吃音を生みだしている、要因はどんなものがあるだろうか?

 

(1)身体的な機能の問題がある場合

(2)ストレスからくる要因

(3)条件反射によるもの

(4)遺伝によるもの

(5)人前で挨拶やプレゼンなど緊張によるもの

 

この辺が多くの場合の原因だと思う。

 

僕の場合は(3)(5)が主な原因な気がする。

 

 

なぜかというと、幼少の頃吃音になって、それからそのどもるとうことが、パターンになってしまって、大人になっても治らないままその癖が続いている状態なんだと思う。

 

(5)はそれ自体というよりも、吃音をより強烈に強化してしまった要因。

 

人前で話したとき、吃音で笑われてしまい、それが強烈に話すことへの恐怖になってしまった。

 

話す恐怖が増大してしまい、益々吃音が強化されたという感じ。

 

中学生ぐらいはある意味一番キツイ。

 

とても多感な時期だし、吃音である自分がものすごく恥ずかしくて、とくに好きな女の子の前で自分が吃音であることを悟られるのは、死ぬ程恥ずかしかった。

 

なので、恋愛はかなり難しかったな~

 

もっと違う捉え方が出来たのかもしれないけど、僕は絶対的に吃音である自分が人に認められたりすることなんてないと、10代の頃は思っていた。

 

なので、好きな娘がいてもなかなか上手くいかなかった。

 

なんどかデートはしたけど、会話が上手くできないし、それが焦りを運でさらにどもるという悪循環。

 

どんどん自分を自分で追い詰めていく一人ゲームをしちゃっていた。

 

今なら、もっと上手くやれる方法を識っているが、当時はそうはいかなかった。

 

吃音改善トレーニングなるものがあるが、なかなか結果が出なかったな~

 

すごい頑張ったんだけど。

 

認知心理学を使ったプログラムなんかもり、僕も試してみた。

 

>>>認知心理学を使った方法<<<

吃音でもできそうな仕事ってなんだろうか?

 

自分なりに考えてみた。

 

 

(1)プログラマー

 

(2)デザイナー

 

(3)経理、財務

 

(4)現場作業員

 

(5)研究所

 

まだ色々とあると思うけど、できるだけ言葉でのコミュニケーションがなくても成立する仕事は以外とある気がする。

 

 

でも、いい仕事をするにはどうやっても、誰かにプレゼンをして、理解をしてもらったり、こちらの真の思いを伝えることは避けられないというのも事実。

 

結局何かのしごとをそしたら、そのアウトプットされたものを何らかの形でつかうのは人間なので、、、、

 

どんな職種でも、会社の組織によっては、朝礼当番みたいなのがあると、最悪。

 

これだけは、実際に就職して配属されないとわからない。

 

 

歓迎会も避けられない。

 

 

あとは、ブロガーとか、web上で情報を発していくことで、ビジネスになることもあるので、そう考えると吃音

でもできる仕事はたくさんあるのかもしれない。

 

就職は正直大変だが。

 

ぼくは、元々人前で話す仕事がしたかったんだよね。

 

セミナー講師になりたかった。

 

今のままだと難しいかもしれないけど、かなり、以前よりはどもらずにはなせるようになったので、もう少し先の将来に自分でコンテンツを創って、セミナーをやりたいと思っております。

 

今まで学んだ心理学を纏めて、お伝えする機会を創っていきたい。

 

 

吃音というぼくにとっては、とてつもなく巨大な魔物にも何らかのギフトが隠れているのかもしれない。

 

そういえば以前派遣で働いていたソフト開発の会社ではぼくほどではないけれど、吃音の人がいて、その人は凄腕のプログラマーでした。

 

ただし、会議などの席では、どもり気味でイマイチプレゼンも下手だったので、実力以下の評価しか得られていなかった。

 

なんとなくなんだけど、吃音の人はプログラマーなんかの才能がある人が多い気がする。

 

