遅くなりましたが、書きます。
このまえ、東北へ行ってきました。


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僕の想像をはるかに超えた状況。
テレビやインターネットで見る映像はホントごく一部です。
少なくとも僕が見てきた海岸線は、何百キロに渡って同じような壊滅的な状況でした。

車、船、ガレキはもちろん。お金や写真、ペットの死体など。
場所によっては鼻をつくようなひどい臭い。
そこには目を覆いたくなるような事実がありました。
また、メディアでは伝えられていないコトがまだまだ本当にたくさんあります。
本当に、声も何も出ない状況でした。

ただ、僕が今回一番驚いたのは東北地方の人達の明るさでした。
本当にみんな前を向いている!!
津波で家も車も全部流された方、家は半壊で済んだけど何千万も盗まれた方、身内が犠牲になってしまった方。
誰一人として下を向いてる人はいませんでした。そして、僕たちにすごく優しく接してくれました。
本当は話すのが辛いであろうお話もたくさん聞かせてくれました。
なんかね、沈んでた僕らが励まされた。被災地のみなさんに逆に元気をもらった。本当に東北の人は優しい人ばっかりでした。
僕は東北に、縁もゆかりもないんですが、本当に東北が好きになりました。

被害は想像をはるかに超え、手も付けられないような状況。
でもね、ありゃ復興するわ。東北のみなさんを見ていたら心の底から思いました。

何が正しいのか、何が正解なのかわからないこの状況。
事実にはっきりと目を向け、もっともっと考え、自分なりの答えを見つけていきたいと思います。

ボランティアは、GWと言うコトもありたくさんの人がいました。
一部地域では、ボランティアが出来なかった人もたくさんいました。
ただ、ボランティアが出来なくてもそのたくさんの人達のキモチは確実に被災地のみんなに届いていました。

当初予定していた宮城県はボランティアが足りていたので、
僕は、福島県の新地町って所でボランティアをさせてもらいました。

そこで、ガレキの撤去、ドブ掃除、家の撤去など様々なお手伝いをした。
また、地元の方の紹介で避難所の子供達とも触れ合うコトができました。
サッカーしたり、ドッヂボールしたり、ギターで歌をプレゼントしたり(笑)

ボランティアを通じていろいろな人と出会い、いろいろな話を聞きました。
実際に被災地を見てきたことで、僕たちが実際に行動をしなきゃいけないという実感がわきました。

ボランティアに行きたいけど迷っているという人は、ぜひ被災地に足を運んでみてください。

人間は良くも悪くも忘れる生き物です。
これだけの震災でも、時間が経つにつれ忘れられていきます。
ボランティアもだんだん減っていきます。

僕は新地町の方に約束してきました。
これから先ずっと、東北地方の復興のお手伝いをして行く。そして、元気になった街をこの目で見ると。

よっしゃ、これからも僕は僕なりのやり方で復興のお手伝いをしていくぞ!
おー。

うんこ。

※次は夏までに1泊もしくは2泊くらいの予定で行くつもりです。
 もしよければ、ぜひ声をかけてください。
 地元の人たちと打ち解けたので、宿泊先の心配はいりません。


★余談
実は、テントを使ったのは初めの1日だけで、
後はボランティアで仲良くなった地元の独り暮らしのおっちゃん(武ちゃん)の家にずっと泊めてもらいました。
そして地元の人たちと、お酒を飲んだり毎日毎日楽しく過ごさせていただきました。

現状、福島県は利用できる宿泊施設があまりなく、ボランティアの受け入れが十分に出来ない状況です。
放射能の影響もあり、福島は今後のボランティア不足を懸念しています。

今後のボランティアのあり方として、地元の人の家でボランティアを受け入れ、
ボランティア活動の支援もして行ければと、県や町が考えているようです。

そこで、偶然僕らが武ちゃんの家に泊まって、ボランティアをしていると言うことで朝日新聞から取材を受けました。
毎日の生活を通じて、武ちゃんと本当の家族のようになっていた僕達。

朝日新聞の記者の方からの最後の質問。
記者「今後もボランティアの方々を自宅に泊める活動を続けていくつもりですか?」
武ちゃん「(下を向き泣きながら)・・・・・・・・さびしくなるから、もう泊めない。」

僕ら全員の時間が止まった。本当に泣きそうになった。

武ちゃんとお別れの日、また必ず会いに来ると約束をして最後に撮った写真がこの写真です。


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ほんとうにありがとうね、武ちゃん。



※一緒に行った友達のミュージシャン(KINOPOP)ブログを紹介。
ぼくより細かく、すごく良いことを書いているので、興味あるかたはぜひ!
http://ameblo.jp/kinopop/entry-10881877741.html#main

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仙台入りの内容が決まりました。
28日夜中都内を出発し、仙台空港近くの岩沼市を目指します。
岩沼市災害ボランティアセンターに登録し、ボランティアを行います。

様子を見て
名取市、多賀城市、石巻市、気仙沼市なども視野に入れて行きます。

一人でも人数が多い方が良いので何人かの友人に声をかけたところ、結果5名集まりました。

また、みなさんのたくさんの気持ちもありがとうございます。
かならず被災地に届けてきます!
※まだまだ募集中。詳細は前回の日記参照。

役所に掛け合って、なんとか「災害派遣従事車両証明書」を発行してもらいました。
高速道路が無料になる証明書です。浮いたその分を義援金として渡してきます!

