立正安国論


 文応元年(1260年)七月十六日 聖寿三十九歳御著作

 - 第六段 勘状の奏否 -

 客は、少し態度を和らげて、こう云いました。

 私は、未だに、仏法の奥底を究めてはおりませんが、だいたいの趣旨を知ることが出来ました。

 ただし、京都より鎌倉に至るまで、仏門には、立派な僧侶が多くいます。
 しかしながら、未だに、誰も、朝廷や幕府へ勘状を進呈したり、奏状を上奏したことはありません。

 あなたが賎しい身分でありながら、安易に、有害な言葉を吐くことは、とても理解できません。
 その義は逸脱したものであり、その理には、謂(いわ)れがありません。

 主人は、客の問いに対して、こう答えました。

 私は、器量の少ない者ではありますが、忝(かたじけな)くも、大乗仏教を学んでおります。

 青蝿は、自らの力で遠くに飛ぶことは出来ません。しかし、駿馬の尾に留まっていれば、万里の彼方まで行くことが出来ます。

 緑の蔦は、自らの力で高く伸びていくことは出来ません。しかし、松の大木の先に絡まっていれば、非常に高い所まで伸びていきます。

 (注、上記の譬えは、たとえ器量の少ない者であっても、法華経の尊い教えによって、優れた境地に到達出来ることを示唆されている。)

 仏弟子である私は、教主釈尊の子として生まれて、諸経の王である法華経に仕えております。
 それ故に、仏法が衰微していく模様を見れば、哀惜の心情を起こさずにはいられません。

 その上、涅槃経には、「もし、善比丘(善い僧侶)がいたとしても、法を破る者を見ておきながら、呵責(謗法を強く責めること)をしなかったり、駈遣(所を追い出すこと)をしなかったり、挙処(罪を挙げて対処すること)をしなかったならば、この人は、『仏法中怨』(仏法の中の怨敵)である。
 その反対に、よく、呵責をしたり、駈遣をしたり、挙処をする者こそが、真の仏弟子であり、真の声聞(仏の教えを聞く者)である。」と、仰せになられています。

 私は、善比丘の身ではありませんが、『仏法中怨』の責めを免れるために、ただ、仏教の大綱を取って、ほぼ、その一端を示しております。

 その上、去る元仁年間(1224年~1225年)には、延暦寺と興福寺の両寺より、たびたび念仏禁止の奏状が上程されました。

 その結果、朝廷から勅宣(天皇からの勅命)が下されて、また、幕府から御教書(将軍が発布する公文書)が下されて、法然の『選択集』の印板を、比叡山延暦寺の大講堂に没収しました。

 また、三世の仏恩を報ずるために、法然の『選択集』の印板を焼失させています。
 そして、法然の墓所は、祇園神社の雑役を行う者に命じて、破却させられました。

 法然の弟子である隆観・聖光・成覚・薩生等は、遠国に配流させられています。
 その後、未だに、御勘氣(罪)が許されていません。

 このような先例を提示しても、あなたは、「未だに、誰も、奏状を上程したことがない。」と、仰るのでしょうか。

 - 第七段 施を止めて命を絶つ -

 客は、主人の言葉を聞いて、更に態度を和らげて、次のように云いました。

 経を軽んじたり、僧を誹謗していることにつきましては、法然上人一人の問題とは論じ難いものがあります。

 然れども、法然上人が『捨・閉・閣・抛』の四字を以て、大乗経典六百三十七部・二千八百八十三巻と一切の諸仏・菩薩・諸天善神を捨ててしまったことは、あなたが仰ったことが勿論のことであり、そのことは『選択集』の文にも顕然としています。

 しかし、あなたが『捨・閉・閣・抛』の瑕疵を取り上げて、法然上人を誹謗していることは、迷って言っているのか、覚って語っているのか、私にはよくわかりません。

 あなたと法然上人との間に、賢愚を弁ずることは出来ません。また、その是非につきましても、断定出来ません。

 ただし、「災難が起こる原因は、法然の『選択集』にある。」ということに関しましては、先程、あなたが追加されたお言葉によって、その主旨を理解できるようになりました。

 所詮、天下泰平・国土安穏は、国王や臣下の願う所であり、人民が思う所でもあります。
 国は、法によって栄えます。また、法は、人によって貴ばれます。
 国が亡び、人が滅してしまったならば、仏を、誰が崇んでいくのでしょうか。
 法を、誰が信じていくのでしょうか。