直感が鋭いというか、ひらめきが他の人とは違う気がするのです。

 

吃音を乗り越える方法は治すことが一番だけど、それ以外に道の同時に模索したい。

吃音に悩まされて来た、自分の過去を振り返ることを目的とした、日記をかいて行こと思ったのは、何らかの形でメモにすることで、自分の内側の気持ちを整理することになると思ったからです。

 

なので、この日記から、吃音を治すために役に立つ情報を発信しようなどとは露程も思っていなのです。

 

ただ、私なりに吃音という魔物との付き合いのなかで、失ったもの、得たものをメモ思いついたことをメモするとうことは、意味があると思うのです。

 

小学校低学年の時から、吃音が問題として認識したので、吃音歴は24年にもなります。

 

実態としては、もう少し前から吃音だったのかもしれませんが、それが問題となっていないので、そこは吃音歴には入らないのだと思っています。

 

今思うと、兄、両親には凄く心配を掛けて来た気がします。

 

きっと自分が気にしだす前から、この子は吃音だということを、認識していたとも思う。

 

 

吃音、なんてオトナになれば自然と治るとも思っていたし、いい意味でも、悪い意味でも楽天的にいきたかった。

 

そして、同時に心の奥では、これが深刻な問題になっていくということを、分かっていた気もする。

 

 

実際、そうなったし。

 

 

吃音は

 

2~4歳  1/20人が発症

 

その内、男の子6割、女子の8割が治る

 

とのデータもあり、実際子供のときの吃音がかなりの割合で自然に治るのである。

 

そして、治らないと、歳を重ねるごとにとても、深刻な問題として、大きな魔物へと成長してしまうとも思う。

 

特定の誰かに、多くの誰かに何かを伝える必要がある場面が増えるし、その内容の精度が問われることが多くなるから。

 

その場面では、言葉を発する適切なタイミングというのがあって、それが自分にはできないのである。

 

なんとも、気まずい沈黙を創ってしまう。

 

このどうにも、行き場のない状態を何度経験してきただろうか?

 

吃音という魔物は、自分にとってなんなんだろうか?

 

そういう思いを持たない日は今までなかった気がする。

 

吃音を治す方法を最初に教えてもらって時の内容は

 

1.ゆっくりと話すようにする

 

2.最初の発声は言葉を伸ばして怖がらずに話しなさい

 

3.吃音であることを隠さない

 

4.吃音を避けようとしたときにしてしまう、ジェスチャーを辞めなさい

 

5.言いやすい言葉に置き換える習慣を辞めるなさい

 

6.相手の目を観てはなしなさい

 

7.吃音の時の自分と普段の自分の何がちがうかを自己分析しなさい

 

8.常に前進し続けるように話なさい

 

9.メロディのように流れを意識して話しなさい

 

10.セルフイメージjを流暢に話すものにしなさい

 

というものだった。

 

これがまが、上手く来ませんでした。

僕は、長らく吃音症というものと付き合ってきたんだけれど、実のところどの辺からそうなったのかは、定かではない。

 

もしかしたら、生まれたときからかもしれない。

 

小学2年のとき、クラスメイトから指摘された段階では確かに吃音症だったのだと思うけど、どこから始まったのか記憶がない。

 

だた、思うのは、誰かに指摘された事によってそのことが明確になったということ。

 

それは、自分がなにか問題があるということを思い知らされる出来事を通して、それが確定していくというかんじ。

 

 

もしかしたら、吃音は単なる個性で、声がみんな違うように発生のタイミングも時間がかかる人もいるというような考えの人達ばかりが世の中にしめていたら、「吃音症」という病気は病気でなかったと思う。

 

しかし、コミュニケーションを取る上で障害になる要素であることは確かだけど、個性だと思われているとすると、それは、吃音じゃなくてコミュニケーションが少し下手な人なんてたくさんいるわけで、その人達となんら変わらないと思うのだが。

 

そういうわけにはいかないんだよね~

 

これが、、、、

 

そして、「吃音症を克服する!

