法華経の行者を捨てることが出来るのでしょうか。

 諸の声聞たちは、爾前の経々により、肉眼に加えて、天眼・慧眼を得ました。
 また、法華経によって、法眼・仏眼を備えるようになりました。

 諸の声聞たちは、十方の隅々の世界でさえ、明らかに、照らし見ていることでしょう。
 ましてや、この婆婆世界の中において、法華経の行者(日蓮大聖人)を知見していないことがあるのでしょうか。

 たとえ、日蓮が悪人であったとして、一言・二言、一年・二年、一劫・二劫、もしくは、百千万億劫の間、諸の声聞たちを悪口・罵詈したとしても、また、刀や杖で危害を加えようとする様子があったとしても、法華経さえ信仰している行者であるならば、見捨てるはずがありません。

 譬えば、幼児が父母を罵ったとしても、父母が幼児を捨てることはありません。

 梟鳥(フクロウ)は成長すると、母を食うようになります。
 けれども、母は、子を捨てません。

 破鏡という獣は成長すると、父を殺すようになります。
 けれども、父は、子に従います。

 畜生でさえ、なお、この通りであります。
 ましてや、偉大なる聖人が、法華経の行者を見捨てることがあるのでしょうか。

 故に、四人の偉大なる声聞が、釈尊の教えを理解して述べた経文(法華経信解品第四)において、このように、仰せになられています。

 「我等は、今こそ、真の声聞である。仏道の声を以って、一切衆生に聞かせよう。

 我等は、今こそ、真の阿羅漢である。諸の世間における、天界・人界の衆生、魔王、梵天等に対して、普(あまね)く、供養を受けることが出来る。

 我等は、世尊から大恩を受けた。
 法華経をお説きになられるという希有な振る舞いによって、我等を憐れんで教化して、利益を与えてくださった。

 無量億劫(計り知れないほどの長い時間)を費やしたとしても、誰が、釈尊からの大恩に報いることが出来るのであろうか。

 また、手足を以って供給したり、頭のてっぺんを地に付けて礼拝したり、ありとあらゆる一切の物を供養したとしても、皆、釈尊からの大恩に報いることは出来ない。

 あるいは、釈尊を、頭に押し頂き、両肩に担い、ガンジス河の砂の数ほどの無量の劫(極めて長い時間)において、心を尽くして恭敬したとしても、もしくは、美味なる料理・数え切れないほどの宝の衣・多くの寝具・種々の湯薬を供養したとしても、もしくは、最高の栴檀の木や多くの珍宝によって塔を建てたり、宝の衣を地に敷いたりしても、釈尊からの大恩に報いることは出来ない。

 そして、上記の如き供養を、ガンジス河の砂の数ほどの無量の劫(極めて長い時間)において、繰り返し行ったとしても、なお、釈尊からの御恩に報いることは出来ない。」と。

 諸の声聞たちは、前四味の経々(法華経以前の爾前経)において、何度も、釈尊からの呵責を蒙り、人界・天界等の衆生が集まった御説法の中で、恥辱を受けるようなことが数え切れないほどありました。

 それ故に、迦葉尊者の泣く声は、三千世界に響き渡りました。
 須菩提尊者は、呆然として、手に持っていた鉢を捨てました。
 舎利弗は、食べていた飯を吐きました。
 富楼那は、「美しい瓶に、糞を入れるようなものだ。」と、嫌われました。

 かつて、釈尊は、鹿野苑において、阿含経を讃歎されていました。
 その上で、「二百五十の戒律を師とせよ。」と、慇懃(おんごん)に誉めておきながら、今では、いつの間にか、釈尊御自らが説かれた御説法の内容を、ここまで強く謗られるようになっています。

 故に、彼等は、「釈尊は、『二言相違』(注、前に言ったことと、後に言ったこと
が相違すること。)の失を犯されているのではないか。」と、申していました。
    
 ここで、例を挙げます。

 釈尊が提婆達多に対して、「お前は、愚か者だ。人の唾を食っているような者だ。」と、罵ったことがあります。
 そのため、提婆達多は、毒矢が胸に刺さったように思い、恨みを抱きながら、このように言いました。

 「瞿曇(釈尊)は、仏ではあり得ない。

 私(提婆達多)は、斛飯王の嫡子である。また、阿難尊者の兄でもあり、瞿曇(釈尊)の親類にも該当する。
 ならば、たとえ、どんなに悪い事があったとしても、内々に教訓すべきである。