 まず、国家の安穏を祈って、その後に、仏法を立てるべきであります。
 もし、災を消して、難を止める術があれば、是非、お聞かせ頂きたいと存じます。

 主人は、こう言いました。

 私は、頑愚な者でありますし、けっして賢くありません。
 しかしながら、ただ、経文に則って、聊(いささ)か、所存を申し述べましょう。

 そもそも、災を消して難を止める術は、内道(仏教)にも外道にも、その文がたくさんあります。
 因って、具体的に挙げることは、難しいのです。

 ただし、愚案ではありますが、仏教の立場から云えば、「謗法の人を禁めて、正道の僧侶を重んじれば、国中は安穏にして、天下は泰平となる。」と、申し上げます。

 すなわち、涅槃経には、このように、仰せになられています。

 「釈尊は、純陀の問いに答えられて、このように仰った。
 
 『人に施しをすることは、良いことであり、讃歎されることである。しかし、ただ一人だけ、施しをしてはならない者がいる。』と。

 そこで、純陀が重ねて尋ねた。
 『如何なる人物が、ただ一人だけ、施しをしてはならない者なのでしょうか。』と。
 
 すると、釈尊は、『この経の中に説かれている、“破戒の者”である。』と、お答えになられた。

 純陀は、再度、釈尊に質問した。
 『未だに、私には、よくわかりません。ただ願わくば、詳しくご説明下さい。』と。

 釈尊は、純陀に、このように答えられた。
 『“破戒の者”とは、“一闡提(いっせんだい)の者”のことである。“一闡提”以外のすべての者に布施をすれば、皆から讃歎されて、大果報を獲るであろう。』と。

 純陀は、重ねて、釈尊に質問した。
 『“一闡提”とは、どういう意味なのでしょうか。』と。

 釈尊は答られた。
 『純陀よ。もし、僧や尼や男信徒や女信徒の中で、口汚い言葉を発して、正法を誹謗した上で、これらの重い業を作っても、永く改い悔めず、また、心に懺悔の念を持たない者のことを、“一闡提の道に突き進む者”と名付けるのである。』と。

 もし、殺生・偸盗・邪淫・妄語という四つの重罪を犯したり、殺父・殺母・殺阿羅漢・破和合僧・出仏身血という五逆罪を犯した上で、このように重大な罪を犯したと知りつつも、最初から心に怖畏することもなく、懺悔の念もなく、あえて、自ら罪を発露しない者が、“一闡提”である。

 これらの者どもは、仏の正法に対して、永く護惜建立の念を持っていない。
 また、仏の正法を誹謗して、軽蔑するが故に、言動によって禍を起こし、咎(とが)を来たすことが多くなるであろう。

 こういう邪心を持った人のことを、“一闡提の道に突き進む者”と、名付けているのである。
 ただ、このような“一闡提”の輩を除いた上で、それ以外の人々に布施を行えば、大きく讃歎される。」と。

 また、涅槃経には、釈尊が過去世からの因縁を回想されて、次のように、仰せになられています。

 「私(釈尊)は、昔、この閻浮提(世界)に生まれて、大国の王となった。
 その時には、仙予という名であった。

 また、その時には、大乗経典を大切にして、敬重していた。
 その心は純善であり、悪心や嫉みや物を惜しむことはなかった。

 善男子よ。
 私(釈尊)は、その時に於いても、心に大乗を重んじていた。
 そして、外道の教えを説く婆羅門が、大乗の教えを誹謗していることを聞き終わってから、即時に、その婆羅門の命を断った。

 善男子よ。
 この正法を護った因縁によって、その時以来、地獄に堕ちることはなかった。」と。

 また、涅槃経には、次のように、仰せになられています。

 「昔、如来(釈尊)が国王となって、菩薩の修行をしていた時に、多くの婆羅門の命を断ったことがある。」と。

 また、涅槃経には、次のように、仰せになられています。

 「殺生には、上殺・中殺・下殺の三種類がある。

 下殺(下の殺生)とは、蟻を始めとして、一切の畜生を殺すことである。
 ただし、菩薩が衆生を導く誓願によって、畜生に身を変じている場合には、その者を殺しても、罪にはならない。

