前回まで、世界的金融不安によって、日本も就職氷河期が再来すると思われるので、就活について書いてきた。

今、G7の協調政策で西欧の株価はひとまず反発している。しかし、金融不安から実体経済に及んできた不況は簡単には収まらないだろう。学生は心することだ。


さて、論文の話に戻る。これまで、アホ・馬鹿・間抜けの論文や明らかに盗作の論文があるということを書いてきた。 そして教員の書く論文のほとんどは、読まれないということも書いてきた。


では、なぜ内容も下らない、読まれもしない論文を大学の教員は書くのか。


それが教員の昇格に関るからだ。教員の昇格はほとんどの大学で同じだと思うが、研究業績(論文数)、教育業績、学部貢献、社会貢献などが昇格の条件である。このうち、教育業績は分からない。いくらつまらない講義をしようと他の教員は分からない。講義室は密室なのである。また、学部貢献、社会貢献といってもこれは枝葉の部分だから、結局基準として残されるのは研究業績になる。


しかし、研究の内容などはお互いに分からないから、内容は無視され論文の数の勝負になる。しかし、学会誌や専門誌に論文を載せることは至難のわざだから、誰でも、内容のチェックがなく掲載される本が必要だ。それが

大学紀要という悪名高き論文集である。


これは極端に言えば、だれも読まないから、論文数を稼ぐ教員の都合だけで存在している。


今政治の世界では無駄を省くということが議論になっているが、これこそまさに無駄な存在である。

この紀要を出すだけで数百万の金は消費されているはずだから、学生や市民がクレームをつけてもよいと思う。