 これほどの人界・天界等の衆生が集まった御説法の場で、これほど大いなる禍根を残すようなことを、面と向かって言う者(釈尊)は、大人や仏と呼ばれるべきであろうか。

 過去においては、妻となるべき婚約者を奪った敵である。そして、今では、一座の中で、恥をかかされた敵である。
 今日からは、どんなに生まれ変わっても、どんなに世が移っても、瞿曇(釈尊)の大怨敵となってやるのだ。」と、提婆達多は誓ったのであります。
     
 こうしたことから、「今の偉大なる声聞たちは、元々、外道であるバラモンの家の出身である。」ということに、思いが至ります。
 また、彼等は、外道の長者であったため、諸国の王に帰依されて、多くの檀那たちに尊敬されていました。
 家柄が高貴な人もいれば、富や財産が充満していた者もいました。

 ところが、彼等は、それらの輝かしい身分等を打ち捨てて、慢心の旗を下ろして、俗服を脱いで、くすんだ色の粗末な僧衣を身にまとって、白い毛の払子や弓矢等を捨てて、托鉢用の鉢を手に握り、貧乏人や乞食のような姿で、釈尊に付き奉りました。
 風雨を防ぐ家もなく、命をつなぐ衣類や食べ物にも乏しい有様でした。

 その上、全インド及び全世界の人々は、皆、外道の弟子・檀那でありました。
 故に、釈尊でさえも、九横の大難に遭遇されています。

 つまり、釈尊がお受けになられた九横の大難の中には、提婆達多から大きな石を崖の上から落とされたり、阿闍世王から酒に酔った象を放たれたり、阿耆多王から馬に食べさせる麦を供養されたり、婆羅門城で臭い米のとぎ汁を供養されたり、婆羅門女が鉢を腹に入れて、「釈尊の子供を身ごもった。」という虚言を吐いたこと等が挙げられます。

 ましてや、釈尊の弟子が難を受けた数は、申し尽くせないほどになります。

 量り知れないほど多くの釈迦族の人々は、波瑠璃王に殺されました。
 千・万の眷属は、酒に酔った象に踏み殺されました。
 華色比丘尼は、提婆達多に殺害されました。
 迦虞提(かるだい)尊者は、馬の糞に埋められました。
 目連尊者は、竹杖外道に殺害されました。
    
 その上、六師外道は一致同心して、釈尊を陥れるために、阿闍世王・波斯匿王等に対して、讒言(ざんげん)を訴えました。

 「瞿曇(釈尊)は、世界第一の大悪人である。

 瞿曇(釈尊)が行く所では、三災・七難が先立って起こる。
 その有様は、大海が多くの河川を集めたり、大山が多くの木々を集めている如くである。

 また、瞿曇(釈尊)の所には、多くの悪人が集まっている。
 つまり、迦葉・舎利弗・目連・須菩提等のことである。

 人間としての身を受けた者であるならば、忠孝を優先しなければならない。
 ところが、彼等は瞿曇(釈尊)に騙されて、父母の教訓を用いずに出家した。

 また、国王・国法の命令にも背いて、山林に篭った。
 故に、彼等は、この国に留まってはならない者どもである。

 従って、天においては、太陽・月・星々に異変が生じている。地においては、多くの災いが盛んに起きている。」と。

 声聞たちは、前記の難だけでも、耐えられるとは思えなかったのです。
 そればかりか、更なる災いが起こり、仏陀(釈尊)にさえも、付き添い難くなっていったのであります。

 なぜなら、人界・天界等の衆生が多く集まった御説法の砌に、何度も、釈尊から呵責される声を聞くたびに、どのように振る舞ったらいいのか、全くわからなくなったからです。
 声聞たちは、ただ、慌てるばかりでした。

 その上、声聞たちにとって、大いなる大難の第一には、下記のことが挙げられます。

 浄名経(維摩経)においては、「汝(声聞)に布施をする者は、福田(福徳を生ずる田)に供養するとは言えない。汝(声聞)を供養する者は、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ちる。」等と、仰せになられています。

 この経文の心は、釈尊が庵羅苑という所にいらっしゃった時に、大梵天王・帝釈天王・大日天王・大月天王・四天王等の三界の諸天善神、また、地神・竜神等、数えきれないほど多くの方々が集まった御説法の場で、「須菩提等の比丘(僧侶)を供養するような天界・人界の衆生は、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ちるであろう。」と、仰せになられたことにあります。

