開目抄 上 (原文・後半)


 文永九年(1272年)二月 聖寿五十一歳御著作


此に日蓮案じて云はく、世すでに末代に入って二百余年、辺土に生をうく。其の上下賎、其の上貧道の身なり。
 輪回六趣の間人天の大王と生まれて、万民をなびかす事、大風の小木の枝を吹くがごとくせし時も仏にならず。
 大小乗経の外凡内凡の大菩薩と修しあがり、一劫二劫無量劫を経て菩薩の行を立て、すでに不退に入りぬべかりし時も、強盛の悪縁におとされて仏にもならず。
 しらず、大通結縁の第三類の在世をもれたるか、久遠五百の退転して今に来たるか。
 法華経を行ぜし程に、世間の悪縁・王難・外道の難・小乗経の難なんどは忍びし程に、権大乗・実大乗経を極めたるやうなる道綽・善導・法然等がごとくなる悪魔の身に入りたる者、法華経をつよくほめあげ、機をあながちに下し、理深解微と立て、未有一人得者・千中無一等とすかししものに、無量生が間、恒河沙の度すかされて権経に堕ちぬ。権経より小乗経に堕ちぬ。外道外典に堕ちぬ。結句は悪道に堕ちけりと、深く此をしれり。
 日本国に此をしれる者、但日蓮一人なり。
 これを一言も申し出だすならば、父母・兄弟・師匠に国主の王難必ず来たるべし。
 いわずば慈悲なきににたりと思惟するに、法華経・涅槃経等に此の二辺を合はせ見るに、いわずば今生は事なくとも、後生は必ず無間地獄に堕つべし。いうならば三障四魔必ず競ひ起こるべしとしりぬ。二辺の中にはいうべし。
 王難等出来の時は、退転すべくば一度に思ひ止むべしと且くやすらいし程に、宝塔品の六難九易これなり。
 我等程の小力の者、須弥山はなぐとも、我等程の無通の者、乾草を負ふて劫火にはやけずとも、我等程の無智の者、恒沙の経々をばよみをぼうとも、法華経は一句一偈も末代に持ちがたしと、とかるるはこれなるべし。
 今度、強盛の菩提心ををこして退転せじと願じぬ。
 既に二十余年が間此の法門を申すに、日々月々年々に難かさなる。少々の難はかずしらず、大事の難四度なり。
 二度はしばらくをく、王難すでに二度にをよぶ。今度はすでに我が身命に及ぶ。
 其の上、弟子といゐ檀那といゐ、わづかの聴聞の俗人なんど来たって重科に行なはる。謀反なんどの者のごとし。
 法華経の第四に云はく「而も此の経は如来の現在すら猶怨嫉多し、況んや滅度の後をや」等云云。
 第二に云はく「経を読誦し書持すること有らん者を見て、軽賎憎嫉して、結恨を懐かん」等云云。
 第五に云はく「一切世間、怨多くして信じ難し」等云云。又云はく「諸の無智の人の悪口罵詈する有らん」等。又云はく「国王大臣婆羅門居士に向かって、誹謗して我が悪を説いて、是れ邪見の人なりと謂はん」と。又云はく「数々擯出せられん」等云云。
 又云はく「杖木瓦石もて之を打擲せん」等云云。
 涅槃経に云はく「爾の時に多く無量の外道有って、和合して共に摩訶陀国の王、阿闍世の所に往く。今は唯、一の大悪人有り、瞿曇沙門なり。一切世間の悪人、利養の為の故に、其の所に往集して眷属と為って、能く善を修せず。呪術の力の故に、迦葉及び舎利弗・目連を調伏す」等云云。
 天台云はく「何に況んや未来をや。理、化し難きに在るなり」等云云。
 妙楽云はく「障り未だ除かざる者を怨と為し、聞くことを喜ばざる者を嫉と名づく」等云云。
