保護犬 華(はな)ちゃん | 善知識

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日蓮宗寺院 津島山 妙延寺 住職nichijuのブログ

 少し前まで、寺には1匹の保護犬がいました。その保護犬は、名前を華(はな)と言いました。今回は、その華の話を書きたいと思います。

【少々長い記事になりますので、お時間に余裕がある時にお読みください。】

 

 

 お檀家さんのお宅へ出向いたり、お寺にお檀家さんがお越しになったりした際に、昨年9月28日に亡くなった保護犬の華(はな)ちゃんが、度々、話題にあがります。

そのような時に、「ああ、華(はな)ちゃんは、みんなに愛されていたんだなぁ。」と思います。

 

 

 今から、7、8年前のある2月の寒い日の夜、帰宅した娘が「玄関先にタヌキのようなものがウロウロしていた」と話しました。ハクビシンなどの害獣では困りますので、すぐに外へ出て玄関先を見ましたが何も見当たりませんでした。そこで、そのまま境内をあちらこちら調べていると、庫裡の来客用玄関の前に何か動物が座っているのを発見しました。ぱっと見て、すぐにそれが犬だと分かりました。

 

 私が、その犬に近づいていくと、座っていたその犬は立ち上がりました。暗かったこともあり、体が結構大きく見えました。どんな犬かも含めて状況をしっかり確認するために、私は、庫裡の中へ懐中電灯を取りに行きました。きっと、人の姿を見たので、恐らく私が懐中電灯を取りに庫裡の中に戻ったところで、その犬は寺の境内から出ていったかもしれないと私は思いました。

 

 案の定、懐中電灯をもって、来客用玄関の前に戻ると、そこにあの犬の姿はありませんでした。直感的に「きっと、もと来た所(自分が飼われている家)に戻っていったのだろう」と思いました。ただ、懐中電灯も持ってきたことだし、一応、境内をぐるっと見てみようと思い、本堂や日朝堂のまわり、鐘楼堂の裏など境内をぐるぐると確認して回りました。そうしているうちに、犬好きな下の娘が私の所へやってきて一緒に犬を探し始めました。しばらく境内を歩き回り、自家用車の影や鐘楼堂の裏にある小屋の裏側までも探しましたが、どこにもあの犬はいませんでした。私は、「やっぱり、さっき懐中電灯を取りに部屋の中に戻った間に、もと来た所へ帰っていたのかもしれないね。」と娘に話しながらも、一応、墓地の方も確認してみようと思い、墓地の中へ入っていきました。

 

 寺の参道とは正反対の位置に墓地はあるため、恐らく、人の姿を認めた犬は、「(警戒して)わざわざ、もと来た参道と正反対の墓地の方までは行かないだろうな」と思いながら墓地の中を調べていきました。「やはりいないな」と捜索を終えようと思いかけた時、墓地の一番奥まった所に、あの犬がこちらを向いて座っている姿が目に入りました。「あっ、いた」そう言いながら、娘と一緒にその犬のそばまで駆け寄りました。その犬は、こちらを、じっと見ていましたが、立ち上がる素振りもせず、そのまま座っていました。

 

 

 寺では、もともと「蓮」(れん)という名の柴犬を飼っていましたので、私はすぐに娘に向かって、「蓮ちゃんの、お古の首輪とリードを持ってきて」と声をかけました。

娘が、首輪とリードを取りに行っている間、私とその犬は、じっとお互いを見ていました。懐中電灯で照らされたその犬を改めて見てみると、オオカミのような姿をした大きな犬でした。

 

 やがて戻ってきた娘から首輪をもらい、その犬に注意深く近づきました。「どんな性格の犬だろう」と考えながら近づいていきましたが、その犬は、変わらず、私の方をじっと見つめていました。

 

 犬の脇まで行き、しゃがんでみると、その犬の大きな体には無数の「オオオナモミ」(俗に、くっつき虫と呼ばれる植物)」が体中にくっついていました。これ程たくさんのオオオナモミを体中にくっつけているということは、長い時間、草むらの中をさまよっていたのは間違いありません。しかし、寺の周囲は、住宅地が広がっており、オオオナモミの生えているような草むらは全く心当たりがありません。

 

 

 「どこから来たのだろう?」と思い、いろいろと想像してみましたが、全くわかりませんでした。ふと、我に返り、持っていた首輪をその犬の首に巻こうとしました。

 

