っしゃーす。

こんちゃーーーす。

今日のブログも懲りずに超長いでぇーーーす。

 

ったく、毎回毎回小説かってのwww

もういっそ小説書けよってかwwww

 

いや小説家志望なんで既に一冊ファンタジー小説書いてるんですけどね…

出版社に送ってもかすりもしねぇよ…切ねぇ…

こんなに面白い文才持つ奴なかなかおらんやろ…

って思ってるのはわたしだけな~~~!

 

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はい。

 

前回の記事でうつになっちゃった♡てへぺろ♡

と吐露していたアテクシですが。

 

あの後何回かメンタルクリニックに通い、ちょっとだけ効果は感じたものの、

なんだかんだ自力で鬱脱却しましたわよ。(ドヤ顔)

 

処方された薬はほっとんど効き目がなかったので飲まずにいたけど

自己判断で薬やめるのはダメだとかネットにいろいろ書かれてたけど

飲まなくてもモーマンタイ(無問題)でしたね。結果論だがね。

 

アテクシ幼い頃から風邪引いても「食べて寝りゃ治る」って言われて

薬飲ませてもらったり病院に連れて行ってもらったりとかの経験が

あんまりないからさ、、、

やだ。。。フィジカルつおい。。。

 

 

メンタルクリニックのお医者さんに「軽度~中等度の鬱」と診断されて、

昔から憧れてたバウムテストとかもやって、CES-D検査では19点で、

今までなんとなく自分という生き物はこうなんだろうな…と

ふわふわしていたものが数値や診断によってはっきりとクリアになって。

 

初めてだったかもしれない。

ここまで自分と向き合って、自分の中に潜って潜って、本音をすくい上げて。

 

 

「わたし、鬱なんだって」とノートに書いた。

 

「思えば小学生の時からずっと鬱症状は出てたよね。

そんなことを自覚すらさせてもらえるような環境ではなかっただけで、

ずっと自分の中からSOSのサインは長い間ずっとずっと出てたよね」

 

「鬱だとわかった今、どうしたい?

ネットで調べた感じ、本気で治療すれば最短3ヶ月でよくなるってよ」

 

「はぁ?! 3ヶ月?!?! たったの3ヶ月?!?!?!

冗談じゃない。私のこの長年抱えてきた苦しみを、鬱になるほどの経験を、

たったの3ヶ月ごときでなかったことになんてしたくない!!!!!」

 

思わずものすごい拒絶反応が出た。

そうか、これが被害者意識というやつなのだな、と思った。

 

今まで被害者届は幾度となく出してきた。

でもきちんと受理されたことはなかった。

だからなのか、いつまでもいつまでも被害者意識が定着していた。

 

だって誰も助けてくれない。

誰も「君が悪いわけじゃない」なんて言ってくれない。

むしろやられる方が悪いんだとばかりに責められてばっかりだった。

 

当たり前の様に、疑うことなく人生懸けて全力で被害者の私を生きていた。

 

きっと誰か一人でも、幼い私が出し続ける被害者届を「受理」してくれていたなら、

もっと早くに気づけていたかもしれない。抜け出せていたかもしれない。

 

でもそんなことは誰にも分からない。

 

味を占めて「弱い私」を創り出し続けていたかもしれないし、

たらればのもしもストーリーに意味などない。

 

「どうしよっか。このままじゃ苦しい思いが続くだけかもよ」

 

……そうだね。

 

「今までよくがんばってきたね。悲しかったよね。辛かったよね」

「うん、我ながらよくここまで生き延びた。サバイバーだと思う。

私は強い。強いんだ。本当は強い」

「うん、強くて美しい。外見とかがじゃなくて、魂が

「”あの時”魂が削られて死ぬ思いをしたけど、それすらも経験の一部なんだと

思える。後悔しない日はないけれど」

「+になることはなくても、それでいいんだよ」

「思い出。大切な思い出の一つだ」

 

ーーー”あの時”のことを追憶。しばし涙が流れるーーー

※当ブログで詳しく書くつもりはないですが、とても悲しい思いをした、ある一つの経験です

 

「前を見始めたんだね。どんな自分になりたい?」

「そうだなぁ…。決めたことを”できる”私になりたい」

「なりたいね。なれると思う?」

「なれる。なるよ。なると”決めた”。大丈夫。」

 

 

ここまで。じっくり自分と対話して。

やっと、やっと、”私は無理に変わらなくていい”のだと思えた。

 

鬱病なんかになって恥ずかしい、と実は心の中では思っていたけど。

鬱病になるのはやっぱり自分が弱いからなんだ。

周りの人は普通に生きれているのに。私は間違ってばかりだ。

弱い自分は恥ずかしい。弱い私は許せない。

 

そう思っていたけど。

 

そんな自分でもいいじゃん☆と自然に思えた。

 

鬱病が恥ずかしい病気なら、そんな病気を存在させてる神様のバグじゃね?

