出産して、入院して
毎日ありがたいなぁと過ごしています。
看護師さん、助産師さんの
ハイスピードな無駄のない動き
見てて、気持ちがいいです。
そりゃ、スレンダーな人ばかりやわっ。
私と同じペースな助産師さんは
ぽっちゃりさんです(笑)
絶対に私にはできない仕事だなと
つくづく思いながら
いろいろ考えてて
あっ
私の祖母、看護師だった!!
と、思い出した。
同居してた祖母は看護師だった。
増築した二世帯の平屋。
小さな階段で繋がっていて
子どもの私はバタバタと
行ったり来たりしてた。
祖父母の食卓で
よく「酢味噌」をつまみ食いさせてもらった。
祖父と夕方、
刑事ドラマの再放送を見るのが
小学生の私の日課だった。
「ハングマン」とか
「西部警察」とかだっけなぁ。
なんせ、いろいろ見たなぁ。
蟹江敬三似の祖父でした。
(↑その情報いる?)
定年後。。。
京都でも看護師生活を送った祖母。
(当時京都までは車で5時間ぐらい)
子どものころ、すごく不思議だった。
なんで一緒に住んでないのか。
一度、家族で京都に会いに行って
ナース服姿の祖母を見たとき
なんだか誇らしかった。
私が6年生ぐらいのときに
退職して、また一緒に暮らした。
私は祖母の部屋で
一緒に寝るようになった。
親子ゲンカかなんかで号泣した夜
頭が痛くてなかなか寝れないでいると
祖母が部屋の大きな窓を開けて
そこに2人で腰掛けて
満月を見たことが忘れられない思い出。
そんな祖母も
きっと誰かに感謝されながら
看護師として
働いていたんだろうなと思う。
私が働き始めたころ
家族で買ってきたたこ焼きを
弟が祖母に渡しに行った。
そのとき祖母の異変に弟が気付いた。
病院に行った。
脳梗塞だった。
入院生活。
右半身不随になった祖母。
自宅介護してた祖父が亡くなってすぐだった。
祖母を慕い看護師になった姪たちの勧めで
リハビリの整った病院に転院した。
車で3時間。
家族で毎週土曜日に通った。
80歳の祖母は
厳しいリハビリをがんばって
杖で歩けるようにまでなった。
ビックリだった。
退院して家に帰って来ると
「私は歩けなくていい」と車椅子生活に。
ベッドから起き上がったり
トイレで立ったり座ったりができればいいと。
祖母の新しい生活が始まった。
母が中心となって介護をした。
デイサービスも行った。
リハビリとかもあるけど
手遊びとかイベントとか
看護師をしていた祖母にとっては
子ども扱いされてるみたいで
嫌やったみたい。
でも、介護してる母の苦労がわかるから
「行かない」とは言わなかった。
月に1回はショートステイしてもらった。
やっぱり「行かない」とは言わなかった。
92歳で亡くなった。
私が結婚してすぐだった。
祖母に夫を紹介することができた。
そのときは、すでに入院してたから
伝わってたかはわからないけど。
幼いころの私と祖母の写真。
キリリと鋭い視線としゃんとした姿。
祖母もテキパキとした
看護師だったに違いない。
私にもその遺伝子はあるはずだ。
そうだ!
体の肉の断捨離しよう!!
キリッ
(↑結局、そこっ)