 南三北七の十師、漢土無量の学者、天台を怨敵とす。
 得一云はく「拙いかな智公、汝は是誰が弟子ぞ。三寸に足らざる舌根を以て覆面舌の所説を謗ずる」等云云。
 東春に云はく「問ふ、在世の時許多の怨嫉あり。仏滅度の後、此の経を説く時、何が故ぞ亦留難多きや。
答へて云はく、俗に良薬口に苦しと言ふが如く、此の経は五乗の異執を廃して、一極の玄宗を立つるが故に、凡を斥け聖を呵し、大を排ひ小を破り、天魔を銘じて毒虫と為し、外道を説いて悪鬼と為し、執小を貶って貧賎と為し、菩薩を挫めて新学と為す。故に天魔は聞くを悪み、外道は耳に逆らひ、二乗は驚怪し、菩薩は怯行す。此くの如きの徒、悉く留難を為す。多怨嫉の言豈虚しからんや」等云云。
 顕戒論に云はく「僧統奏して曰く、西夏に鬼弁婆羅門有り、東土に巧言を吐く、禿頭沙門あり。此れ乃ち物類冥召して世間を誑惑す等云云。論じて曰く、昔は斉朝の光統を聞き、今は本朝の六統を見る。実なるかな、法華に何況するをや」等云云。
 秀句に云はく「代を語れば則ち像の終はり末の始め、地を尋ぬれば則ち唐の東・羯の西、人を原ぬれば則ち五濁の生・闘諍の時なり。経に云はく、猶多怨嫉況滅度後と。此の言、良に以有るなり」等云云。
 夫、小児に灸治を加ふれば、必ず父母をあだむ。重病の者に良薬をあたうれば、定んで口に苦しとうれう。在世猶しかり、乃至像末辺土をや。山に山をかさね、波に波をたたみ、難に難を加へ、非に非をますべし。
 像法の中には天台一人、法華経一切経をよめり。南北これをあだみしかども、陳隋二代の聖主、眼前に是非を明らめしかば敵ついに尽きぬ。
 像の末に伝教一人、法華経一切経を仏説のごとく読み給へり。南都七大寺蜂起せしかども、桓武乃至嵯峨等の賢主、我と明らめ給ひしかば又事なし。
今末法の始め二百余年なり。況滅度後のしるしに闘諍の序となるべきゆへに、非理を前として、濁世のしるしに、召し合はせられずして、流罪乃至寿にもおよばんとするなり。
 されば日蓮が法華経の智解は天台伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども、難を忍び慈悲のすぐれたる事はをそれをもいだきぬべし。
 定んで天の御計らひにもあづかるべしと存ずれども、一分のしるしもなし。いよいよ重科に沈む。
 還って此の事を計りみれば、我が身の法華経の行者にあらざるか。又諸天善神等の此の国をすてて去り給へるか。かたがた疑はし。
 而るに、法華経の第五の巻、勧持品の二十行の偈は、日蓮だにも此の国に生まれずば、ほとをど世尊は大妄語の人、八十万億那由佗の菩薩は提婆が虚誑罪にも堕ちぬべし。
 経に云はく「有諸無智人、悪口罵詈等」「加刀杖瓦石」等云云。
 今の世を見るに、日蓮より外の諸僧、たれの人か法華経につけて諸人に悪口罵詈せられ、刀杖等を加へらるる者ある。
 日蓮なくば此の一偈の未来記は妄語となりぬ。
 「悪世中比丘邪智心諂曲」と。又云はく「与白衣説法為世所恭敬如六通羅漢」と。
 此等の経文は、今の世の念仏者・禅宗・律宗等の法師なくば、世尊は又大妄語の人。
 「常在大衆中、乃至、向国王大臣婆羅門居士」等、今の世の僧等、日蓮を讒奏して流罪せずば此の経文むなし。
 又云はく「数数見擯出」等云云、日蓮法華経のゆへに度々ながされずば、数数の二字いかんがせん。