 「急に暴れたり、噛みついてきたりしないだろうか?」と不安な気持ちもありましたが、このまま放っておくわけにいきません。慎重に首輪をその犬に巻き、バックルを締めましたが、実にその犬はおとなしく、私にされるがまま、微動だにせず、首輪を装着させてくれました。

 

 首輪をして、リードを付けたところで、私も少し安心し、改めてその犬の体をみました。体中にくっついているオオオナモミをとってあげようとしましたが、体毛にオオオナモミが複数絡み合い、1つ取るだけでも大変な作業でした。しかし、犬の体には、数えきれない程多くのオオオナモミがくっついていましたので、翌日にオオオナモミを取ることにしました。また、その犬の体は、かなり痩せていました。「きっと、何日間も何も食べずに、あちらこちらをウロウロしていたのだろう」と思いました。

 

 飼い犬の「蓮」の餌を、その犬に食べさせてやりました。餌皿にドッグフードを入れてやると、飛び上がって物凄い勢いで、あっという間に平らげてしまいました。よほど、お腹を空かせていたのだろうと不憫に思い、もう1杯、餌皿にドッグフードを入れてやりました。すると、これもあっという間に平らげてしまいました。(とてもかわいそうなので)「まだまだ、食べさせてやりたい」と思いましたが、お腹を壊してはいけないので、明朝にまたあげることにしました。

 

 とりあえず、その日の夜は、(夜間、飼い犬の「蓮」は玄関内のゲージに入れるため)飼い犬の「蓮」が日中に使用している、外にある犬小屋につないでおくことにしました。

 

 明朝、明るくなってからその犬を見にいくと、夜の間にその犬を入れておいた犬小屋の前面が壊されていました。体も大きな犬なので、改めて柴犬とは違う力強さを感じました。

 その日の朝も、昨夜と同様に、餌を餌皿2杯分食べさせてやりましたが、あっという間に平らげました。

 

 

 その日は、幸運にも午前中に仕事が入っていなかったので、時間をかけて体中のオオオナモミを取ってやりました。オオオナモミはお腹にまでびっしりとくっついていましたので、「痛かっただろうな」ととても可哀そうになりました。

 

 

 

 オオオナモミを取り終えたところで、その犬を連れて警察署に相談に行きました。警察署で、このしばらくの間に、飼い犬の捜索願が出されていないかを調べてもらいました。近隣の管区や名古屋市の方まで、警察署の方は、連絡をとってくださいましたが、該当する捜索願は出されていないようでした。

 

 一時間程、時間をかけて警察署の方が調べてくださいましたが、飼い主の手掛かりは全くつかめませんでした。そして、警察の方から、次の2つの提示がされました。それは、①この犬を拾得物として届け出るか、②この犬をこのまま警察に任せるか、という2つの選択肢でした。

 

 

 但し、①の場合は、飼い主が見つかるまで、自宅でこの犬の世話をする必要があるということでした。

 

 

 すでに、寺には柴犬の「蓮」がいましたので、私は、警察の方に、「すでにうちには飼い犬が1匹おりますので、警察の方にお任せしたいと思います」と答えました。すると、次に、警察の方は、1枚の紙を私に渡してきました。その紙は、要するに殺処分に同意する旨が書かれた文書でした。私は、驚きました。この犬には、この犬のことを探している飼い主がきっとどこかにいるはずです。そのような大切な犬が、飼い主に再会することができずに、殺処分されることなどあってはなりません。

 

 

 私は、この犬を拾得物として届け出ることにしました。これから6カ月間の間に飼い主が見つからなければ、その後は、自分の飼い犬として、ずっと世話をしていくことになるという説明も受けました。

 

 警察から寺に戻った私が、あの犬を連れて帰ってきたのを家族が見て、驚いた顔をしましたが、事情を話すと「良かったね。」「何とかして飼い主を見つけてあげようよ。」と犬を連れて帰ってきたことを逆に喜んでくれました。

 

 

 

これから飼い主が見つかるまで、責任をもって世話をしなければならないと家族で相談しました。肋骨が浮き出るほど、その犬は痩せこけていましたので、まずは、動物病院へ連れて行って健康診断をしてもらうことにしました。動物病院なら様々なネットワークで飼い主を探してもらえるのではないかとも考えました。

 

