「BC級戦犯裁判」書評 | 日月抄ー読書雑感

「BC級戦犯裁判」書評

靖国参拝問題にからんでA級戦犯の合祀について問題になっている。A級があるならB級、C級があるはずであるが、我々の目は通常そこまではいかない。ドイツの戦争犯罪をを裁いたいわゆる[ニュルンベルク裁判]では、戦争犯罪を三つの類型に分けている。
(A)平和に対する罪)侵略戦争を計画 、共同謀議への参加
(B))戦争犯罪 戦争の法規慣例違反 占領地内の一般人民の殺人_虐待、奴隷労働等
(C)人道に対する罪) 戦前、戦中一般人民に対しておこなれた殺人、殲滅、奴隷化等

BとCは峻別できない点もあるので通常BC級戦犯と呼んでいる。今回アジア太平洋戦争における命令者から実行者までおよそ5700人が裁かれたBC級戦犯裁判(うち死刑最終確認934人)の実態をを明らかにした本が岩波書店から発行された。(林博史著BC級戦犯裁判)

これまでBC級戦犯の裁判は「勝者による裁判」(A級にもいえる)とか「被害者の報復」であるとか、さらに裁判の杜撰さが指摘され否定的な評価したり、感情的に非難したりものが多かった。、著者はなによりも戦争をなくすために、また起きたとしても戦争の犠牲を少なくするために、戦争裁判の経験からから汲み取るものがあるのではなかという姿勢で、多くの調査を実施し、客観的にその事例を説明し、我々に実態を知らせてくれる。

いろいろな事例の紹介があるが、その中で特に印象に残ったのは次に事例である。マレー半島のイロンロン村で日本軍に1000人近くの村民が殺され、村が焼かれた。その責任者として起訴された中隊長は死刑を免れている。(禁錮12年)これは地元の中国人女性と警官が被告の弁護にたち被告が住民を憲兵隊や日本軍から守ったことを証言したからである。稀な例ではあるが、住民は客観的に裁判を見守っていたたわけである。すべてが「復讐裁判」ではなかった事例である。


なによりも日本人として恥ずかしいのは、証拠隠滅のために文書の焼却、はては口封じにために捕虜を8月15日の玉音放送の後に処刑し証拠隠蔽を図った事実である。日本人の醜さが悲しい。さらに上官は罪を免れ下士官やそれ以下の者に責任が転嫁された例も多いという。その点裁判が不公平であると不満をもった人たちもいたようだが、その責任は免れないはずである。

それにしても、「勝者による裁判」であった点は否定できないと著者は言う。米軍の日本都市への無差別爆撃や残虐行為を日本の軍法会議は不法のものとして裁いたが、平等に適用されるべき国際法や正義は連合国軍によって無視されたという。これをもって戦犯犯罪の不当性を声高に述べる人が今でも跡を絶たないが、著者は日本軍の非人道的行為を忘れていけないことを強調している。

裁判が終わって日本政府は米ソの冷戦状況を利用して赦免、釈放を求めているが、アメリカも日本を陣営に留めておくために譲歩し、順次赦免、釈放に応じている事実がある。まさに日本の自衛隊誕生の時期と一致している。著者は「スガモプリズンの中で真摯に日本の戦争を自省した戦犯たちは、侵略戦争に駆り出されて戦争責任を押し付けられ、さらに再軍備の取引材料され二度にわたって日本の支配者に利用され裏切られたのである。」と怒りをこめて述べている。

最後に、著者は「最近の日本社会は排外的なナショナリズムと他者へのバッシングが横行している。日本の戦争責任への自覚も戦争への抵抗感も薄れてきている。そのようなときに過去と現在を冷静に見つめる必要がある。」と述べているが、これがこの本を書いた動機でもあることが理解できた。そしてこの本を読んで改めて戦争犯罪と戦争責任の現代的意味を考えさせられた。

林博史著 BC級戦犯裁判 岩波新書  2005年月刊