 此の二字は、天台・伝教もいまだよみ給はず。況んや余人をや。
 末法の始めのしるし、「恐怖悪世中」の金言のあふゆへに、但日蓮一人これをよめり。
 例せば世尊、付法蔵経に記して云はく「我が滅後一百年に、阿育大王という王あるべし」と。
 摩耶経に云はく「我が滅後六百年に、竜樹菩薩という人南天竺に出づべし」と。
 大悲経に云はく「我が滅後六十年に、末田地という者地を竜宮につくべし」と。
 此等皆仏記のごとくなりき。しからずば誰か仏教を信受すべき。
 而るに仏、恐怖悪世・然後未来世・末世法滅時・後五百歳なんど、正・妙の二本に正しく時を定めたまふ。
 当世、法華の三類の強敵なくば誰か仏説を信受せん。日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけん。
 南三北七・七大寺等、猶像法の法華経の敵の内、何に況んや当世の禅・律・念仏者等は脱るべしや。
 経文に我が身普合せり。御勘氣をかほれば、いよいよ悦びをますべし。
 例せば小乗の菩薩の未断惑なるが願兼於業と申して、つくりたくなき罪なれども、父母等の地獄に堕ちて大苦をうくるを見て、かたのごとく其の業を造りて、願って地獄に堕ちて苦しむに同じ。苦に代はれるを悦びとするがごとし。
 此も又かくのごとし。当時の責めはたうべくもなけれども、未来の悪道を脱すらんとをもえば悦ぶなり。
 但し、世間の疑ひといゐ、自心の疑ひと申し、いかでか天扶け給はざるらん。

 諸天等の守護神は仏前の御誓言あり。法華経の行者にはさるになりとも、法華経の行者とがうして、早々に仏前の御誓言をとげんとこそをぼすべきに、其の義なきは我が身法華経の行者にあらざるか。
 此の疑ひは此の書の肝心、一期の大事なれば、処々にこれをかく上、疑ひを強くして答へをかまうべし。
 季札といゐし者は心のやくそくをたがへじと、王の重宝たる剣を徐君が塚にかく。王寿と云ひし人は河の水を飲みて金の鵞目を水に入れ、公胤といゐし人は腹をさいて主君の肝を入る。
 此等は賢人なり、恩をほうずるなるべし。
 況んや舎利弗・迦葉等の大聖は、二百五十戒・三千の威儀一つもかけず、見思を断じ三界を離れたる聖人なり。梵帝・諸天の導師、一切衆生の眼目なり。
 而るに四十余年が間、永不成仏と嫌ひすてはてられてありしが、法華経の不死の良薬をなめて、焦種の生ひ、破石の合ひ、枯木の華菓なんどせるがごとく、仏になるべしと許されていまだ八相をとなえず、いかでか此の経の重恩をばほうぜざらん。若しほうぜずば、彼々の賢人にもをとりて、不知恩の畜生なるべし。
 毛宝が亀は、あをの恩をわすれず、昆明池の大魚は、命の恩をほうぜんと明珠を夜中にささげたり。畜生すら猶恩をほうず、何に況んや大聖をや。
 阿難尊者は斛飯王の次男、羅喉羅尊者は浄飯王の孫なり。人中に家高き上、証果の身となって成仏ををさへられたりしに、八年の霊山の席にて、山海慧・蹈七宝華なんど如来の号をさづけられ給ふ。
 若し法華経ましまさずば、いかにいえたかく大聖なりとも、誰か恭敬したてまつるべき。
 夏の桀・殷の紂と申すは万乗の主、土民の帰依なり。しかれども政あしくして世をほろぼせしかば、今にわるきものの手本には、桀紂桀紂とこそ申せ。下賎の者、癩病の者も桀紂のごとしといはれぬれば、のられたりと腹たつなり。
