日本一のお金持ち | Nichi(ニチ)のビジネス日記

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事業や日々の出来事を書いていきます。

こんにちは、ニチ(Nichi)です。

みなさんは淀屋常安(1560頃~1622年)って大商人をご存知でしょうか?

豊臣秀吉や徳川家康二人の天下人の度肝を抜いて日本経済を手中に収めたトンでもない人です。

彼の総資産は現在の価値で100兆円(億ではありません!!)とも言われています。

彼の邸宅は東京ドームの1.5倍(1万坪)もあったそうです


元々武家出身の家系でしたが、父親が織田信長との戦いで討ち死にしたため

思い切って大阪で材木商を始めました。

文禄3年(1594年)新規参入の材木商としてイマイチ伸び悩んでいたところ

チャンスがまわってきました。


伏見城の建設作業の最中、大きな岩があり作業がストップしてしまいました。

秀吉から命ぜられた完成まであと2日しかないため、急を要していました。

重機などないこの時代、人海戦術で岩をどけるしかないと

見積りでは1,000人つかって500貫(およそ5億円)はかけないといけないと

多くの業者は尻込みしていました。

想定外の出費に役人たちは青ざめていました。

そこに常安は50貫という、他の10分の一の見積りを提示します。

これには他の業者は、今後の仕事を取るための赤字入札だと思っていました。

工事当日、誰もが失敗すると思っていると

少ない人数で現場に現れると、岩の隣に大きな穴をあけて、テコの原理で岩を落として埋めてしまいました

こうして奇抜な発想でまわりを驚かせました。

それに興味をもったのは豊臣秀吉

常安に任せれば大きな仕事ができると、当時氾濫の多かった淀川の堤防工事を任せます。

これも無事完成させ、秀吉から自由に商売ができるお墨付きをもらいました。


また慶長19年(1614年)大阪冬の陣にて、豊臣家を滅ぼすために家康が大阪へ進軍してきます。

その際、家康と秀忠の本陣を無償で作らせて欲しいと家康に持ちかけます。

タダならばと家康に許しをもらいます。

急な用意にも関わらず、豪華でシッカリしたものを建設します。

さらに戦の後は、城下はおびただしい戦死者であふれていました。

そこで常安は遺体の回収や埋葬など全ての処置を無償で引き受けると申し出ました。

家康はそこまでの手厚いサービスに絶賛。

見返りとして改修した武具などの販売権を与えました。

その売却額は20万両(およそ2000億円)

さらには家康との太いパイプを手に入れました。


他にも淀川の中洲を埋め立てる許可をもらい、そこへ米の取引所を作りました。

淀川は琵琶湖から京都、大阪を通るとても重要な川だったため、

大量の米を扱うようになり、全国の米の半分が大阪に集まったそうです。

そして大阪は天下の台所と呼ばれるようになりました。


さらに当時は米の価格は天候などに大きく左右され

米の値段が全ての価格の基準になっていたため

庶民が混乱を強いられていました。

そこで常安は幕府にとんでもないアイデアを申し出ます。

それは

米の先物取引!!

これによって米の価格が安定して

他の物の値段も安定したそうです。

そして、これが史上初めての先物取引になったそうです。

こうして常安は途方も無い資産を気づいたということです。


ただ、その後淀屋の5代目にあたる辰五郎(廣當)驕奢(きょうしゃ)が過ぎるというので、お上のお咎めを受けて遂に闕所(取り潰し処分)を受けてしまいます。

(淀屋からカネを借りていた諸大名は借金棒引きになり、莫大な財産はこれを没収した幕府の所有物となった。)

なんだかいつの時代にも同じようなことがあるんですね

いずれにしても、一代で財を成した人からは学ぶことがたくさんありますね

興味のある方は、ぜひ調べてみてください

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