こんにちは。
9月29日、サモア歴史上最悪の災害が起きてしまいました。
ブログを読んでくださっている方、そして日技のスタッフの方、
皆さん心配してくださったのにご報告が遅くなってしまい申し訳ありません。
いろいろなことが度重なり日本に一時帰国をしていましたが、
先週サモアへ帰ってきました。
9月29日(日本時間30日)の朝6時50分過ぎ、
ベットの中で地震に気付きました。
サモアでも小さな地震はよく起こります。しかし今回は長い。
そのうちどんどんと揺れも大きくなり、
両側の窓からスライド式のガラスが落ちてきて割れたと思ったら
台所からお皿など落ちて割れる音が。
「やばい!家が潰れる!」
慌てて外に飛び出しました。
家にはテレビもラジオもないのでとりあえず職場へ。
家の前の道にはたくさんの人が下のほうから歩いてきます。
(家&病院は山の中腹にあります。)
津波警報が出ていたらしく、みんな避難してきたのです。
同僚達に会い、今日はデンタルは休みにするということで
ラボで他の同僚とラジオを聴いていました。
サモア語で状況が飲み込めず訳してもらうと、
どうやら津波が来るらしいということ。
その後、JICAスタッフや協力隊の友達も病院前に避難してきて
偶然合流でき、お互いの無事を喜びました。
待機していると時間が経つにつれて段々と状況が分かってきました。
どうやら首都の反対側の観光地(アレイパタ)に
大きな津波が来て、村や人々が飲み込まれたらしいと。
救急車や国立病院のトラックなどサイレンを鳴らし出動しています。
首都アピアは電気、水、電話は大丈夫だったので、
すぐに親に連絡を入れました。
大きな地震の後も余震が続いていて、数日はとても怖かったです。
数日後、現地へボランティアに行ったのですが、すべて流れ去ってしまっていて、前に何があったのかさえわからない状態。
村やビーチリゾートがまるごと飲み込まれ・・・。
いろいろな国から毎日のように救援物資が届けられ、
またたくさんの人が赤十字や被災地でボランティアをしていました。
私が「心配だ、心配だ」と言っていたら、同僚から、
「俺達サモア人は今日悲しいことがあっても、明日には笑ってるから心配ないよ」 と。
現地でレスキューボランティアをしてきた協力隊の友達も、
「みんなたくましく生きてたよ。みんな笑顔でもう次の家を建て始めてたしさ」
長い長い航海をしてサモアの島にたどり着いた人達。
「強い人だけが生き残った人達の子孫って、やっぱり強いなー」と、
反対に勇気付けられました。
※第6回に続く
(チロ)