私がPTAに関わる八軒中学のサッカー部が
中体連で全道大会まで駒を進めた。
全道大会は留萌でかいさいされ
去る8月1日に一回戦が行われ
残念ながら敗退した。
見に行って応援したかったが
留萌となるとそうもいかず
現地まで駆けつけた関係者の皆さん
お疲れ様でした。
そして、選手の諸君はよく頑張った
各自が今回味わった感動と悔しさをバネに
新たなステージに挑戦してくれることを期待します。
さて、今年の中体連は豊平区の会場近くで
仕事をしていた関係で、豊平区のサッカー決勝戦を見ていた。
羊ケ丘中学と平岸中学の試合を観戦していた。
私も中学からサッカーを始めて
当時のサッカー勢力図としては
私の区は南区で真駒内中学が頭ひとつ抜けていた。
が、全市となると陵陽中学がダントツで
全道でもやはりダントツの全国常連だった。
陵陽中から室蘭大谷のコースが
道内エリートコースの定番で
その代表が私と同期の江花選手だった。
彼を初めて見たのは、中体連の全道大会決勝で
小柄ながら抜群のテクニックとキャプテンシー
全身がバネのように弾み、飛んでいた。
彼は、その後室蘭大谷高校へ進み
一年生の時からレギュラーで出場
その時の選手権全道大会で札幌光星高校にまさかの敗退
全国大会出場を逃した。
続く二年生の時に全道優勝し
翌年正月に行われた
昭和54年全国高校サッカー選手権で準優勝をすることになる。
当時の陵陽中学の練習といえば
とにかく全員が常にボールを触っていて
2人一組、もしくは3人一組でボールを蹴っている
上級生がコート内で練習しているときに
一年生がボール拾いをしているのが
一般的な中学サッカー部の光景だが
陵陽中学の練習に玉拾いはいなかった。
これが強豪校の練習なんだなと思ったもんだ。
その光景が、印象に深く焼きついているもんだから
最近の中学校の練習や試合をみても
優勝校としてのイメージが沸いてこない。
よく考えると、時代の違いなのである。
当時は学校スポーツしか無かった時代で
サッカーをしたかったら中学・高校と部活をするしかない。
一方、現在はサッカースクール兼クラブが盛んで
小学校・中学校年代でレベルの高い子供はクラブに入ってしまう。
札幌ではスリーエスやコンサドーレ、アンフィニなどなど
これが高校年代になると「高校サッカー選手権」という
高校サッカーのワールドカップのようなメジャー大会がある関係で
クラブから高校部活へ進むのが一般的だ。
よって、中体連の大会では真の意味で
年代の優秀選手が集まっているとは言いにくい。
このあたりが、決勝戦を見ていても何となく
物足りなさを感じた要因なのかも・・・・・・・・・
全道のサッカー小僧たちよ、上を目指してガンバレ!