僕が一番関心があることは社会に適合できない人はどうやったら幸せにいきていくことができるかということです。自分も子供のころからどこか集団に所属するたびに人からいじめられるか、無視されるかでつらい思いをしてきました。どうやっても救われない人というのはいるのでしょうか?

  • 生物の生き残りの知恵として一部揺らぎを持って生まれてきている人がいる
  • 人の能力は正規分布図になるから、95%は普通で、5%は不適合。
  • 社会に適合できない人は、これを書いている僕でさえ許せないことや嫌なことをすることが多いから、言ってしまえば嫌われて当たり前なことをしている人たちだけど、本人は孤立して苦しんでいて、直したいと思っているけど直せない人たちである。だから、これはその人たちを孤立させる周りが悪いとは言えなくてむしろ当たり前なんだけど、でも孤立してしまう本人のせいにするのも単純すぎると思う。
  • 環境次第でその人たちの個性が生かされることもある。でも、これは中々ないし、どこにも活躍できる場がない人もいるかもしれない。
  • 人は努力によって新たな技術を覚えることができる
  • しかし、努力にも限界がある
  • だから、精一杯取り組んだら、あとは諦めることも大事。
  • 理想は、変わった個性を持って生まれてきたその人が評価される環境を見つけて、そこでできる限りの努力をして、評価されることだと思う。
  • だが、人の個性にはどのようなものがあるのか?社会にはどのような多様な環境があるのか?人は幸せに生きていくためにどのような努力をしたらいいのか?人は努力でどこまで変わることができるのか?これらはとても大切な問題になってくる。
 
僕は社会に適合できていない人は、変わった個性を持っているけど、大体は人から受け入れられたいと思っていて、そこの部分はみな同じだと思う。承認欲求こそ人間が人間らしくいるための一番必要なものかもしれない。承認欲求に頼らずに幸せになろうという考え方もあるけど、そんなことは現実を無視していて難しいことだと思う。もし自分が承認欲求を持って生まれてきたなら、それを受け入れて生きていくしかない。
 僕が希望を持っているのは、人は大多数の人に好かれなくても、誰か一人に深く認めてもらえて、その人と一緒に居れば幸せを感じられるというところだ
社会にはいろんな人がいるから、僕が嫌われやすかったとしてもすべての人が自分を嫌いっていうことは中々ないと思う。全員が普通の人を好きになるわけではない。あなたが常識の尺度で考えるとダメなところばかりな人であったとしても、そんなあなたに惚れてくれる人がいるものだ
 
自分を受け入れてくれる人を大切にして、その人とできるだけ長くいることだと思う。自分を受け入れてくれない人とはできるだけ接触すること自体を減らした方がいいと思う。
 
自分を受け入れてくれる人と出会うにはどうしたらいいだろうか?僕はそれは運だからどうしようもないと思っている。でも、ひとつ確実に言えるのは、つらくても、それでもとりあえず生きてみること ではないだろうか?あなたが今までどれだけ運が悪くても、これからどうなるかは分からない。人生は直線に行かなくて、ある時の出会いでガラッと方向性が変わることもある。今後ずっとあなたを受け入れてくれる人と出会えない人生なのか、それは誰にも分らない。運だから、とりあえず生きてみるしかない。
 
もしそのような人と出会えたら、あなたは、頭が悪かったとしても、見た目がよくなくても、自信がなくておびえてばかりでも、それでも自分は幸せだと思えるようになる。