 下殺を犯した者は、その因縁により、地獄・餓鬼・畜生に堕ちて、具(つぶさ)に、下の苦を受ける。
 その理由は、何か。
 それは、これらの諸の畜生にも、微かな善根(仏性)が備わっているからである。
 従って、これらの諸の畜生を殺す者は、具(つぶさ)に、その罪の報いを受ける。


 中殺(中の殺生)とは、凡夫から阿那含(欲界の煩悩を断尽した聖者)に至るまでの人々を殺すことである。
 その業因により、地獄・餓鬼・畜生に堕ちて、具(つぶさ)に、中の苦を受ける。

 上殺(上の殺生)とは、父母や阿羅漢(声聞)や辟支仏(縁覚)や不退の菩薩を殺すことである。
 この罪は、もっとも重く、阿鼻大地獄(無間地獄)の中に堕ちる。

 善男子よ。
 もし、“一闡提”を殺す者がいたとしても、上殺・中殺・下殺という三種類の殺生の中には含まれない。

 善男子よ。
 外道の教えを説く、諸の婆羅門たちは、皆、すべて“一闡提”である。」〈以上、経文〉
 
 仁王経には、次のように、仰せになられています。

 「仏(釈尊)は、このように、波斯匿王(インドの舎衛国の王)に告げられた。
 
 仏法の護持を、諸の国王に付嘱する。
 しかし、比丘(僧)や比丘尼(尼)には付嘱しない。
 その理由は、何か。
 それは、比丘(僧)や比丘尼(尼)には、王のような威力がないからである。」と。

 涅槃経には、次のように、仰せになられています。

 「今、無上の正法を、諸の国王・大臣・役人、及び、四部の衆(僧・尼・男信徒・女信徒)に対して、付嘱する。
 もし、正法を誹謗する者がいれば、大臣や四部の衆(僧・尼・男信徒・女信徒)たちは、当(まさ)に、その者を退治しなければならない。」と。

 また、涅槃経には、次のように、仰せになられています。

 「仏(釈尊)は、このように仰った。
 
 迦葉よ。
 私(釈尊)は、よく正法を護持する因縁によって、この金剛身(破ることが出来ない仏の法身)を得ることが出来たのである。

 善男子よ。
 正法を護ろうとする者は、五戒(不殺生戒・不偸盗戒・不邪淫戒・不妄語戒・不飲酒戒)を受けていなくとも、威儀(徳のある振舞い、戒律の異名)を整えていなくとも、刀剣や弓矢や鉾(ほこ)を持つべきである。」と。 

 また、涅槃経には、次のように、仰せになられています。
 
 「五戒(不殺生戒・不偸盗戒・不邪淫戒・不妄語戒・不飲酒戒)を受持しているだけでは、『大乗』の人となることが出来ない。
 たとえ、五戒(不殺生戒・不偸盗戒・不邪淫戒・不妄語戒・不飲酒戒)を受けていなくとも、正法を護ることを以て、『大乗』の人と名付けるものである。

 正法を護る者は、当(まさ)に、刀剣や兵器や杖を持たなければならない。
 刀剣や兵器や杖を持っていたとしても、私(釈尊)は、この者たちのことを、『持戒』(戒を持つ人)と呼ぶ。」と。

 また、涅槃経には、次のように、仰せになられています。

 「善男子よ。
 過去の世に、この拘尸那(くしな)城において、歓喜増益如来という名前の仏がいらっしゃった。

 歓喜増益如来が御入滅されて以来、無量億歳という長い期間、正法が滅びることはなかった。
 ところが、その正法の時代が終わり、仏法が滅びようとしていた。

 その時に、一人の持戒の比丘(僧侶)が現われた。
 その名は、『覚徳比丘』であった。

 一方、その時には、多くの破戒の比丘(僧侶)がいた。
 破戒を諫める旨の説法を、覚徳比丘が行った折に、それを聞いていた破戒の比丘たちは、皆、憎しみの心を生じた。

 そのため、破戒の比丘たちは、刀や杖を持って、覚徳比丘を迫害した。
 この時の国王は、その名を、『有徳王』と云った。

 この事件を聞いた有徳王は、正法を護るために、説法者であった覚徳比丘の許へ、即座に駆けつけて、破戒の諸の悪比丘(悪い僧侶)と、激しい戦闘を行った。
 その結果、覚徳比丘は、厄害を免れることが出来た。

