3月16日木曜日
新国立劇場 小劇場 19:00
からっぽの白蟻の巣が、刈屋家夫婦の象徴ということなのだろう。中身を失い、外側だけが残っている。それでも死に絶えているわけではなく生き続けている一組の夫婦。
ブラジルに移民をして、広大な農園を経営する元皇族夫妻に平田満と安蘭けい。
安蘭けいは宝塚出身の人だとは知っていたが、こんなに品格のある女優だとは知らなかった。
日本に居てもブラジルに居ても、自分自身に倦んだような捨て鉢な生き方しかできないのに、育ちの良さがにじみ出るこの役にふさわしかった。
平田満は、残念ながら育ちがよさそうに見えず、興奮してせりふを喋り出すと〈作男〉にみえてきてしまう。この役ができそうな中年俳優となると、堤真一かな?中井貴一もいけるかも。
驚いたののは、使用人夫婦の妻・百島啓子役の村川絵梨のせりふが確かな事。
朝ドラの女優さんだ位の認識しかなかったし、〈たとえば野に咲く花のように〉で見た時にも目を引くほどではなかった。
夫への疑いや、不満を直接ぶつけようにも空虚な夫から手ごたえが得られずフラストレーションがたまる。そのエネルギーをぶちまけるときの奔流のように流れ出るせりふが一番のみどころになっていた。
この芝居の主だった四人の登場人物の中でただ一人血が流れている人だとわかる瞬間だった。おもしろかった。
サンバのリズムが盆踊りのお囃子のようにも聞こえる音楽がよかった。音響、長野朋美。
天井までの白い軽やかなカーテンが内と外を区切る。閉塞感の強い設定の中で息が抜ける大道具だった。美術は土岐研一。
谷賢一の演出は初めてみる。家具を左右に滑らせるだけで場面転換をするなど、みどころがあって良かった。
三島の学習院の同級生で、この戯曲のモデルになった多羅間俊彦氏が2015年まで存命だったと後で知って少し驚いた。ブラジル移民がそこまで近しい年代のことだという意識がわたしにまるでなかった。
写真はロビーにあった舞台模型。