 このような御説法を拝聴した天界・人界の衆生たちが、果たして、迦葉・舎利弗・目連・須菩提等の声聞を供養するのでしょうか。

 結局のところは、「仏(釈尊)の御言葉によって、多くの二乗(声聞・縁覚)を殺害するのであろうか。」と、見受けられました。

 そのため、心有る人々は、仏(釈尊)のことを疎んじていました。

 これらの二乗(声聞・縁覚)の人々は、仏(釈尊)を供養し奉ったついでに、おすそ分けを貰うことによって、細々と身命を養っていたのでしょうか。

 従って、これらの事から勘案すると、仮に、釈尊が四十余年の爾前経(注、釈尊が御歳三十歳から七十二歳までの四十二年間に渡って爾前経を説かれたこと。)だけをお説きになられて、八ヶ年の法華経(注、釈尊が御歳七十二歳から八十歳までの八年間に渡って法華経を説かれたこと。)をお説きになられずに御入滅したならば、誰が、二乗(声聞・縁覚)の尊者を供養し奉ったのでしょうか。

 もし、そうであったならば、彼等は、生きながらにして、餓鬼道に堕ちたことでしょう。

 ところが、春の太陽が冷たい氷を消し去るかのように、大風が無数の草露を吹き落とすかのように、釈尊は、法華経をお説きになられる直前に説かれた無量義経において、「未だ真実を顕していない。(未顕真実)」と、仰せになられました。

 そのことによって、四十余年に渡ってお説きになられていた爾前経を、一言にして、一時にして、打ち消されました。

 また、大風が黒雲を巻き散らすかのように、大空に満月が現れるかのように、青天に太陽が輝き渡るかのように、釈尊は、法華経方便品第二において、「世尊は、久しい間、方便の法を説かれた後に、必ずや、真実の教えをお説きになられる。(世尊法久後・要当説真実)」と、仰せになられました。

 そして、釈尊から、舎利弗は『華光如来』・迦葉は『光明如来』として、成仏の記別を授けられました。

 舎利弗・迦葉等の二乗(声聞・縁覚)たちが照らし出される光景は、まるで、赫々たる太陽のように、明々たる月のように、天子の詔勅のように、明鏡のように、浮かび上がりました。

 であるからこそ、舎利弗・迦葉等の二乗(声聞・縁覚)たちは、釈尊の御入滅後において、人界・天界の多くの檀那等から、あたかも仏陀(釈尊)の如く、仰がれたのであります。

 水が澄めば、月は、その影が映し出されることを惜しみません。
 風が吹けば、草木は、靡(なび)かないことがあるのでしょうか。

 同様に、法華経の行者が在すならば、これらの二乗(声聞・縁覚)の聖者たちは、たとえ、大火の中を通り過ぎたとしても、大石の中を通り抜けたとしても、必ず、訪れて来るはずであります。

 「迦葉尊者が禅定の境地に入ったのは、将来、弥勒仏が出現される時において、仏法の弘通に努めるためである。」と、云われています。
 その逸話も、事と次第によるはずです。一体、どうなってしまったのでしょうか。

 私(日蓮大聖人)としては、「誠に不審なことである。」としか、申しようがありません。

 今は、後五百歳(末法)の時に当たらないのでしょうか。
 『広宣流布』という御言葉は、妄語となってしまうのでしょうか。
 それとも、日蓮が、法華経の行者ではないのでしょうか。

 「所詮、法華経は、『教内』(教典の内の教え)である。」と下して、「教典の外に、禅の悟りは、別に伝わっている。(教外別伝)」と称する、大妄語の者(禅宗)を守ろうとしているのでしょうか。

 また、「浄土教以外の聖道門の教えを捨てよ、閉じよ、閣け、抛て。(捨閉閣抛)」と定めた上で、『選択集』等の木版に、「法華経の門を閉じよ、法華経の経巻を投げ捨てよ。」と彫りつけて、法華堂を崩壊させる者(念仏宗)を守護しようとしているのでしょうか。

 確かに、諸天善神は、釈尊の御前において、誓願をされています。
 けれども、濁世(末法)の大難の激しさを見るにつけて、天から下りて来られないのでしょうか。

 太陽や月は、天に存在しています。
 今でも、須弥山は崩れていません。
 海の潮も、干潮・満潮を繰り返しています。
 四季も、変わることなく巡っています。

 にもかかわらず、「法華経の行者(日蓮大聖人)を守護しないのは、一体、如何なる理由であるのか。」と、大いなる疑問がますます積もり重なって参ります。

 また、諸の大菩薩や天界・人界等の衆生は、爾前経において、成仏の記別を得たように見受けられました。
 けれども、それは、あたかも、水に映った月を取ろうとしたり、影を本体と誤認するようなものでした。