 早速、飼い犬が日頃お世話になっている動物病院へ、その犬を連れていきました。病院の先生は、「これまでどんな生活をしてきたか分からないので、何か病気をもっているかもしれないし、凶暴な性格の犬だと大変なことになるので、保護することについては、少し考えた方が良いのではないか」と話されましたが、私が、「何とかして家族の元へ帰してやりたい」との強い気持ちを伝えると、いろいろなネットワークを使って飼い主探しに協力してくれることになりました。

 

 体にマイクロチップが埋め込まれていないかも確認してもらいましたが、残念ながらマイクロチップは埋め込まれていませんでした。その後、健康診断をしてもらい、寺へ戻りました。

 

 寺(うち)の子になったということで、その犬に名前をつけてあげることにしました。名前は、すぐに決まりました。漢字で「華」と書いて、「はな」と名付けました。寺で、もともと飼っている柴犬の名前が「蓮」(れん)ですから、ふたりを合わせると「蓮華」となり、妙法蓮華経の心となります。寺の犬として、私や寺族と共に、寺に訪れる様々な人たちに、妙法蓮華経の心を伝えられる存在になってほしいという願いを込めました。

 

 

 実は、この華ちゃんを保護して以来、半年ほど世話をしている間に、「おやっ」と思うことが度々ありました。それは、華ちゃんが、外へ散歩に連れて行っても、非常におとなしく、とても慎重にこちらを気にして歩き、おしっこも一度もしないということでした。はじめは、「しっかりしつけされた利口な犬だな」と思いましたが、異常なまでにこちらを気にしながら慎重に歩く姿を見て、何か違う理由があるのではないかと感じはじめました。そのように感じていた折、雨の日に傘を持つととても怯えたり、長い棒を見ると身をかがめて怖がる素振りをしたりすることに気付きました。こうした姿から、「きっと、以前の飼い主から乱暴を受けていたか、飼われていた家を出たあと、あちらこちらをさまよっている間に、誰かから乱暴されたのではないか」と考えました。

 

 そのような様子や態度、そして警察や様々な機関にお願いして元の飼い主を探したにも関わらず、結局飼い主が見つからなかったことなどから、これまであまり飼い主に大切にされていなかったことや迷い犬でさまよっている間にも、乱暴をされていた可能性があることが想像され、とても不憫に思いました。

 

 それだからこそ、この「華」と名付けた保護犬に多くの愛情を注ぎ、この犬が受けた心の傷を癒してあげたいという思いで、保護犬「華ちゃん」との生活が始まっていきました。

 

 さて、数日後、健康診断の結果を聞きに行くと、大変な病気が見つかったと報告がありました。その病気は、「フィラリア症」でした。これは、蚊を媒介してフィラリアという寄生虫が犬の肺動脈や心臓に寄生し、全身の血液循環や内臓に深刻な障害を与えるというものです。通常、飼い犬にはフィラリア症の予防薬を投与することは、飼い主にとっては、ごく当たり前のことだと思いますが、この華ちゃんは、おそらくフィラリア症の予防もなされず、飼われていた家を出たあと、あちらこちらをさまよっている間に、たくさんの蚊によってフィラリアの寄生を受けてしまったと考えられます。改めて不憫な子だなと思いました。

 

 

 

 長期に渡る治療の結果、フィラリア症を克服することができました。ちょうど、この頃になると、華ちゃんは、心の傷も癒えたのか、表情が豊かになり、散歩に出ても、他に散歩している犬に出会うとちょっかいをかけるようになったり、散歩中におしっこやうんちもするようになったり、変化が見られるようになってきました。ようやく犬らしい振る舞いができるようになった華ちゃんを見て、日々を生きていくことが大変なのは、人間ばかりでなく、他の生き物たちも同様なのだということを改めて実感しました。

 

 

 華ちゃんは、体が大きくその風貌から、お寺へいらっしゃるお檀家さんの中には、少しこわいと感じる方も当然いらっしゃいます。そのようなこともあり、華ちゃんは、人目につかない本堂の裏に犬小屋を置いていました。そんなある日、月回向会の時に、保護した迷い犬がお寺の犬になり、現在は、本堂の裏で飼っていると紹介しました。すると、動物好きなお檀家さまが、来寺するたびに、本堂の裏に回り、華ちゃんに声をかけてくれるようになりました。こうしたみなさんの温かな心が華ちゃんの表情をさらに和らげてくれました。

 

 いつしか、私が傍にいくと、立ち上がってギュウっと私の太ももに抱きついてきて離れないというくらい心を開いてくれました。

 

 

 

 

