嫁さんがガン告知されてからの日々 -21ページ目

12月15日

 

大阪

 

久しぶりに見る母は元気だった。

 

一時期

体重は30kg切るか切らないか

 

今は33kg

 

長生きしろとは言わん。

楽しく生きてくれ。

 

もし

しんどくてかなわん

なったら

医者の余命宣告が

短かったら

点滴は抜く。

 

医者が後1年と言っても

信用しちゃいけない。

 

10年生きることもある。

 

ただ

3ケ月未満だと

当たる。

 

自分の経験値からで

絶対とは言えないが・・・

 

 

娘と阿倍野へ

 

額に点を入れたら観音様

入れなかったらふくよかな裸婦

 

点ひとつ

 

 

 

ボタンひとつ

 

最初の会社の人と会って

話したのだが

 

当時

僕は

100時間以上残業ばかりして

何をしているのか

さっぱりわからなかったと・・・

 

まぁ

しゃあない。

 

1996年秋

大阪営業部から

新規システム設計チームに招集され

 

当時

旧システムは言語はCOBOL

サーバーは

忘れた。

 

新規システムは

オラクル

言語はVB

 

一から勉強して

 

1996年12月29日から1997年1月5日まで

家で販売管理、購買システムの

基本設計を構築。

 

1997年秋までに

新規プログラムは完成。

 

1997年は月に

残業申請100時間

サービス残業100時間

勉強に100時間

って感じかな。

 

いや、設計の素人が

作るって

勉強せなそら

http://line.me/S/sticker/1359637

しれっと12月16日発売~

 

1997年秋

協力してくれてた大手システム会社が

「新規システムへの移行は3年かかります。」

「一発移行は不可能です。」

 

と言って

逃げた。

 

まぁ逃げたおかげで

2億円コストダウンできたが・・・

 

そして

1998年

3ケ月かけて

移行システムを設計

 

5月GW

ボタンをポン

 

実際にはスタートボタンを押して

100工程の実行ボタンがあるのだが

 

2日間で

 

成功!

 

 

3年間全社をあげて

並行稼働しなくてはいけないところを

2日間で

完了~

 

http://line.me/S/sticker/1361061

しれっと12月17日発売~

 

 

たしかに

僕は残業ばっかりしてた。

ずーっとずーっと

仕事して

できたのは

ボタンひとつ

 

 

それから

13年後

 

その会社のシステムを

新規に入れ替える話が出て

 

そして

5年がたった今

 

億単位の出費をしたものの

まだ

移行されていない。