4月20日火曜日
17:45
1985年3月、*孝玉(たかたま)コンビと呼ばれていた時以来の二人での桜姫東文章(さくらひめ・あずまぶんしょう)上演だという。見ていて記憶が次々とよみがえるのが楽しくてしょうがなかった。
あらすじはコチラ http://enmokudb.kabuki.ne.jp/repertoire/1458
仁左衛門の清玄(せいげん)と玉三郎の白菊丸(しらぎくまる)が手に手を取って花道七三に立った瞬間がとにかくきれい。
玉三郎の稚児白菊丸が岩の上から飛び込むと波しぶきがあがる。作り物のしぶきが印象的だったことを思い出した。こういうちょっとした小道具が現実世界から奇妙な物語への導き手になる。
「新清水の場」が開いた時の美しさは赤姫姿の玉三郎を中心とした一行の並びにある。この時、ただ座っているだけの玉三郎が十七歳のお姫様にしか見えない。はかなげな風情は85年の時もあったが、若さ故の持ち味ではなく芸なのだな。
「桜谷草庵の場」では二人の色事が濃厚。
桜姫が暗闇の中で契ったあの男だと分かった時に、振袖で顔を隠して恥じらう姿がなぜ、ああまで可愛いのか。釣鐘権助が足で桜姫の膝を割るそぶりを見せる時の目つき、足の形がなぜ、ああまで色っぽいのか。
権助が腕に彫っていた釣鐘を真似て姫が自分の腕に彫ったものが、腕が細くて小さくなって風鈴にしか見えないというそれが、85年には二の腕にあったように思ったが、今回は一の腕の裏だった。記憶違いか?
前半、桜姫が出家の決意を固め腰元たちと読経をする声が揃っていてとても綺麗に聞こえた。権助の登場でこの美しい声が断ち切られ、そこから実に猥雑な話になっていくのがよかった。
「三囲の場」では、真っ暗闇の中、渡りぜりふですれ違う様が怪しくておもしろい。清玄の零落っぷりが怯えたような声、赤子を抱く丸めた背中に見える。それなのに、下手で焚火の火を熾す姿かっこいいと思えてしまう。
ここで幕となるのは、ちょっと中途半端に思えるが六月を待ち焦がれる気持ちにさせるには効果的かな。
帰り道でも一つ一つの場面を反芻しながらワクワクした。
*孝玉(たかたま)コンビ
今の仁左衛門の前名、片岡孝夫(本名でもある)の孝と玉三郎の玉をくっつけて呼ばれるほど、この二人が共演する舞台はその美しさで評判だった。中でもこの桜姫東文章は大変評判が高かった。