 しかし、このような暗くてつらい過去を引きずってきた犬ですから、こうして心を開いた後も、誰に対してもおとなしく接し、また、とても我慢強いと感じる場面を幾度と見かけました。

 

 

 

 そんな犬ですから、来寺される様々な人たちから愛される犬になっていきました。学校に行けなくなり悩んでいた小学生が、華ちゃんに会いに来るようになり、華ちゃんに悩みを聞いてもらったり話をしたりして、ある時、「明日から学校へ行く」と華ちゃんと約束をして、学校へ通えるようになったという男の子もいました。つらい過去を歩んだ犬が、多くの悩み苦しむ人たちを、その健気な振る舞いで救っていく姿をみて、「菩薩道」を生きるとは、このようなことだと、私自身、何度も華ちゃんから教えられました。

 

 やがて、家族があることに気付きました。それは、私が本堂でお経を読んだり、行事などで説法を始めたりすると、寝そべったり、犬小屋に入っていたりした華ちゃんが、本堂の方を向いて行儀よくお座りをし、私の読経の声や説法の話に、身動きもせず聞いているということでした。

 

 

 華ちゃんは、「妙法蓮華経」に縁を結んだのだなと、その話を聞いて私は思いました。縁を結ぶとは、与えられるものではありません。自らがそれを受け容れることが必要です。先日の秋季彼岸施餓鬼会でもお話ししましたが、先祖から代々続くお檀家の家に生まれても、妙法蓮華経の教えを自らが受け入れなければ、妙法蓮華経に縁を結ぶことはできません。そのような場合は、熱心に信仰された親が亡くなったとたんに、その御子息さまが檀家をやめて、他の宗教へ変わるかあるいは、無宗教の道を歩くかという悲しい現実になってしまいます。実際そのようなことが、最近は、ちらほらと見られるようになってきました。

 

 「自ら受け容れる」「自ら進んで菩薩道に入る」これが、大切であるとお釈迦様は、くり返し仰っています。華ちゃんは、そんなお釈迦様の教えを体現してくれていました。「飼い主の声を聞いたからそれに反応してお座りしただけでしょ。」と言われる方もいるかもしれませんが、私の雑談する声がいくら聞こえてもお座りすることはなく、読経か説法のどちらかの時だけ、行儀よくお座りをいていたのです。しかも、とても長い時間、ピタリと身動きもせずお座りをしていたのです。りっぱなお寺の犬に成長したなと思いましたが、このことは、お檀家さまには話しませんでした。(きっと華ちゃんは、みんなに褒められたくてやっているわけでないので、気が散ってお経や説法が聞けなくなってしまってはいけないので・・・)

 

 

 

 

 

 

 そんな華ちゃんですが、突然、華ちゃんに悲しい夏がやってくることになったのです。

 

 

 

 8月のお盆が過ぎた下旬に、華ちゃんの両耳が湿っぽく濡れていることに気付きました。すぐに病院へ連れて行けず、2日が経ったところ、両耳から膿が出てきてしまいました。そこで慌ててかかりつけの動物病院へ連れて行きました。病院では、「外耳炎」と診断されて抗生剤を処方していただきました。

 

 幸い食欲はありましたので、抗生剤をきちんと飲ませることができました。しかし、両耳の状況は改善しないばかりか、膿の量が増え、両耳の穴を塞ぐほどになってしまいました。抗生剤の薬は1週間分処方されていたので、とりあえず1週間はその薬を飲ませながら状況を見ることにしました。しかし、状況はどんどん悪くなり、前足、後ろ足の足先がただれ、お腹もじくじくした感じになってきてしまいました。そこで、1週間を待たずに、病院へ連れて行きました。

 

 病院で診ていただいたところ、急速に病状が悪化しており、こうした症例はこれまで診たことがなく「分からない」と先生に言われました。ただ、皮膚が異常な速さでただれてきていることから、皮膚の組織を外部の専門機関に出して検査をしてもらうと良いということになり、皮膚組織を取る検査を受けました。ただでさえあちらこちらの皮膚がただれてしまっている状態で、あちらこちらの皮膚組織を取る検査をするので、相当痛い検査であったと思いますが、とても我慢強く、声一つ出さず、身動き一つせず、ぐっと我慢して組織検査に耐えました。我慢している華ちゃんの後ろ姿の体は、とても速く小刻みに震えていました。

 

 検査の結果が出るまで、しばらく時間がかかるとのことで、2週間分の薬(前回と同じ抗生剤)が処方されました。幸い、その時も食欲はありましたので、抗生剤を餌に混ぜながら与えることができました。

