3月22日 16:30

 

「於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)」

タイトルロールのお染めも久松も出てこない、仁左衛門の鬼門(きもん)の鬼兵衛(きへえ)と玉三郎の土手のお六を堪能するための一幕。

 

1977年に歌舞伎座で上演された舞台をテレビで見て、おもしろくてたまらなかったのが、この二人の鬼兵衛とお六だった。

 

それからざっと40年。衰えをまるで見せず、ニヒルな男と鉄火肌の女を演じて見せて堪能させてくれる。

お六の「あやまるねえ」という鼻にかかった声もいいし、座棺を蹴飛ばして、その上で胡坐をかく鬼兵衛の姿も決まった!

 

早替わりをする体力が玉三郎には、もうないのだろう。

次にこの役を受け継ぐのは、米吉(よねきち)と…、う~ん、海老蔵と言いたいところだが、相性が良さそうなのは巳之助(みのすけ)か。

 

「お祭り」

続いて仁左玉ラブラブショーの一幕。

頬を寄せ合って絵になる二人なんて、この二人だけのもの。彼らの前にいないし、彼らの後にも、そういう二人は思い浮かばない。

 

踊りそのものは、どうということもないようにサラサラとこなして、登場した時と、最後に花道七三で頬寄せて照れて見せる。その場面の濃厚なこと。

 

終わると周りからため息が。みごとだねえ。

 

「滝の白糸」

泉鏡花の作品を積極的に舞台に乗せる玉三郎がプロデュースして、壱太郎(かずたろう)、松也を芯にして演出。

 

まず、おもしろかったし、壱太郎が大役に十分に応えていた。

 

茶屋で壱太郎がぱっと起き上がった瞬間に拍手がこなかったのは惜しいが、おっと思わせる登場の仕方。

 

水芸の場面が楽しめたのもよかった。今となっては単純な仕掛けの芸だとわかるが、やはりちょっとした間の取り方で、水が次々と連なって出て来るのはおもしろい。

以前、新派で三階から見た時、水を流すホースが見えて興醒めだったが、たぶん、今回はそんな不始末な事、玉三郎が許さないだろう。

 

夘辰橋のたもとで、村越欣弥と再会して学資を援助するはなしをする場面は、壱太郎のせりふがうまかった。

芸人の自分とは身分違いで結婚できる相手ではないと悟りながら、わずかでも関りを持とうと申し出るいじらしさがありながら、将棋の駒模様の着物を着て赤ゲットを羽織るという堅気には見えない姿とのギャップが感じ取れた。

 

裁判所では、松也の欣弥もせりふがうまくて、直立不動でせつせつと訴えるところは、壱太郎の後ろ姿の芝居と共に、いい場面になっていた。

死んでしまうことが意外な結果ではないところまで持って行っていると思った。

 

この場面がかなり暗くて、松也の顔にあたるかすかな光と、壱太郎の背中にあたる光で、観客の目線をそこにしか持って行かせない演出も冴えていた。

 

終わると、後ろの席の人が「え~っ!二人とも死んじゃうの~」と驚いていたが、欣弥が自殺するのは突飛な感じを受けるのは確かだ。でも、甘美と苦みと幻想を取り込んだ愛の成就という、鏡花らしい結末だと思うけれど。