㋁7日金曜日 11:00

 

「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」

大顔合わせ、見ごたえ十分の昼の部だった。

 

*〈加茂堤(かもづつみ)〉

中村勘九郎(なかむら・かんくろう)の桜丸(さくらまる)。柔らかく、清々しくて素敵な桜丸。

三好清之(みよしきよゆき/勤めた役者は嵐橘三郎あらし・きつさぶろう)一行がやって来て、立廻りになるところで「天まで知らぬ」と言って、目線をすっとあげた瞬間の目とかたちのきれいなこと。

 

*〈道明寺(どうみょうじ)〉では、坂東玉三郎(ばんどう・たまさぶろう/人間国宝)の*覚寿(かくじゅ)にみごたえあった。

夜明け前のわずかな時間のうちに、この老婆の身の上に、次々と驚天動地の出来事が襲って来たドラマなのだということが初めてわかった。

 

襖が開いて覚寿が姿をみせると客席がどよめく。玉三郎が老婆か!という感じか。

杖を振り上げた形はよくなかった。力がなく、迫力がまるでない。

ただ、ここで「六十に余って白髪あたま」から「邪魔に思うたこの白髪、今日と言う今日、役に立田。頭を剃って衣を着れば、打擲(ちょうちゃく)の杖は持たれぬわい」というせりふがはっきりと聞き取れ、今更ながら、そんな事を言っていたのか、と感じたのが、芝居の最後に効いた。

 

娘が殺される、殺したのは聟と察するやその聟を自らの手で仕留める、甥の*菅丞相(かんしょうじょう)が木像になる奇跡を眼前に見る、と覚寿の身になって見ればジェットコースターに乗って翻弄されているような時間だ。

 

それが終わった時に「有為転変の世のならい、娘が最期もこの刀、聟が最期もこの刀、母が罪業消滅の白髪も同じくこの刀と、取り直す手に髻払い、初孫を見るまでと、貯い過ごした恥白髪、孫はえ見いで憂目を見る」と言って、ここで覚寿のドラマが終わった。そのことが初めて分かった。

 

真っ赤な着物がかけられた伏籠が出ると、そこから菅丞相のドラマが始まる。

この伏籠のあざやかな赤が場面転換の色に見えたのも初めて。

 

片岡仁左衛門(かたお・にざえもん/人間国宝)の菅丞相は、連行されるために部屋を出て、きざはしに右足を落とし、遥か彼方を見やる姿が息をのむ程見事。

菅丞相の万感の思いが、この一瞬にあふれ出て、見ていて涙ぐんでしまった。

 

お昼は木挽町広場で歌舞伎うどん。ちょっと味が濃いがぱっと食べるのには便利。

 

*〈加茂堤(かもづつみ)〉

加茂川の土手という意味。そこで起こった出来事。

 

*〈道明寺(どうみょうじ)〉

実在する寺。 http://www.domyojitenmangu.com/index.html

覚寿が住んでいたという。

 

*覚寿(かくじゅ)

歌舞伎の老女の大役「三婆(さんばばあ)」の内のひとつ。

「盛綱陣屋」の微妙(みみょう)、「菅原伝授手習鑑」の覚寿(かくじゅ)、「本朝廿四孝」または「輝虎配膳」越路(こしじ)を三婆と呼ぶ。

 

*菅丞相(かんしょうじょう)

菅原道真のこと。菅原氏の丞相。丞相は大臣の唐名(古く中国で、天子を助けて国政をつかさどった最高の官/日本国語大辞典より)。