 

しかし、病状はどんどん悪くなる一方で、皮膚のただれは、全身に広がってきてしまいました。動物病院の先生からは、「検査の結果が出たら連絡します」と言われていたことと、前回と同じ薬が処方されていたこと、そして、病状がかなり深刻な状況に進行していることから、セカンドピニオンとして別の動物病院で診てもらうことにしました。

 

 

 その動物病院の先生にこれまでの経緯を話し、相談をしましたところ、「今の病院でされている検査の結果を待ちましょう」ということになりました。

 

 

 その後、2週間を迎えるまで検査をしたかかりつけの動物病院からは、検査の結果が出たという連絡はありませんでしたが、病状はさらに悪化し、全身の皮膚がダラダラになってきてしまっていました。さらに、食欲も無くなり、餌も全く食べなくなってしまいました。(薬だけは無理やり口の中へ入れていました)

 

 

 そのような状況になってしまったので、2週間を待たず(12日目)、かかりつけの動物病院へ行きました。すると、「すみません。連絡をしていませんでしたが、検査の結果は出てます。」と先生は、仰いました。その言葉を聞き、本当に華ちゃんが不憫でなりませんでした。日に日に病状が悪化していく中で、検査の結果が出たという知らせを待ち続けていた華ちゃんの苦しみを考えたら、涙が出てきそうになりました。

 

 「検査の結果からは、何も分からない」との先生の話でした。そして、先生からは、「セカンドオピニオンということで、岐阜大学病院の受診をしてみたらどうか」と提案がありました。

 

 私はすぐに「そうしてみます」と答えました。そして、岐阜大学病院の紹介を先生にお願いしました。岐阜大学病院は、大変予約を取ることが難しいので、いくつか候補日を挙げて、岐阜大学病院からの連絡を待ちましょうということになりました。

 

 

 

 岐阜大学病院の受診まで、華ちゃんの体力がもつかとても不安でした。しかし、待つしかありません。餌も食べられないまま、薬だけを無理やり口の中に押し込む日が3、4日続きましたが、華ちゃんの体は、全身がただれグショグショの状態になり、餌も全く食べていないことから、立っていることもできなくなりました。

 

 「このままでは死んでしまう」と思い、さらに別の動物病院へ連れて行くことにしました。その病院の先生は、一目華ちゃんを見るなり、「一日でも早く治療を開始した方が良い。おそらくこれは、天疱瘡です」と仰いました。1週間ちかく餌を食べていないと話すと、まず、点滴をした方が良いということで、点滴をしてもらいました。点滴をしてもらいながら先生と話をしました。その結果、「岐阜大学病院の検査を待っている時間は、もう無い状況なので、岐阜大学病院の検査は断って、いまからすぐ、天疱瘡の治療を開始しましょう」ということになりました。

 

 その日から、毎日、動物病院へ通い、点滴とステロイド剤と抗生剤の注射を打ってもらうことになりました。

 

 その治療を始めて、4日が経ちました。

 

 皮膚のジュクジュク感は少し改善してきましたが、なかなか食欲はでてきませんでした。

 

 5日目は、ちょうど動物病院の休診日なので、4日目に受診した時に、栄養たっぷりの缶詰を先生からいただきました。「少しでも食べられると良いね。」と家族で話しましたが、やはり一口も食べられませんでした。

 

 そして、その夜、声を出さなかった華ちゃんが、「くーん」「くーん」「わん」「わん」と声を出しました。私は、元気が出てきたのだと思いました。餌は、まだ食べられなくても、だんだんと良くなってくる兆候だと期待しました。その夜は、一晩中、華ちゃんは、「くーん」「くーん」「わん」「わん」と声を出していました。

 

 

 朝になっても、華ちゃんは「くーん」「くーん」「わん」「わん」と声を出していました。

朝、家を出る時に、横になっている華ちゃんに「行ってくるね」と声をかけました。声も出せるようになり、きっと良くなると思いながらも、何か気になり、玄関を出てから華ちゃんの方をもう一度見ました。

 

 華ちゃんの大きな2つの黒い目と目が合いました。ただ、いつもの華ちゃんの生き生きとした目ではありませんでした。力のない目でした。でも、しっかりと私の方を見ていました。「バイバイ華ちゃん。」そう声をかけて私は仕事へ向かいました。

 

 

 それが、華ちゃんとの最後の別れとなりました。

 