 

ということに散々取り組んできたけど、この「克服する」という意識が厄介なのである。

 

だって、自分は問題がある人間であることを、強く強く認識し続ける行為なので、やればやる程「吃音症は克服できるのか?」という疑問が益々強くなってくる感覚がある。

小学校3年のとき、母親が僕の吃音を心配してくれて、病院を探してくれました。

 

どうやって探したのかはわかりません。

 

まだインターネットがない時代だったのです。

 

 

そのときは、家から電車を乗り継ぎ、更にバスに乗って行った記憶があります。

 

とても大きい病院で、心療内科みたいなところにいったと思います。

 

そのとき言われたのは、つねに深呼吸をして、長く呼吸をしなさい。

 

そうすれば、落ち着いて話せる。

 

それと、毎日五十音を最低10回言いなさいと言われました。

 

なに理学的な方法はないのか?

 

と母が聞くと、「一時的に精神を安定させる薬はあるが、一時しのぎにしかならない」と言われました。

 

僕は言われたとおりに、話だす前に深呼吸をする習慣を付け、毎日五十音を声に出しました。

 

しかし、1年程経った時点で、なんの効果もないので、やめました。

 

なんどか、その病院へいきましたが、目新しい方法はなにもなく、母もその病院ではダメだと思ったようでした。

 

それから、いくつかの病院へ行きましたが、抑揚を付けて話しなさい、吃音がないと思いなさい、吃音であることを個性と思いなさい、など色々な方法を言われましたが、どれも自分にはあいませんでした。

 

今思うと、医療機関には吃音を治すノウハウがないというのが実態な気がします。

 

そもそも、吃音を治すことへの重要度が全くなく、医者にとって関心がない領域なのだと思います。

 

自分が吃音に悩まされてきた人で、吃音の人達を救いたいという使命を持っている医者がごくわずかいて、その人たちは独自の研究をしていて、正しい改善方法、心のあり方について教えてくれるとは思います。

 

今はネットがあるおかげである程度の情報は流通していますが、当時は全く手立てがありませんでした。

 

吃音であることで、とても孤独でした。

 

世界中で自分ひとりだけが吃音だ、という思いに襲われていました。

私が吃音だと認識したのは、多分小学校2年のときだった。

 

当時は”吃音”などという単語はしるよしもなかったけど、とにかく最初に第一声を発音しようとすると何故か言葉が出ないという感覚はあった。

 

そして、そのときのもどかしさは、強烈だった。

 

まわりの人たちはスラスラと言葉が出るのに、自分が何かがちがうということは分かっていた。

 

小学校2年のとき、休み時間にクラスメイトから、お前ちゃんとしゃべれよ!と言われ一瞬なんのことかわからず、反応がおせーんだよ!とさらに浴びせかけられ、言葉で反撃できなかった。

 

そんなことね~よ!

 

と言おうとすると、”そ”がそうしても発音できない。

 

その僕をみて、そいつもその周りにいた3~4人がゲラゲラと、バカにした表情で笑っていた。

 

そして、そこには好きだった娘も混じっていた。

 

そのとは、身体中の血が逆流しそうなほど悔しかった。

 

初めて、強烈に自分が人とは違うんだという思いに駆られた気がする。

 

自分は人と違って、言葉に問題があって、恥ずかしい存在なんだと。

 

自分が何時からそうなったのかという記憶もないし、なぜそうなったのかも分からない。

 

親も兄も全然吃音はないし、親戚にも吃音の人はいないから、遺伝的な要素はない気がするし。

 

でももっと以前から、自分にはなにかが足りないという感覚はあった気がする。

 

自分は決定的な欠陥があるという、とてもいや~な感覚は幼稚園のときからあった。

 

それが、ハッキリと明確になってしまった瞬間が、このクラスメイトからの言葉だった。

 

そこから、僕の吃音人生が始まった

 

吃音という魔物との闘いの日々が。