ボランティア保険にも入ったし、必要道具もほとんど揃いました。
テントやシュラフ、ランタンにコッヘルなどアウトドアグッズ一式が役に立ちました。
キャンプをやっていてよかったです。

今準備できることはやったはず。
“どぶの中でも前のめり”
では、行ってきます!


★追記
ボードやキャンプでお世話になっている、
長野県栄村もご存じのとおり地震で大きな被害にあいました。
http://www.vill.sakae.nagano.jp/topics/oshirase4.html

ただ、福島・仙台・岩手と同時期だったためあまり知られていません。

5月にも栄村入りを考えています。
よかったら、声をかけてください。

本当に言葉になりません。


震災のあった日から、本当にいろいろなことを考えました。
少ないですが義援金も寄付しました。


僕はお金持ちではないので、義援金として寄付できるお金も限られています。
ただ、このままだまって見過ごすのは嫌です。


2004年の新潟県中越地震の時もボランティアなどいろいろ考えましたが、
結局行動に移せなかった自分がいました。


たくさんの義援金を寄付するなんてカッコエエことは、僕にはできません。
ただ、時間を作ることはすぐにでもできます。
なので、ゴールデンウィークを使って4/29からボランティアに行ってきます。
本当に微力なのですが、0ではないはずです。


県外ボランティアを受け入れてくれる
「気仙沼」か「石巻」か「岩沼」のどれか、状況を見て判断します。


もちろん今回限りではなく、長期的なスパンでできる限り復興のお手伝いをしていくつもりです。


上記被災地も、まだまだ不足している物資があるみたいです。
そこで、自分でもできる限りの物資を持っていこうと思います。


もし、僕と同じような気持ちの人がいたら1000円、みなさんのお気持ちをください。
その1000円を、義援金、もしくは物資として責任をもって届けてきます!


1000円は、僕がとりあえず立て替えます。
いつか僕と会った時に手渡ししてくれれば大丈夫です。
※ハーゲンダッツ払いでも可


そのお金をどう使ったかを必ずみなさんにお伝えします。


「一日も早い復興を願って」ではない。
僕は神様に願うのではなく自分自身の手で、
目に見える行動でみなさんを支えていきたいと思います!


うんこ

岸田 昇


■以下 関西学院大学災害復興制度研究所長の室崎益輝教授のお話


──ボランティアを自粛する動きがあるが、実際のところ人数は足りているのか。

 今回の被災地は阪神淡路大震災の何倍もの範囲に及ぶので、何倍ものボランティアが必要だ。にもかかわらず、ボランティアが集まってくるペースは阪神のときと同じか、もっと遅い。ここ数日で状況は少しずつ変わってきているが、私の計算では1日2万人くらい集まるべきところが、1000~2000人レベルにとどまっている。

 受け入れ態勢が出来ていないとか、準備不足で行くと現地に迷惑がかかるという声が流布されたことで、ボランティアの動きにブレーキがかかっている。

──「迷惑ボランティア」という言葉もあるが。

 阪神淡路大震災のときはボランティアが大勢来たが、被災者はちっとも邪魔とは思わなかったはずだ。迷惑に思っていたとすれば、登録したり名簿を作ったりするのに、一度に来られたら対応しきれないという行政だろう。

 今回、ボランティアを自粛させている1つの原因は、地元のボランティアセンター自体が被災したため、ボランティアを受け入れる機能を失っていること。受け入れ態勢が出来ていないので、少し待ってくださいということになる。

 被災者は来てほしいと思っている。家には物もないし、人も来ない。本来ボランティアというのは被災者の方を向いて、被災者の声に耳を傾けて、現状をどう改善するのかを考えなければいけない。なのに、阪神淡路大震災のときにはこうだったとか、過去の「マニュアル」に従ってしまっている。

 ボランティアが100人いれば、なかには迷惑をかける人もいるだろう。でも、みんな迷惑をかけに行っているわけではなく、助けようと思って行っている。迷惑をかけたら、ちょっと注意すれば済む話。なのにボランティアに注文ばかりをつけて、ハードルを上げてしまっている。最も重要なのは被災者の立場に立って、被災者を助けようという心がけだ。

──ボランティアの主要な受け皿とされる被災地の社会福祉協議会は、募集範囲を「県内(市内)のボランティアに限る」としているところが多い。

 極端な話、それは被災者を見殺しにしようとする行為に等しい。それでボランティアの足が止まるのだから。

 NPOなどは行政のボランティアセンターを当てにせず、自分たちでボランティアの受け入れ体制を作ろうという方針に変えた。ボランティアセンターが募集を制限する理由の1つは、泊まる場所がないからだが、NPOの中にはテントを張ったりプレハブを建てるところもあるし、被災地から少し外れれば民宿もある。

 実際はガソリンも普及し始めているし、県外の人を断る必要はない。県内では中高生までが必死で働いているが、もうみんな疲れてきている。早く外からも行って励まし、助けてあげなければいけない。

──ほとんどの社会福祉協議会が受け入れを制限しているが、被災者側のニーズはもっとあるということか。

 ニーズは歩いて探しに行かなければいけない。浸水した家の2階の電気もない場所に数家族が身を寄せ合っていて、水も食料もないと悲鳴を上げているのに、ニーズがないなんてことはあり得ない。泥にまみれた家が何万棟とあるなか、泥が固まる前に誰がかき出すのか。

 今ボランティアに行くと迷惑をかけるという世論が、どういうわけか出来上がってしまった。それを変えるのはとても大変だ。

 ボランティアは押しかけていい。迷惑をかけてもいい。迷惑かけた分の何倍もいいことをしてくればいい。来てくれただけで、本当に喜ばれるのだから。