 だが、その戦闘で、有徳王は、刀剣や弓矢や鉾による重傷を被った。
 有徳王の全身に、無傷の箇所は、全くないほどであった。

 その時に、覚徳比丘は、有徳王を褒め讃えて、こう言った。

 『善いかな、善いかな、有徳王よ。
 今、あなたは、真に、正法を護る人となった。
 未来の世には、あなたの身が、当(まさ)に、無量の智慧を持つ法器(仏)となるであろう。』と。

 この時、有徳王は、覚徳比丘の説法を聞くことが出来て、大いに歓喜した。
 それから間もなく、有徳王は、戦闘の際の負傷が原因で、亡くなってしまった。

 だが、有徳王は、命が尽きた後に、阿シュク仏の国に生まれた。
 しかも、阿シュク仏の第一の弟子となった。

 また、有徳王と共に戦った家来や人民や眷属や、有徳王が闘う姿を見て歓喜した者は、すべて、菩提(悟り)を求める心が失われることはなかった。
 彼等もまた、命が尽きた後に、悉く、阿シュク仏の国に生まれた。

 その後には、覚徳比丘も、命が尽きた後に、阿シュク仏の国に生まれて、阿シュク仏の第二の弟子となった。

 もし、正法が滅びようとする時には、当(まさ)に、このようにして、正法を受持・擁護するべきである。

 迦葉よ。
 その時の有徳王とは、私自身(釈尊)のことである。
 説法を行った覚徳比丘とは、迦葉仏のことである。

 迦葉よ。
 正法を護る者には、このような無量の果報が得られるであろう。
 この過去世の因縁によって、私(釈尊)は、今日において、仏の種々の相(三十二相・八十種行)を得た。
 そのことにより、自らを荘厳して、破ることが出来ない法身を成じた。

 迦葉よ。
 これ故に、正法を護ろうとする在家の者たちは、有徳王と同様に、刀や杖等の武器を持って、正法を持つ者を擁護しなければならない。

 善男子よ。
 私(釈尊)が涅槃した後、濁悪の世には、国土が荒乱して、互いに他者の物を奪い取り、人民は飢餓するであろう。

 その時には、飢餓を凌ぐための動機で、出家する者が多くいるであろう。
 このような人を名付けて、『禿人』(注、禿人→ハゲた人→悪僧に対する侮蔑語)と、称する。
 この『禿人』の輩は、正法を護持する人を見れば、駈逐(追放)したり、所を追い出したり、もしくは、殺したり、危害を加えるであろう。

 従って、私(釈尊)は、今、『禿人』の悪行から、戒律を持つ僧侶を護るために、刀杖を持つ在家の者の同伴を許す。
 たとえ、その在家の者が刀杖を持っていたとしても、私(釈尊)は、彼等のことを名付けて、『持戒』(戒律を持つ人)と、称する。

 ただし、彼等が刀杖の持参を許されていたとしても、無闇に、他者の命を断じてはならない。」と。
 
 法華経譬喩品第三には、このように、仰せになられています。

 「もし、その人が信じることなくして、この法華経を誹謗した場合には、即座に、一切世間の仏種を断たれる。(中略)また、その人は、死後に、無間地獄に堕ちるであろう。」と。 

 以上のように、経文は顕らかであります。
 私の言葉を付け加えるまでもありません。

 およそ、法華経に説かれるとおりであるならば、大乗経典を謗ずる者は、無量の五逆罪(殺父・殺母・殺阿羅漢・破和合僧・出仏身血)を犯す者よりも、罪が重いのであります。
 故に、無間地獄に堕してしまうと、永い間、脱出することは出来ません。