 つまり、「見かけの形だけはあっても、実義(真実の意義)が備わっていない。」ということです。
 従って、彼等は、仏の御恩の深さが分かっているようでありながら、実際には、それを体得するほどの深さに達していなかったのであります。

 釈尊が初めて成道した時には、まだ、教えをお説きになられることがなかったのです。
 その際に、法慧菩薩・功徳林菩薩・金剛幢菩薩・金剛蔵菩薩等の六十人余りの大菩薩が、十方の諸仏の国土から教主釈尊の御前にお来しになって、賢首菩薩や解脱月等の菩薩の求めに応じて、十住・十行・十回向・十地等の法門を説かれました。

 これらの大菩薩が説かれた法門は、釈尊から習い奉ったものではありません。
 その際には、十方の世界から、諸の大梵天王等も来られて、法を説かれていました。
 これも、また、釈尊から習い奉った法門ではありません。

 総じて、華厳経の御説法の座における大菩薩や諸天善神や竜神等は、釈尊の教えを拝聴した時点で、既に、『不思議解脱』という境地に住していた大菩薩であります。

 彼等は、釈尊が過去世で菩薩の修行をされていた当時の御弟子でしょうか。
 それとも、十方の世界において、釈尊以前に御出現されていた仏の御弟子でしょうか。

 いずれにしても、彼等は、教主釈尊の御一代の御教導における、『始成正覚』の仏(注、今世において、釈尊が三十才の時に始めて仏の覚りを成じられたこと。)の弟子ではありません。

 釈尊は、華厳経の後に、阿含部・方等部・般若部の経典を説かれました。
 そして、蔵教(小乗の教え)・通教(権大乗の教え)・別教(深奥なる教え)・円教(円満なる真実の教え)の四教を説かれた時に、ようやく釈尊の御弟子は出来して参ります。 

 無論、これらの法門(方等部・般若部の経典)も、釈尊の御自説ではありますが、御正説(真髄の教え)が説かれた訳ではありません。

 その理由は、方等部・般若部の経典で明らかにされた別教・円教の内容が、華厳経で説かれた別教・円教の趣意を超えるものではないからです。

 しかし、華厳経で説かれた別教・円教の趣意も、法華経の教主釈尊がお説きになられた別教・円教ではなく、法慧菩薩等の大菩薩が説かれた別教・円教の段階に止まっています。

 法慧菩薩等の大菩薩は、釈尊の御弟子のように、人目には見受けられます。
 けれども、ある面では、釈尊の師匠と云っても、過言ではありません。

 何故なら、華厳経において、釈尊は、法慧菩薩等の大菩薩の説法を聞かれたことによって、彼等の悟りの智慧を確かめられた後に、方等部・般若部の御説法において、再度、別教・円教を説かれているからです。

 故に、方等部・般若部の別教・円教と、華厳経で説かれた別教・円教は、本質的な内容が変わらないことになります。
    
 従って、華厳経では、法慧菩薩等の大菩薩が、釈尊の師匠ということになっています。
 華厳経において、法慧菩薩等の大菩薩を数えられた上で、『善知識』(善き友・善き師)と説かれているのは、こういう経緯によるものです。

 つまり、『善知識』という存在は、「一方的に師匠として定まっているものでもなく、一方的に弟子として定まっているものでもない。」ということになります。

 また、蔵教(小乗の教え)・通教(権大乗の教え)に関しても、別教(深奥なる教え)・円教(円満なる真実の教え)から枝分かれした教えであります。

 故に、別教・円教を知る人は、必ず、蔵教・通教も知っていることになります。

 人にとって、『師』とは、『弟子』の知らないことを教えてこそ、『師』というものであります。

 例えば、釈尊以前の一切の人界・天界の衆生と外道の者は、二天・三仙の弟子でありました。
 外道は、九十五種まで分派していますが、所詮、三仙の思想の域を出ていません。

 教主釈尊も、当初は三仙の思想を習い学んで、外道の弟子になられていました。
 しかし、苦行・楽行を続けられて十二年経った後、『苦・空・無常・無我』という理を悟られたため、外道の弟子という立場を捨てられて、『無師智』(師を持たずに智慧を得た)と御宣言されたのであります。