 千二百無量の声聞は、法華経ましまさずば、誰か名をもきくべき、其の音をも習ふべき。一千の声聞、一切経を結集せりとも見る人よもあらじ。まして此等の人々を絵像木像にあらはして本尊と仰ぐべしや。
 此れ偏に法華経の御力によって、一切の羅漢、帰依せられさせ給ふなるべし。
 諸の声聞、法華をはなれさせ給ひなば、魚の水をはなれ、猿の木をはなれ、小児の乳をはなれ、民の王をはなれたるがごとし。いかでか法華経の行者をすて給ふべき。
 諸の声聞は、爾前の経々にては肉眼の上に天眼・慧眼をう。法華経にして法眼・仏眼備はれり。十方世界すら猶照見し給ふらん。何に況んや此の娑婆世界の中、法華経の行者を知見せられざるべしや。
 設ひ日蓮悪人にて、一言二言、一年二年、一劫二劫、乃至百千万億劫、此等の声聞を悪口罵詈し奉り、刀杖を加へまいらする色なりとも、法華経をだにも信仰したる行者ならばすて給ふべからず。
 譬へば、幼稚の父母をのる、父母これをすつるや。梟鳥が母を食らふ、母これをすてず。破鏡父をがいす、父これにしたがふ。畜生すら猶かくのごとし。大聖法華経の行者を捨つべしや。
 されば、四大声聞の領解の文に云はく「我等今、真に是声聞なり。仏道の声を以て一切をして聞かしむべし。我等今、真に阿羅漢なり。諸の世間、天人・魔・梵に於て、普く其の中に於て、応に供養を受くべし。
 世尊は大恩まします、希有の事を以て、憐愍教化して、我等を利益したまふ。無量億劫にも、誰か能く報ずる者あらん。手足をもって供給し、頭頂をもって礼敬し、一切をもって供養すとも、皆報ずること能はじ。
 若しは以て頂戴し、両肩に荷負して恒沙劫に於て心を尽くして恭敬し、又美膳、無量の宝衣、及び諸の臥具、種々の湯薬を以てし、牛頭栴檀及び諸の珍宝、以て塔廟を起て、宝衣を地に布き、斯くの如き等の事、以用て供養すること、恒沙劫に於てすとも、亦報ずること能はじ」等云云。
 諸の声聞等は前四味の経々にいくそばくぞの呵責を蒙り、人天大会の中にして恥辱がましき事、其の数をしらず。
 しかれば迦葉尊者のテイ泣の音は、三千をひびかし、須菩提尊者は茫然として手の一鉢をすつ。舎利弗は飯食をはき、富楼那は画瓶に糞を入ると嫌はる。
 世尊、鹿野苑にしては阿含経を讃歎し、二百五十戒を師とせよ、なんど慇懃にほめさせ給ひて、今又いつのまに我が所説をばかうはそしらせ給ふと、二言相違の失とも申しぬべし。
 例せば世尊、提婆達多を汝愚人、人の唾を食らふと罵詈せさせ給ひしかば、毒箭の胸に入るがごとくおもひて、うらみて云はく、「瞿曇は仏陀にはあらず。我は斛飯王の嫡子、阿難尊者が兄、瞿曇が一類なり。いかにあしき事ありとも、内々教訓すべし。此等程の人天大会に、此程の大禍を現に向かって申すもの、大人仏陀の中にあるべしや。されば先々は妻のかたき、今は一座のかたき、今日よりは生々世々に大怨敵となるべし」と誓ひしぞかし。
 此をもって思ふに、今諸の大声聞は本外道婆羅門の家より出でたり。又諸の外道の長者なりしかば、諸王に帰依せられ諸檀那にたっとまる。或は種姓高貴の人もあり、或は富福充満のやからもあり。