 およそ、涅槃経に説かれるとおりであるならば、たとえ、五逆罪(殺父・殺母・殺阿羅漢・破和合僧・出仏身血)を犯した者への供養を許したとしても、謗法の者への布施は、絶対に許されないのであります。

 蟻の子を殺す者は、必ず、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に落ちます。
 一方、謗法を誡める者は、必ず、不退転の菩薩の位に登ることが出来ます。

 所謂(いわゆる)、過去の覚徳比丘とは、迦葉仏のことであります。
 そして、過去の有徳王とは、釈迦牟尼(釈尊)のことであります。
 
 法華経と涅槃経の経教は、釈尊御一代の五時(華厳・阿含・方等・般若・法華涅槃)の肝心であります。
 その誡めは、実に重いものであります。
 この仏の誡めに、帰依・渇仰しない者が、誰かいるのでしょうか。

 ところが、謗法の輩は、正しい仏道を忘れている人たちであります。
 挙げ句の果てには、法然の『選択集』の邪義に依って、ますます、正邪の判断が付かずに、愚かな見解を増しています。

 従って、或る者は、法然の遺体を偲んで、木像や絵画に表しています。
 また、或る者は、法然の妄説を信じて、『選択集』の邪言を形木に彫った上で、日本中に『選択集』の印刷文を弘めて、あらゆる地方で翫(もてあそ)んでいます。

 そのため、人々が信仰しているのは、法然一門の教えとなっています。
 そして、人々が布施をするのは、法然の門弟となっています。

 それ故に、或る者は、釈尊の手の指を切り取って、阿弥陀の印相に改めています。

 (注、釈尊の仏像の印相は、親指と中指を結んでいる。一方、阿弥陀の仏像は、親指と人差し指を結んでいる。釈尊の仏像の指を切り取って、親指と人差し指を結んだ阿弥陀の印相に、不心得者が変えてしまったことを意味している。)

 また、或る者は、薬師如来の堂宇を改めて、西方極楽浄土の教主である阿弥陀如来を安置しています。

 また、或る者は、四百回以上も続いてきた法華経の書写行である、『如法経』の修行を止めて、浄土三部経の書写行をするようになってしまいました。

 また、或る者は、天台大師を讃えるための『大師講』を止めて、善導を讃えるための『善導講』に変えてしまいました。

 これらの輩の群類は、誠に数え切れないほどであります。
 これこそ、まさしく、「仏を破り(阿弥陀如来の印相・安置)、法を破り(浄土三部経の書写行)、僧を破る(善導講)」行為であり、『仏・法・僧』の三宝を破壊する所業であります。
 これらの邪義の根源は、すべて、法然の『選択集』に依るのであります。

 ああ、悲しいかな、仏の真実である、誡めの御言葉に背くことよ。
 ああ、哀れなるかな、愚かな僧侶が迷い惑うために発する、粗雑な言葉に随うことよ。

 早く、天下を穏やかにしたいと思うのなら、何よりも、まず、国中の謗法を断つべきであります。

  - 第八段 斬罪の用否 -

 客は、こう言いました。

 もし、謗法の輩を断じたり、仏の誡めに相違した者を絶滅させるためには、涅槃経の経文の如く、斬罪に処するべきなのでしょうか。

 もし、そうであるならば、殺害が積み重なるばかりです。
 その罪業を、どのようにすれば、宜しいでしょうか。

 ましてや、大集経には、次のように、仰せになられているではありませんか。

 「頭を剃って、袈裟を著した僧侶に対しては、戒を持っている者であっても、戒を破っている者であっても、諸天と人間は、僧侶を供養しなければならない。
 すなわち、僧侶を供養することは、仏を供養することになるからである。
 つまり、僧侶は、仏の子である。

 もし、僧侶を打ち叩けば、則(すなわ)ち、それは、仏の子を打つことになる。  
 もし、僧侶を罵倒したり、辱めを与えれば、則(すなわ)ち、それは、仏を謗ったり、辱めを与えることになるのである。」と。