 また、人界・天界の衆生も、釈尊のことを、『大師』(偉大なる師)と仰がれていました。

 そういうことから考えると、法華経以前の華厳部から般若部までの御説法においては、釈尊が法慧菩薩等の大菩薩の御弟子という立場になられます。
 それを例えると、「文殊師利菩薩は、釈尊から数えて、九代目の師匠であった。」と、云うようなものであります。

 諸の爾前経において、「釈尊は、悟りを開かれてから涅槃に入られるまで、仏として、一字たりとも説かれなかった。(不説一字)」と仰せになられているのも、そのことを意味しています。
    
 釈尊が七十二歳の御年に、マガダ国の霊鷲山という山において、無量義経をお説きになられています。

 その際に、これまでの四十余年間に説かれた主要な経典を挙げられて、また、その他の枝葉の経典を含められた上で、「これまでの四十余年間においては、未だに、真実を顕していない。(四十余年未顕真実)」と、打ち消されたのは、このことであります。

 この時、まさしく、諸の大菩薩や天界・人界等の衆生は、慌てて、「実義(真実の教え)を説かれ給え。」と、請うたのであります。

 無量義経においては、実義(真実の教え)と思われるような事が、一言、お説きになられています。
 けれども、未だに、実義(真実の教え)そのものは、お説きになられていません。

 そのことを譬えると、「月が出ようとする時、未だに、月そのものは、東の山に隠れている。また、月の光が西の山に届いたとしても、人々には、月そのものが見えない。」ということになります。
    
 法華経方便品第二において、釈尊は、『略開三顕一』(略して、声聞・縁覚・菩薩の三乗を開き、仏の一乗を顕す。)を、お説きになられました。

 その時、釈尊は、『一念三千』という御心中の本懐を、略しながら、お述べになられました。

 それは、始めての出来事でしたので、あたかも、ほととぎすの鳴き声を、寝ぼけている者が一音聞いたかのように、あるいは、月が山の端に出たものの、薄雲が覆っているかのように、微かに漂っている様子でした。

 すると、舎利弗たちは驚き、諸天善神・竜神・大菩薩たちを集めて、このように、釈尊に要請されました。

 「諸天善神・竜神等の数は、ガンジス川の砂のように多く、仏を求める多くの菩薩たちの数は八万もある。また、万・億という国から、大勢の転輪聖王が来至されている。皆が合掌・敬心を以て、具足の道を聞くことを欲している。(法華経方便品第二)」と。

 この経文の意味は、「四味・三教(法華経以前の爾前経)をお説きになられた四十余年の間において、未だに、聞いたことのない法門を拝受したい。」と、舎利弗等が要請されたことにあります。

 前記の法華経方便品第二の経文には、「具足(完全円満な教え)の道を聞くことを欲する。」と、仰せになられています。

 また、大涅槃経には、「薩とは、具足の義を意味する。」等と、仰せになられています。

 無依無得大乗四論玄義記には、「沙とは、訳して、六と云う。インドでは、六を以て、具足の意味としている。」等と、云われています。

 吉蔵の注釈書には、「沙とは、訳して、具足とする。」等と、云われています。

 天台大師の法華玄義第八巻には、「薩とは、梵語(サンスクリット語)の音写であり、中国では、妙と訳する。」等と、仰せになられています。

 竜樹菩薩は、釈尊から数えて付法蔵(付法相承)の十三番目であり、真言宗・華厳宗等の諸宗の元祖であります。
 その本地は、法雲自在王如来であります。
 また、垂迹の姿は、竜猛菩薩として、世に知られています。

 そして、菩薩地の初地の位にある大聖者(竜樹菩薩)は、『大智度論』千巻の肝心として、「薩とは、六という意味である。」等と、云われています。

 『妙法蓮華経』と云うのは、漢語であります。

 インドにおいては、『薩達磨分陀利伽蘇多攬(サダルマ・プンダリキャ・ソタラン)』と、云います。

 善無畏三蔵は、法華経の肝心の真言として、「ノウマクサンマンダボダナン(帰命普仏陀)・オン(三身如来)・アアアンナク(開示悟入)・サルバボダ(一切仏)・キノウ(知)・サキシュビヤ(見)・ギャギャノウババ(如虚空性)・アラキシャニ(離塵相也)・サツリダルマ(正法也)・フンダリキャ(白蓮華)・ソタラン(経)・ジャ(人)・ウン(遍)・バン(住)・コク(歓喜)・バザラ(堅固)・アラキシャマン(擁護)・ウン(空無相無願)・ソハカ(決定成就)」と、云っています。