ってことはただの人間の私、なんも悪くなくね?くらいに思えてきた。

 

っつーかもう人生まるごとバグってんだから、今更こんなんどうってことないっしょ☆ と。

 

自分の心と気が済むまで対話したからこそ、そう思えるまでに浮上できた。

 

そうしたら、絶対にありえない!!!と思っていた

まさかの3ヶ月間で鬱が治った

治ってしまった。

 

ちなみにこの「治った」っていうのは、お医者さん診断ではないのだけど。

 

明らかに、ある時から

毎日毎日途切れることなく沸いていた希死念慮がなくなったの。

 

鬱真っ最中の時は毎秒のように

「あぁ…今電車に突っ込んだらサクッと逝けるかな」

「このまま道路にふらりと倒れたら一発で逝けそう…」

「私がいなくなったら息子悲しむよなぁ・・・あ、めっちゃ高いビルあるな。

あそこなら苦しまずに一瞬かな。痛いのはまじで嫌なんだよな…」

「睡眠薬がぶ飲み・・・? いやキツイって無理だって」

「なんで人間てラクに死ねないんだろう」

「残された旦那は何を思うんだろう…シングルファザーは大変そう…」

「せめて遺書に母親への恨みつらみ書いてやろうかな。

私のこの苦しみを1ミリでも分かればいいのに。

なんであの人はのうのうと生きてんだろ…」

「水…は冷たそうだな。飛び降り…は痛そうだな。薬…は苦しそうだしな。

あー、どうやったらラクに逝けるんだよクソかよクソだなほんとクソクソクソ」

 

って、もう~~~

 

めっ☆だぞ☆

 

みたいな思考満載だったんですよね。

もうとにかくシニタイキモチガトマラナイ★みたいな。

 

でも少しずつ、少しずつ、今のありのままのクズで鬱な自分を受け入れたら、

自分という存在に対してずっとしてきていた抵抗をやめたら、

自分という、絶対に他の誰にもなり代われない生き様を静かに認めたら。

 

気づけばいつの間にか、強烈なまでの死にたい思考は消えていた。

代わりに、些細なことにも「ありがたいなぁ」と思えるようになった。

 

今までは、誰かが得意げに語る「感謝しましょう!」という言葉に嫌気が差していた。

 

「感謝感謝うっせーんだよ!

感謝なんて自分の中から自然に湧き出てくるもんであって、

他人からさぁしましょう☆って言われてやるもんじゃねっつの。

どいつもこいつも感謝するといいですよ、感謝が運を上げますよ、

感謝感謝感謝感謝感……いいかげん耳タコ―っ!!!!!聞き飽きたわい!!!」

って。

 

そう思うのは今でもあまり変わんないんだけどw (こらこら慎みたまえ?)

 

やっぱり、自分の中から自然と無理なく

「感謝」が湧き出てくるのはいいものだなぁ、と。

 

・トイレットペーパーがあってありがたいなぁ。これがなかったらケツがぬれt

・靴があるってありがたい。これがなきゃまともに外歩けないもんな…

・世界にすべてが揃ってるってまじでありがたい。

 私一人だったらスマホはもちろん、紙もペンも米もパンも何一つ生み出せてないもんな…

・この世って誰かの犠牲と勇気の上に成り立ってるんだよな。

 最初にフグとかウニとかタコとか食べようとした人、ほんとに感謝やで…

 

ってな感じで。

別に無理して感謝をひねり出すわけでもなく、今自然にそう思える事が嬉しい。

 

誰かのおかげ様で生きれている。

今日もどこかの誰かの働きのおかげで私は不便なく生活ができている。

 

「死」しか見えていなかった頃からしたら、

今はもうそれだけで充分贅沢だと思える。

 

そして最近やっと体感として得て気づいたのが、

幸せになることと夢を叶えることは別物なんだなということ。

 

長年の夢である「作家」になれたら「幸せになれる」と

ずっと思いこんできたけれど。

 

どん底をさすらって、

終わりのないトンネルで闇の中をひたすら進み続けるような感覚を、

そして自分と向き合いきって得た死生観を通して、やっと見えてきたんだ。

 

今すぐ幸せになっていいんだ。

たとえ夢が叶っていなくても。

 

幸せなまま、夢を叶えたらいいんだ。

幸せなまま、夢を叶えていいんだ。

 

夢の先に幸せがあるんじゃない。

幸せだから夢が叶う訳でもない。

 

それらはそれぞれ別物として捉えて、それぞれ手に入れればいいのだ。

 

私は今やっと、自分にそれを許可できる。

今やっと、自分の人生が始まった感覚がしている。

 

 

長かったなぁ。

ほんっとーーーに長かった。

ここまでくるのに随分とさまよって、血迷って、遠回りしてきてしまったなぁ。

 

 

とはいえ、私の環境はまだ何も変わっていない。

相変わらず借金まみれだし、準肥満体型だし、低所得だし。

旦那はストレスで吐血してるし、子どもはわがままがひどいし。

 

それでも今確かに幸せだと思えるのは、幸せを「外」に求めなくなったからだな。

 

外側がどんなに酷くても、私は自分の中でしあわせを育てると決めたのだ。

その思いが、いま私を支えてくれる唯一の拠り所だ。

 

それでいいのだ。

そんなもんでいいのだ。

 

 

だって・・・

 

人間だもの。