 この大集経の経文によって、善悪や是非を論じることなく、僧侶であるというだけで、供養を捧げなければならないことを、計り知る必要があります。

 どうして、仏の子(僧侶)を打ち叩いたり、辱めを与えたりすることによって、忝(かたじけな)くも、その父である仏を悲哀させるのでしょうか。

 昔、竹杖外道は、目連尊者を殺したために、永く、無間地獄の底に沈んでいます。
 提婆達多は、蓮華比丘尼を殺したために、久しく、阿鼻地獄の炎に焼かれています。

 これらの先証は明らかであり、後世の私どもが、もっとも恐れなければならないことであります。

 僧侶の命を奪う行為は、謗法の者を誡めることに似ていながらも、それだけで、既に、仏の誡めの御言葉を破っています。

 これらの事は、とても信じ難いものがあります。
 どのように心得れば、宜しいのでしょうか。

 主人は、こう答えました。

 あなたは、明らかに、涅槃経の経文を御覧になった上で、なお、そのような疑問を抱いているのでしょうか。
 あなたの心が、涅槃経の経文の真意に及ばないのでしょうか。それとも、道理が通じないのでしょうか。

 涅槃経の経文が意味することは、全く、仏の子(僧侶)を禁めることではありません。
 この経文の意味するところは、ただ、偏(ひとえ)に、謗法を悪(にく)むことであります。

 そもそも、釈尊御誕生以前の仏教においては、謗法の罪を犯した者を斬って、その命を絶ちました。
 けれども、釈尊御誕生以後の経典においては、則(すなわ)ち、「謗法の者に、布施をしてはならない。」ということを、お説きになられています。

 であるならば、日本国中の一切の四衆(僧・尼・男信徒・女信徒)が、謗法の悪人へ布施をせずに、皆、正法に帰依すれば、何なる難が並び起こったり、何なる災いが競い来ることがあるのでしょうか。
 決して、難が並び起こったり、災いが競い来ることはありません。

  - 第九段 疑いを断じて信を生ず -

 客は、改めて座り直して、襟(えり)を正してから、こう言いました。

 仏教というものは、細かく別れていて、その趣旨は窮め難く、不審な点が多いものです。
 そのため、私には、道理と非理を、明らかにすることが出来ません。

 ただし、法然聖人の『選択集』が、現に存在するのは、間違いありません。
 たしかに、『選択集』には、諸仏や諸経や諸菩薩や諸天善神等に対して、『捨てよ・閉じよ・閣(さしお)け・抛(なげう)て』と、記載されています。

 その『選択集』の文は、顕らかであります。
 この誤りによって、聖人は国を去り、諸天善神は所を捨て、天下は飢渇して、世上には疫病が広がっています。

 今、主人であるあなたが、広く経文を引用された上で、明らかに、道理と非理をお示しになられました。
 故に、私の妄執は飜って、私の耳と目は晴れやかになりました。

 所詮、国土泰平や天下安穏は、上一人より下万民に至るまで、好む所であり、願う所であります。

 一刻も早く、一闡提への布施を止めて、永く、正法の僧・尼たちへの供養を致しましょう。

 そして、仏海の白浪を収めて、法山の緑林を切れば(注、仏法に違背する者への布施を止めて、謗法の者を退治すれば)、この世は、古代中国の伏羲や神農のような名帝の時代となり、この国は、古代中国の唐堯や虞舜の国のような平和な国家となるでしょう。

 その後に、仏法の法水の浅深を斟酌(しんしゃく)して、仏門の棟梁となるべき教えを崇重致しましょう。

 主人は悦んで、このように云いました。

 中国の『礼記集説』という書物には、鳩が化して鷹となり、雀が変じて蛤(はまぐり)となる(注、劣ったものが勝れたものに変化することの譬え)、という故事があります。

 あたかも、曲がった蓬(よもぎ)が、麻畑の麻に感化されて、真っ直ぐ伸びることのように、蘭室の友(注、蘭の香りのする部屋の友→正法を受持する善友)との交流によって、邪法を捨てて正法に帰依することを、あなたが決意されたのは、誠に、悦ばしいことであります。
 
 誠に、昨今の災難を顧みて、専(もっぱ)ら、この正法(日蓮大聖人)の御言葉を信じるならば、風は和らぎ、浪は静かとなり、やがて、穀物はよく実って、必ず豊年となります。

