3 教員はゆるやかな派閥を形成しがちである。
日本の組織は、本来あるべき機能集団から容易に基礎集団に変わってしまうと堺屋太一が述べているが、この説は大学でも当てはまる。ただ、派閥というのは、思想(考え方の差異)、利害、縁故や人間的な好悪などの非論理的な部分の三つの要素から成立していると思う。この三つの要素の度合いはそれぞれ社会によって異なるだろう。私の学部の場合には、利害と非論理的な要素が濃い。もちろん、これは大学一般に当てはまるわけではない。かっての東大の紛争を見れば分かるように、少なくとも建前では、イデオロギーが派閥の支柱になることもある。
では、非論理的な派閥とはどういうものだろうか。これを先に述べよう。
この種の派閥の有力な要因は、義理である。就職の世話になった、学会で世話になったというのが典型である。大学の就職口は非常に狭く、また業績だけで評価されるわけではないので人に頼らざるを得ない。人と人とのつながりで就職することを縁故による就職といえば、大学は圧倒的に縁故就職である。縁故であるから、そこに恩義が入り、恩義を受けた人に頭が上がらなくなる。招聘されるような著名な学者やずば抜けた業績を持つ人は別だが、ほとんどの教員は、なんらかの形での縁故によって現在に地位を得たものと思う。
多くの場合、学部長が就職の斡旋者になるから、学部長には恩義を感じて反対できなくなる。Y学部長は、この恩義を最大限に利用した。学部長になってからは当然、学部長以前でも適材適所は無視して、自分の知り合いを採用するようにした。この例の一つはすでに述べた。後輩や若い人に学会の入会などで恩義を売ったのも、深読みすれば学部長になるための種蒔だったといえる。
このゆるやかな派閥の性質は、前述のように、恐らく教員が一方では、学外の研究者との関係も深いこと、学生との関係が仕事の大きな要素であることなどの理由で、会社員のように完全に会社にコミットしていないせいではないかと思う。アウトローの集団を見れば分かるようにその人が外に閉じられているほど、集団内の派閥は強くなる。しかし、そうした結束力の強い派閥というか、グループを作っている教員は、わずかである。本当に影響力を発揮できる人数は、教員の場合には二、三人にとどまるといわれるが、その通りだと思う。
しかし、それでも教員は思想や観念によって動くのではなく、この非論理的なゆるやかな派閥で動いてしまう。