このブログに世話になった大学の暗い面を書くことは随分迷った。

 なにより人や組織を批判攻撃するようなことは不愉快なことだからである。まして、定年後は庄野潤三の描く物語のように平凡な日常の安穏に身を委ねたいとかねてから思っていたからである。

 それでも書かなくてはならないと思った。それが世話になった大学や講義を聴いてくれた学生たちに対する責務であると思ったからである。未来を担う学生を育てる大学は「美しいものでなければならない」、それを阻害するものを大学に携わる人たちが知っておくことが、健全な大学を発展させるために不可欠であろう。私の経験が少しでも役立てばと思う。

 私が大学で経験したことはまったく異常な出来事だった。

「過去五年間で自分の書いたもので活字にしたのは、せいぜい年賀状だけといったオソマツを絵に描いたような無能な教授たちが、ゴマンといる」(法政大学教授 川成 洋『大学崩壊』宝島社)といわれても信じられるだろうか。かっての私ならこんなことは信じないし、無能ぶりを強調するためのレトリックだと思っただろう。

 今の私は、ありうることかもしれないと思う。もっと異常なことを経験したからだ。

 これから少しづつなにが起こったか書いて行きたい。