 而るに彼々の栄官等をうちすて、慢心の幢を倒して、俗服を脱ぎ、壊色の糞衣を身にまとひ、白払・弓箭等をうちすてて、一鉢を手ににぎり、貧人・乞丐なんどのごとくして、世尊につき奉り、風雨を防ぐ宅もなく、身命をつぐ衣食乏少なりしありさまなるに、五天・四海皆外道の弟子檀那なれば、仏すら九横の大難にあひ給ふ。
 所謂、提婆が大石をとばせし、阿闍世王の酔象を放ちし、阿耆多王の馬麦、婆羅門城のこんづ、せんしや婆羅門女が鉢を腹にふせし、何に況んや所化の弟子の数難申す計りなし。
 無量の釈子は波瑠璃王に殺され、千万の眷属は酔象にふまれ、華色比丘尼は提婆にがいせられ、迦慮提尊者は馬糞にうづまれ、目連尊者は竹杖にがいせらる。

 其の上、六師同心して阿闍世・婆斯匿王等に讒奏して云はく「瞿曇は閻浮第一の大悪人なり。彼がいたる処は、三災七難を前とす。大海の衆流をあつめ、大山の衆木をあつめたるがごとし。瞿曇がところには、衆悪をあつめたり。所謂、迦葉・舎利弗・目連・須菩提等なり。人身を受けたる者、忠孝を先とすべし。彼等は瞿曇にすかされて、父母の教訓をも用ひず、家をいで、王法の宣をもそむいて山林にいたる。一国に跡をとどむべき者にはあらず。されば天には日月衆星変をなす、地には衆夭さかんなり」なんどうったう。
 堪ふべしともおぼへざりしに、又うちそうわざわいと、仏陀にもうちそひがたく
ありしなり。人天大会の衆会の砌にて、時々呵責の音をききしかば、いかにあるべしともおぼへず、只あわつる心のみなり。
 其の上、大の大難の第一なりしは、浄名経の「其れ汝に施す者は福田と名づけず、汝を供養する者は三悪道に堕す」等云云。
 文の心は、仏、庵羅苑と申すところにをはせしに、梵天・帝釈・日月・四天・三界諸天・地神・竜神等、無数恒沙の大会の中にして云はく「須菩提等の比丘等を供養せん天人は三悪道に堕つべし。」と。
 此等をうちきく天人、此等の声聞を供養すべしや。
 詮ずるところは、仏の御言を用て、諸の二乗を殺害せさせ給ふかと見ゆ。心あらん人々は、仏をもうとみぬべし。
 されば此等の人々は、仏を供養したてまつりしついでにこそ、わづかの身命をも扶けさせ給ひしか。
 されば事の心を案ずるに、四十余年の経々のみとかれて、法華八箇年の所説なくて、御入滅ならせ給ひたらましかば、誰の人か此等の尊者をば供養し奉るべき。現身に餓鬼道にこそをはすべけれ。
 而るに四十余年の経々をば、東春の大日輪、寒氷を消滅するがごとく、無量の草露を大風の零落するがごとく、一言一時に「未顕真実」と打ちけし、大風の黒雲をまき、大虚に満月の処するがごとく、青天に日輪の懸かり給ふがごとく、「世尊法久後要当説真実」と照らさせ給ひて、華光如来・光明如来等と舎利弗・迦葉等を、赫々たる日輪、明々たる月輪のごとく鳳文にしるし、亀鏡に浮かべられて候へばこそ、如来滅後の人天の諸檀那等には、仏陀のごとくは仰がれ給ひしか。
 水すまば、月影ををしむべからず。風ふかば、草木なびかざるべしや。
 法華経の行者あるならば、此等の聖者は大火の中をすぎても、大石の中をとをりても、とぶらわせ給ふべし。
 迦葉の入定もことにこそよれ。いかにとなりぬるぞ。いぶかしとも申すばかりなし。
 後五百歳のあたらざるか、広宣流布の妄語となるべきか、日蓮が法華経の行者ならざるか。
 法華経を教内と下して、別伝と称する大妄語の者をまぼり給ふべきか。
 捨閉閣抛と定めて、法華経の門をとぢよ、巻をなげすてよとゑりつけて、法華堂を失へる者を守護し給ふべきか。
