4月6日木曜日
「醍醐の花見」
まあ、きれい!と言う桜がいっぱいの舞台面。
鴈治郎(がんじろう)の秀吉は、彼以外適当な人が思い浮かばない位の適役。
尾上右近はやはり踊りがうまい。腰のひねりが柔らかくて気持ちのいい形だった。
市川右若(いちかわうじゃく)は総踊りの中でも、手先まで仕草がきれいで目にとまる。
「*伊勢音頭恋寝刃(いせおんど こいのねたば)」
追駆け(おっかけ)・地蔵前・二見ヶ浦がつく長めのバージョン。
(これに続く、油屋・奥庭の場のみの上演パターンが多い)
追駆けからの場面に出てくる染五郎の着物、照りのある茶色の地に格子縞。仁左衛門と同じだが、とても似合っていた。
奴林平(やっこ りんぺい)の隼人(はやと)の*奴走りがひどかった。重心がグラングラン揺れているなどという奴をかつてみたことがない。 千穐楽までになんとかなるだろうか。不安。
油屋(遊郭の店の名/油は売っていない)になってからの染五郎の貢(みつぎ)があまりよくなかった。
仲居の万野(まんの)にやり込められる前はフワフワとした腰の座らない対応で、やり込められると硬直した感じになる。
まだ手の内に入っていないのか。日を追って良くなるかな。
お紺に梅枝(ばいし)。梅枝が出た瞬間に〈完全に世代がひとつ変わったのだなあ〉という感慨に襲われた。
博多人形がつくねんと置かれているみたいだったが、この役、誰がしても、ずっと不機嫌そうにしているのに一本調子にみえないようにするのは難しい役だもの、これからだ。
料理人喜助(りょうりにん きすけ)に松也。
ちょっと影のある役どころをするには軽いかな。花道七三で止まって万野をばかにするところなど、変わり目がきっぱりしない。けれど小気味は良い。
猿之助の万野は憎々しくておもしろい。首からのど元に色気が感じられるのが色街の女らしい。
ただ、いささかいじめ甲斐の感じられない相手だったので、パワーが空回りしていた。
岩次(いわじ)たちに青江下坂(あおえしもさか/刀の銘)を渡すため再度出てきたとき、白地に藍色の格子柄の着物に着替えてきた。前半の黒の絽の着物と、ここまで対照的な着物にしたのは珍しい。
こう、順に書いてみると、とにかく皆若いということなのね。
その中で、今田万次郎(いまだ まんじろう)役の秀太郎(ひでたろう)は、油屋から追いやられ袖で顔を隠す立ち姿の風情が何とも言えず良く、お鹿役の市村萬次郎(いちむら まんじろう)の滑稽な様は愛らしく、せりふも緩急自在。
この一座の中で二人は格が違うのが一目瞭然。
*伊勢音頭恋寝刃
この外題で検索をかけるとyoutubeで、仁左衛門、先代雀右衛門、玉三郎、勘三郎出演、1995年6月歌舞伎座の映像をみることができる。時間のある方はどうぞ。
*奴走り
奴という役柄独特の走り方。歌舞伎役者・中村橋吾(はしご)が動画をUPしている。
「熊谷陣屋(くまがいじんや)」
春先らしく、情緒不安定な熊谷次郎直実(くまがい じろう なおざね)、でいいわけがない。なぜこんなに泣くのだ。
藤の方(藤の方/熊谷の主人の妻)とわかってから、半泣きのように話し出す。
熊谷の語りのところでは、感極まったことを示すためなのか、せりふの区切りがおかしい。「年は・いざよう・我が・子・の・年ばえ」の様にブツ切れ。
首実検では相模(さがみ/熊谷の妻)に首を渡す時に泣いている。
義経に生首を突き出す時、口を空いたままで歯が見えるというのはちからが抜けて見える。年をとって歯を食いしばるのが苦しいのかもしれない。
引っ込み(退場)の時の笠はいくらなんでも震いすぎではないか。
顔の色が随分と赤い。その化粧が白い襟にべったりとついていて見苦しい。自宅で平成14年のビデオをみると、今日の程濃い色ではないから、今回赤くしてみたようだ。
猿之助の相模は貫禄十分。我が子の生首抱いての述懐に哀れさは少ないけれど、迫力がある。
先代の雀右衛門が打掛に首をくるんで語っていたのが目に残っていたので、今回、首を懐紙に載せて語るかたちを珍しく思った。
そう言えば、幕開きの百姓たちのせりふがいつもより長く、この場面の背景を何やら語っていた。
お弁当は三越地下、日本橋・江戸前鮨 蛇の市本店のちらし。¥1620とお高くて極少量。味に不満はないけれど、いささかものたりなかった。