 ただし、人の心は、時の経過に従って、移りゆくものです。
 また、物の本性は、環境によって、変わってしまうものです。
 譬えば、水面に映っている月の形が、水中の波によって動いたり、戦に臨んだ軍兵が、敵軍の剣の勢いによって臆するようなものです。

 この場で、あなたが正法を信じたとしても、後になれば、きっと、忘れてしまうことでしょう。

 もし、まず、国土を安穏にして、現世と来世の成仏を祈りたいのであれば、速やかに、情慮を廻(めぐ)らして、急いで、謗法への退治を加えなさい。

 その理由は、こういうことです。

 薬師経に説かれる七難のうちで、五難は、忽(たちま)ち、起こりました。
 けれども、二難が、なお残っています。

 所謂(いわゆる)、他国侵逼の難(他国から侵略される難)と自界叛逆の難(自国の内部から反乱が起こる難)の二難であります。

 また、大集経に説かれる三災のうちで、二災は、早く現れました。
 けれども、一つの災いだけは、未だに起こっていません。
 所謂(いわゆる)、兵革(戦乱)の災いであります。

 金光明経に説かれている種々の災禍は、次々に、発生しています。
 けれども、他国からの怨賊が国を侵略してくるという災だけは、未だに現れておらず、その難だけは、未だに到来していません。

 仁王経に説かれる七難のうちで、六難までは、今まで、盛んに起きています。
 けれども、一難だけは、未だに現れていません。
 所謂(いわゆる)、四方(東・西・南・北)の賊が来襲して、国を侵略するという難であります。

 それだけではなく、仁王経の経文には、「国土が乱れる時には、まず、鬼神が乱れる。鬼神が乱れるが故に、万民も乱れる。」と、仰せになられています。

 今、この経文に基づいて、詳しく、世の中の事情を案じてみると、百鬼(たくさんの鬼神)が早々に乱れて、万民の多くは亡くなっています。

 このように、先難は、明らかに起きています。
 従って、これから、後災が起きることを、決して、疑うことは出来ません。

 もし、悪法を信ずる過失によって、他国侵逼の難と自界叛逆の難が並び起こり、競い起こって来るならば、その時には、どうされるのでしょうか。

 帝王は、国家を基盤として、天下を治めます。
 人民や家臣は、田園を所領として、世上の生活を保持します。

 にもかかわらず、他国からの賊が来襲して、日本国が侵略されたり、国内に反乱が起きて、土地を略奪されるようなことがあれば、どのようにして、驚かずにいられるのでしょうか。どのようにして、騒がずにいられるのでしょうか。
 国を失い、家を滅してしまったならば、何処へ逃れることが出来ましょうか。

 あなたが、一身の安堵を願うのであるならば、まず、一国の安穏を祈るべきであります。

 就中(なかんずく)、この世の人間であれば、誰しも、後生を恐れるものであります。
 にもかかわらず、或る者は、邪教を信じて、或る者は、謗法を貴んでいます。

 確かに、仏法の是非に迷うのは、悪いことです。
 しかし、それでもなお、仏法に帰依しようとする心掛けが、哀れでなりません。

 同じように信心を持つのであるならば、正法を信じるべきであるにもかかわらず、妄りに、邪義の言葉を崇めてしまうのは、何故なのでしょうか。

 もし、謗法への執着の心が飜(ひるがえ)らなかったり、仏法に対する曲解が残っていれば、早く、この世を去ってしまうこととなり、後生は、必ず、無間地獄に墜ちることでしょう。

 その理由は、大集経に、説かれています。

 「もし、無量の過去世において、布施や持戒や智慧を修行した功徳を積んだ結果、国王の身となったとしても、仏法が滅亡することを見ておきながら、放置して擁護しなかったならば、無量の過去世に種を下した善根は、皆、悉く滅失する。
  (中略)
 やがて、その王は、重病にかかって、死後は、大地獄の中に堕ちることになる。
 また、その王と同様に、王妃や太子や大臣や城主や教師や郡守や宰官も、重病にかかって、死後は、大地獄の中に堕ちることになる。」と。 