 仏前の誓ひはありしかども、濁世の大難のはげしさをみて諸天下り給はざるか。
 日月、天にまします。須弥山いまもくづれず。海潮も増減す。四季もかたのごとくたがはず。いかになりぬるやらんと、大疑いよいよつもり候。
 又諸大菩薩、天人等のごときは、爾前の経々にして記別をうるやうなれども、水中の月を取らんとするがごとく、影を体とおもうがごとく、いろかたちのみあって実義もなし。又仏の御恩も深くて深からず。
 世尊初成道の時はいまだ説教もなかりしに、法慧菩薩・功徳林菩薩・金剛幢菩薩・金剛蔵菩薩等なんど申せし六十余の大菩薩、十方の諸仏の国土より、教主釈尊の御前に来たり給ひて、賢首菩薩・解脱月等の菩薩の請ひにをもむいて、十住・十行・十回向・十地等の法門を説き給ひき。
 此等の大菩薩の所説の法門は、釈尊に習ひたてまつるにあらず。十方世界の諸の梵天等も来たって法をとく。又釈尊にならいたてまつらず。
 総じて華厳会座の大菩薩・天竜等は、釈尊已前に不思議解脱に住せる大菩薩なり。釈尊の過去因位の御弟子にや有らん。十方世界の先仏の御弟子にや有らん。一代教主、始成正覚の仏の弟子にはあらず。
 阿含・方等・般若の時、四教を仏の説き給ひし時こそ、やうやく御弟子は出来して候へ。
 此も又、仏の自説なれども正説にはあらず。ゆへいかんとなれば、方等・般若の別・円二教は、華厳経の別・円二教の義趣をいでず。彼の別・円二教は、教主釈尊の別・円二教にはあらず。法慧等の大菩薩の別・円二教なり。
 此等の大菩薩は、人目には仏の御弟子かとは見ゆれども、仏の御師ともいゐぬべし。
 世尊、彼の菩薩の所説を聴聞して智発して後、重ねて方等・般若の別・円をとけり。色もかわらぬ華厳経の別・円二教なり。
 されば此等の大菩薩は釈尊の師なり。華厳経に此等の菩薩をかずへて、善知識ととかれしはこれなり。
 善知識と申すは、一向師にもあらず、一向弟子にもあらずある事なり。
 蔵・通二教は又、別・円の枝流なり。別・円二教をしる人、必ず蔵・通二教をしるべし。
 人の師と申すは、弟子のしらぬ事を教へたるが師にては候なり。
 例せば、仏より前の一切の人天・外道は二天・三仙の弟子なり。九十五種まで流派したりしかども、三仙の見を出でず。
 教主釈尊もかれに習ひ伝へて、外道の弟子にてましませしが、苦行・楽行十二年の時、苦・空・無常・無我の理をさとり出だしてこそ、外道の弟子の名をば離れさせ給ひて、無師智とはなのらせ給ひしか。又、人天も大師とは仰ぎまいらせしか。
 されば前四味の間は教主釈尊、法慧菩薩等の御弟子なり。例せば、文殊は釈尊九代の御師と申すがごとし。つねは諸経に不説一字ととかせ給ふもこれなり。
 仏御年七十二の年、摩竭提国霊鷲山と申す山にして、無量義経をとかせ給ひしに、四十余年の経々をあげて、枝葉をば其の中におさめて、「四十余年未顕真実」と打ち消し給ふは此なり。
 此の時こそ、諸大菩薩・諸天人等は、あはてて実義を請せんとは申せしか。
 無量義経にて、実義とをぼしき事一言ありしかども、いまだまことなし。
 譬へば月の出でんとして、其の体東山にかくれて、光西山に及べども、諸人月体を見ざるがごとし。
 法華経方便品の略開三顕一の時、仏略して一念三千心中の本懐を宣べ給ふ。
