わ鐵の悲劇…運行開始から1ヶ月半で運行終了した列車があった… | 新米鐵道旅!※こちらでの更新は終了しました

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筆者、いつも通り暇そうにネットを漁っていると(暇じゃありません!!!)

なかなか興味深い情報を目にしました。

運転開始から1ヶ月半で廃車になった車両がいる!?

今回はこれについて調べていきます。

①概要

1989年、世はバブル期、そして平成おじさん小渕恵三が一躍時の人と化していた、日本が激アツ時代のとき…

栃木県の山中、足尾銅山で有名なJR足尾線は第三セクターとなり足尾線は廃線、同区間で新たにわたらせ峡谷鉄道、通称「わ鐵」が誕生しました。

その際に新たに独自で車両を製造することになりました。

開業時から働いてもらう人間で言うオープニングスタッフのようなものです。

そしてそこで誕生したのが…

②わ89-100形

わ89-100形という車両を製造しました。

レンタカーかよというクソつまらない突っ込みを入れたいところですがおいておきましょう。

101、102編成のの2編成が製造され、1989年3月29日、めでたく開業しました。

101編成はこうしん、102編成はようかいという副名称が付きました。

1989年3月29日、いいですか…

この日を覚えておいてくださいね…

③わ鐵の悲劇…運行開始1ヶ月で最終運行

悲劇は5月14日に起きました。

GW明けですね。 

わ89-102編成に起きました。

なんと、走行中の102編成と落石が激突したのです。

当たり前ですが102編成は大破。

あまりにも情報が少なく詳細は不明ですが、どうやら7月に廃車になったそうです。

つまり、実質稼働時間は46日、一ヶ月半です。

地元の新聞を保存しているところではこの事故の詳しい概要も載っているのでしょうか。

時間があったらいってみたいですが、あるのかもわからないのでね…

わ鐵の職員の方に聞けば一発ですが、何でも廃車理由が事故なのでね…

あまり不用意に聞くことではないでしょう。

登場46日での廃車。

数十年走り続ける未来が、たった46日で散ってしまいました。

あのE331系でさえ4年ほど生かしてもらえたのに…

一体102編成は鉄からなんのために列車に生まれ変わったのでしょう。

ちなみに102編成の副名称は「ようかい」でしたよね。

なんとも言えません…

④わ鐵車両のその後…

これによって早くもわ89-100形は1編成になってしまいました。

わ鐵は102編成の代替&需要増加による増備という観点で、新たにわ89-310形3両を製造しました。

これがまたくりでんに似てるんですよね。

あんまり話すと長くなるのでやめておきますが…

そしてわ89-100形はトップナンバーの101編成が2013年まで運用され、引退しました。

これにてあの事故時に存在していたわ鐵車両がいなくなりました。

89年製ならもう少し運用するのかなと思っていましたが、意外に早かったんですね。 

ちなみに101編成は現在大間々駅に大切に保存されています。

みなさんも会いに行ってみては。

⑤鉄オタでも知らないこの出来事 

ネットでびっくりするほど情報がないことが暗示していますが、この102編成についてご存じの方がとても少ないです。

何せ30年以上前の出来事ですし、知らない方が多いのも当たり前ですね。


この一件は落石事故のため仕方ないことですが、5年前のイーストアイD脱線事故はちょっと筆者もわ鐵やったな…と思ってしまったものです。

この102編成の教訓を受け継ぐ意味でも、ぜひ今後もより一層安全運転でよろしくお願いいたします!