 

 

 迷い犬として、恐ろしい乱暴を受け、長い間、苦難の道を歩いてきた華ちゃん。お寺に来てからも、なかなか心を開けない生活が続き、ようやく来寺されるみなさんに心を開くことができた華ちゃん。それまでの長い時間の苦難の連続を思えば、もっと人に甘えても良かったであろうに、華ちゃんは、甘えるどころか逆に多くの人に温かく柔らかな心を振り撒き、接する人を幸せな気持ちにしてくれました。

 

 

 そのような振る舞いは、まさに菩薩道の道をまっすぐに歩く尊い姿でした。

 

 

 与えられることよりも、与えることを実践し続けた生き方でした。

 

 

 そんな華ちゃんにさらに残酷な試練が降りかかり、大変な病に苦しむことになりました。全身の皮膚がただれ、顔面もパンパンに腫れ上がり、まさに満身創痍の状態であっても、周りの者たちに心配をかけまいと、ぐっと我慢し続ける姿には、力強い菩薩の姿を見ました。

 

 

 恐らく、少し触れただけでも飛び上がるほど痛むただれた皮膚の組織を取る検査の時も、私が病院の先生に「助けてあげてください」「よろしくお願いします」と何度も何度も頭を下げてお願いしている姿を見ているので、ただの一つも声を上げず、華ちゃんは検査を受けました。検査を受ける華ちゃんの背中が、小刻みに震え、力の入らない両足に何とか力を入れようと、何度も何度も足踏みをしている姿が忘れられません。

 

 

 恐ろしい断末魔の苦しみに対し、約1ヵ月間、決して臆することなく、最後まで周りに心配をかけまいと気丈に振舞った華ちゃんは、真の寺の犬です。

 

 

 臨終正念。素晴らしい最期の迎え方でした。最も大切なことをその身をもって私たちに教えてくれました。

 

 

 私自身が、臨終の瞬間を迎える時に、この華ちゃんと同じような気高く気丈に振舞えるか不安がありますが、その時が来ましたら、華ちゃんのことを思い出し、華ちゃんに力をもらいながら最期の時を迎えたいと思います。

 

 

 妙延寺には、動物を供養する墓地がありません。私は住職になってからずっと、できる限り早い時期に動物を供養するための供養塔を作りたいと思い続けてきました。そんな時に、突然、華ちゃんがこの寺にやってきて、菩薩の道を、その大切な体と生涯をかけて、私をはじめ、この寺に縁のある多くの人たちに教えてくれました。

 

 

 いつか、この妙延寺に動物たちのための供養塔が整備されたときには、今回、少しとっておいた華ちゃんの体毛を一番に奉納したいと考えています。その動物供養塔に供養される動物たちのリーダーとして、「お寺の犬、華ちゃん」が多くの動物たちを妙法蓮華経に縁を結ばせてくれる案内役を引き受けてくれると思います。

 

 

 ありがとう。華ちゃん。また逢う日まで。

 

 

 

【華ちゃん 諷誦文】

 仰ぎ願わくは仏祖三宝 殊には日蓮大菩薩等伏して照鑑を垂れ給え。上来御宝前において読誦し奉る大乗妙法蓮華経 唱え奉る御題目等 鳩る処の功徳を以っては 令和4年9月28日 死滅せる妙延寺飼育の愛犬 俗称 華ちゃんの霊魂に回向す。

 つらつら案ずるに汝は 法華経の道場たる当山にて保護され、寺族、檀徒に寵愛され 且つ又家族の心の拠り所として過ごすこと5年7か月、汝の耳に入る読経、唱題、説法の梵音は、毛口より入りて自然に菩提心を起こし 自他共に家族の一員となり、妙延寺の愛犬となり、日々菩薩道を歩む。

 その姿は、小さき畜生の身なれども、真に菩薩道を歩む、尊き仏の使いなり。

 唯願わくは一念三千十界互具の真理 本化大慈の救済の力により 速やかに霊山寂光の宝刹に摂取され 妙法経力 即身成仏の大果を成ぜん。

 一切衆生 悉有仏性 一念随喜 勇猛精進 世世得善知識 我本行菩薩道 是好良薬 今留在此 汝可取服 勿憂不差 汝是畜生 発菩提心

 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経

 

 

 

(最後まで記事をお読みになられた方へ)

長きに渡り、稚拙な記事におつきあいをくださり、ありがとうございました。心より感謝いたします。