 始めの事なれば、ほととぎすの音を、ねをびれたる者の一音ききたるがやうに、月の山の半をば出でたれども、薄雲のをほへるがごとく、かそかなりしを、舎利弗等驚きて諸天・竜神・大菩薩等をもよをして「諸天竜神等、其の数恒沙の如し、仏を求むる諸の菩薩、大数八万有り。又諸の万億国の転輪聖王の至れる、合掌して敬心を以て、具足の道を聞かんと欲す」等とは請ぜしなり。
 文の心は、四味三教・四十余年の間、いまだきかざる法門うけ給はらんと請ぜしなり。
 此の文に「具足の道を聞かんと欲す」と申すは、大経に云はく「薩とは具足の義に名づく」等云云。
 無依無得大乗四論玄義記に云はく「沙とは訳して六と云ふ。胡法には、六を以て具足の義と為すなり」等云云。
 吉蔵の疏に云はく「沙とは翻じて具足と為す」等云云。
 天台の玄義の八に云はく「薩とは梵語、此に妙と翻ずるなり」等云云。
 付法蔵の第十三、真言・華厳・諸宗の元祖、本地は法雲自在王如来、迹に竜猛菩薩、初地の大聖の大智度論千巻の肝心に云はく「薩とは六なり」等云云。
 妙法蓮華経と申すは漢語なり。月支には薩達磨分陀利伽蘇多攬と申す。
 善無畏三蔵の法華経の肝心真言に云はく、「曩謨三曼陀没駄南(帰命普仏陀)オン(三身如来)阿阿暗悪(開示悟入)薩縛勃陀(一切仏)キノウ(知)娑乞蒭毘耶(見)ギャギャノウババ(如虚空性)アラキシャニ(離塵相也)薩哩達磨(正法也)浮陀哩迦(白蓮華)蘇駄覧(経)惹(入)吽(遍)鑁(住)発(歓喜)縛曰羅(堅固)アラキシャマン(擁護)吽(空無相無願)娑婆訶(決定成就)」と。
 此の真言は、南天竺の鉄塔の中の法華経の肝心の真言なり。
 此の真言の中に、薩哩達磨と申すは正法なり。
 薩と申すは正なり。正は妙なり。妙は正なり。正法華、妙法華是なり。又妙法蓮華経の上に、南無の二字ををけり。南無妙法蓮華経これなり。
 妙とは、具足。六とは、六度万行。諸の菩薩の六度万行を具足するやうをきかんとをもう。
 具とは、十界互具。足と申すは、一界に十界あれば当位に余界あり。満足の義なり。
 此の経一部・八巻・二十八品・六万九千三百八十四字、一々に皆妙の一字を備へて、三十二相八十種好の仏陀なり。十界に皆己界の仏界を顕はす。
 妙楽云はく「尚仏果を具す、余果も亦然り」等云云。
 仏此を答へて云はく「衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」等云云。
 衆生と申すは舎利弗、衆生と申すは一闡提、衆生と申すは九法界。衆生無辺誓願度此に満足す。
 「我本誓願を立つ。一切の衆をして、我が如く等しくして、異なること無からしめんと欲す。我が昔の願ぜし所の如き、今は已に満足しぬ」等云云。
 諸大菩薩・諸天等、此の法門をきひて領解して云はく「我等昔より来、数世尊の説を聞きたてまつるに、未だ曽て是くの如き深妙の上法を聞かず」等云云。
 伝教大師云はく「我等昔より来、数世尊の説を聞くとは、昔、法華経の前、華厳等の大法を説くを聞けるを謂ふなり。未だ曽て是くの如き深妙の上法を聞かずと謂ふは、未だ法華経の唯一仏乗の教を聞かざるなり」等云云。
 華厳・方等・般若・深密・大日等の恒河沙の諸大乗経は、いまだ一代の肝心たる一念三千の大綱・骨髄たる二乗作仏・久遠実成等をいまだきかずと領解せり。