 仁王経には、このように、仰せになられています。

 「仏教を破る人には、親孝行の子は生まれない。 
 親子・兄弟・夫婦等は不和であり、天の神々も、助けてはくれない。

 病氣や悪鬼に侵害されない日はなく、生涯、どこに行っても、災難がついて回る。
 禍いが次々と起こり、死んだ後には、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ちるであろう。

 もし、人間に生まれ変わってきても、兵士や奴隷となって、苦しみを受けるであろう。

 夜、灯火の下で、人が字を書いた場合に、火を消した後であっても、字は存在することと同様に、三界(欲界・色界・無色界)で犯した謗法の悪罪は、決して、消えることがない。
 あたかも、音と響きのように、身と影のように、切っても切り離せないものである。」と。

 法華経の第二巻の譬喩品第三には、「もし、その人が信じることなくして、法華経を誹謗すれば、その人の死後において、無間地獄に堕ちるであろう。」と、仰せになられています。

 法華経の第七巻の常不軽菩薩品第二十には、「千劫という、極めて長い間、無間地獄に堕ちて、大苦悩を受ける。」と、仰せになられています。

 涅槃経には、「正法を持つ善友から遠く離れて、正法を聞かずに、悪法に執着するならば、この悪業の因縁の故に、無間地獄の底に沈没する。その人の身は、縦横八万四千由旬(注、縦・横の一辺が、それぞれ五十八万八千里の長さ)の広大な地獄全体に広がって、間断なき苦しみを受けるであろう。」と、仰せになられています。

 このように、広く、たくさんの経文を開いてみると、謗法の罪が、もっとも重いとされています。

 にもかかわらず、悲しいことに、人々は、皆、正法の門を出て、深く、邪法の牢獄に入っていきます。
 また、愚かにも、人々は、悪教の網にかかって、謗法の網に深くからまっています。

 この薄暗い霧のような迷いによって、無間地獄の炎の底に沈んでしまうのです。
 これを、愁わずにいられましょうか。これを、苦しまずにいられましょうか。

 あなたは、一刻も早く、邪法信仰の寸心を改めて、速やかに、法華実乗の一善に帰依しなさい。

 そうすれば、三界(欲界・色界・無色界→六道輪廻の娑婆世界)は、皆、仏国となり、仏国は衰えることがありません。

 また、十方(東・西・南・北・東北・東南・西南・西北・上・下)の世界は、悉く、宝土となり、宝土は、壊されることがありません。

 こうして、国が衰微することなく、国土が破壊されることもなくなれば、一切の人々の身は安全となり、心は定んで安らかになることでしょう。

 この言葉を信じるべきであり、崇めるべきであります。

  - 第十段 正に帰して領納す -

 客は、こう云いました。

 現世・来世に及ぶ大苦悩を思えば、どんな人であっても、身を慎まずにはいられません。どんな人であっても、従わざるを得ません。

 今、主人から示された経文を開いて、具(つぶさ)に、仏の御言葉を承ってみると、正法を誹謗した過失は至って重く、正法を毀謗した罪は誠に深いものがあります。

 私は、今まで、阿弥陀仏だけを信じて、諸仏を抛(なげう)ってきました。
 また、浄土三部経だけを仰いで、諸経を閣(さしお)いてきました。

 それは、自分勝手な曲がった考えからではなく、法然に代表される浄土宗の先達の言葉に随ったまでのことです。
 恐らく、世間の多くの人々も、私と同様のことでしょう。

 そのため、今世において、多くの辛労に心を煩わすことになり、来世において、無間地獄に堕ちることは、経文に明らかであり、道理もはっきりとしています。
 どこにも、疑う余地はありません。

 今後、いよいよ、貴殿の慈悲に溢れた教誡を仰ぐことによって、ますます、愚かな自分の迷える心を開いて参ります。
 そして、速やかに、謗法を対治することによって、一刻も早く、天下泰平の世が到来するように、精進致します。
 まず、生前(現世)を安穏にして、更には、没後(来世)の成仏を祈ります。

 これらのことを、ただ、私一人が信じるだけではなく、他の人々の誤りをも、誡めるように致します。