 (注、上記の真言の大意は、「南無、普遍なる法身・報身・応身の三身如来よ。全ての衆生に遍く開かれ示されている悟りに入り、一切の仏の智慧を知見すれば、大空が清らかな如く、煩悩の塵から離れるであろう。そして、妙法蓮華経の教えに遍く住することにより、人々は歓喜しながら、教えを堅固に擁護することを、迷いなく決定・成就出来るであろう。」ということである。)

 これは、南インドの鉄塔の中において、竜樹菩薩から伝承された、法華経の肝心の真言であります。
    
 この法華経の真言の中に、『薩哩達磨』(サツリダルマ)と記されているのは、『正法』のことであります。

 『薩』とは、梵語(サンスクリット語)を音写した言葉であり、漢訳すると『正』になります。
 『正』は『妙』であり、『妙』は『正』であります。

 従って、『正法華』(正法華経)とも、『妙法華』(妙法蓮華経)とも、漢訳されています。
 また、『妙法蓮華経』の上に、『南無』の二字をおけば、『南無妙法蓮華経』となります。

 『妙』とは、『具足』であります。
 『六』とは、『六度万行』、すなわち、あらゆる修行のことです。
 諸の菩薩は、「あらゆる修行を具足する方法を聞きたい。」と、思われたのであります。

 『具』とは、『十界互具』であります。
 『足』とは、「一界に十界が具備されているため、それぞれの界に、他の九界が含まれており、不足することなく具備されている。」という意味になります。
 それが、『満足』の義となるのであります。
 
 そもそも、法華経は、全八巻・二十八品によって構成されており、合計・六万九千三百八十四の文字は、その一字一字が、皆、『妙』の一字を具備しております。
 また、合計・六万九千三百八十四の文字は、その一字一字が、皆、三十二相・八十種好を有する仏陀(ブッダ、仏のこと)であります。

 このように、十界のそれぞれの界において、皆、それぞれに仏界が顕れるのであります。

 妙楽大師は、『摩詞止観弘決』において、「一切衆生は、『仏果』を具している。ましてや、他の九界の『果』を具しているのは、当然のことである。」等と、云われています。

 また、法華経方便品第二において、釈尊は、「衆生に対して、仏の知見(智慧)を開かせることを欲している。」等と、お答えになられています。

 この経文で仰せになられているところの『衆生』とは、二乗(声聞・縁覚)の舎利弗等のことであり、一闡提(仏性の欠けた有情)のことであり、九法界(仏界を除いた十界のすべて)のことであります。

 それによって、「無辺に存在している衆生のすべてを救おう。」と仰せの誓願(衆生無辺誓願度)が、ここに満足(成就)したのであります。

 釈尊は、法華経方便品第二において、「私(釈尊)は、過去に誓願を立てた。それは、『一切衆生を、私(釈尊)と等しくして、異なることのないように欲する。』との誓願であった。私(釈尊)が過去に願ったことは、今、既に満足(成就)している。」等と、仰せになられています。

 諸の大菩薩や諸天善神等は、この法華経の法門をお聞きになって、「我等は、昔から、しばしば、釈尊の御説法を聞き奉ってきた。けれども、未だかつて、このように、深妙なる最上の法を聞いたことがなかった。(法華経譬喩品第三)」と、了解されました。

 伝教大師は、この法華経譬喩品第三の経文を、下記のように御解説されました。

 「前半の『我等は、昔から、しばしば、釈尊の御説法を聞き奉ってきた。』とは、『昔、法華経が説かれる以前に、華厳経等の大法が説かれることを聞き奉ってきた。』という意味である。また、後半の『けれども、未だかつて、このように深妙なる最上の法を聞いたことがなかった。』とは、『未だに、法華経の一仏乗の教えだけは、聞いたことがなかった。』という意味である。」と。

 結局、諸の大菩薩や諸天善神等は、「華厳・方等・般若・深密・大日等の数えきれないほどの諸の大乗経(爾前経)においては、釈尊御一代の教えの肝心である『一念三千』を明かされる上で、大綱・骨髄となる『二乗作仏』や『久遠実成』等の法義を、未だに、聞かされていなかった。」と、了解されたのであります。