2月2日木曜日 16:30
「門出二人桃太郎(かどんでふたりももたろう)」
三代目中村勘太郎と二代目中村長三郎の初舞台。
幕見も売り切れた初日、2.000人余りのお客さんの目的は、
この30分程の一幕ただひとつと思われる。
18代目勘三郎、当代勘九郎・七之助に続く桃太郎での初舞台、30年前を見た身としては初日を見たかった。
完全に〈親戚のおばちゃんモード〉であります。
舞台に桃が出て来ただけで、客席が沸くという前のめりな空気の中、万雷の拍手に迎えられて2人が登場。
しっかりした長男の勘太郎と、まだあどけない次男の長三郎の姿はそのまま30年まえの勘九郎、七之助。
ただでさえ勝手に感慨に浸って興奮しているのに、口上で勘九郎が
「一番ここに居たかったであろう父、勘三郎のように皆から愛される立派な役者に」と言ったものだから涙が抑えられない。私のまわりも皆、ハンカチで目元を押さえながら見ていた。
犬の染五郎、猿の松緑、雉の菊之助、三人とも力の入った身振りだった。それに皆、化粧が上手。
猿の松緑が長三郎を支えて移動させようとしたら、ちょっと手元が狂って倒してしまったのはご愛敬。
30年前と同じ鎧を立派に着こなし、鬼退治。
鬼になっても勘九郎の目が、常に二人の子供を心配そうに追っていたけれど、無事やりおおせて閉幕。よかった、よかった。
「絵本太功記(えほんたいこうき) 尼ヶ崎閑居の場(あまがさきかんきょのば)」
全エネルギーを一幕目で使い果たしたところへ、重厚な芝居がきたものだから、皆さん実によく寝ていらっしゃった。
しかし、それはもったいないぞと断言できるほど良い一幕だった。
まず鴈治郎の武智十次郎(たけち じゅうじろう)。
暖簾を分けて出た瞬間は、いささか肥えすぎといった感じが否めなかったが、竹本愛太夫、寿治郎が〈考と恋との思いの海、隔つ一間に初菊が〉と語った時に、愁いを含んだ表情でスッときまった瞬間、形がとてもきれいで見惚れた。
この後、武智光秀が出る直前、私も睡魔に負けたが、芝翫の出の瞬間を見過ごさなくてよかった。笠の陰から出て来た顔が実に立派。
また〈雨か涙の汐堺〉の*大落し(おおおとし)で軍扇を握って泣きだす顔は古怪で迫力があった。
さらに、*物見(ものみ)で松の枝を片手で上げて立った姿はそのまま錦絵。
皐月(さつき/光秀の母)の秀太郎。
*手負い(ておい)になって出て来てから、自分の脇腹に刺さっている竹槍を引き抜こうとするような、生々しい動きをみせて苦しみ悶える。
こういうリアルなことをして見せ場を作るのは秀太郎らしいし、作り事めいた場面がフト現実にリンクするような空気をつくっておもしろい。
最後には元気一杯、橋之助の佐藤正清(さとうまさきよ)が飛んで出て来て幕となる。
*大落し
演出用語。悲劇的な場面が最高潮に達したときに、悲しみの感情を吐露して大泣きに泣くことを言う。(新版 歌舞伎事典 平凡社2011年)
*物見
この場面では、遠くから眺めて敵情を探っている状態を言う。
じっとみつめる姿に緊張感が漂う。
*手負い
攻撃を受けて傷を負った状態。
歌舞伎で主な役が〈手負い〉になって即死することは、まずない。
むしろ異様に長い時間、傷を負ったまま心情を述べ続けることが多い。
「梅ごよみ」
菊之助の仇吉(あだきち)、きれい。最初の出で舟の舳先に立った姿に客席からためいきが。
勘九郎の米八(よねはち)は胸のあたりに男が出てしまったりしてゴツイ感じだったが、日にちがたてばそれは消えるでしょう。
歌女之丞(かめのじょう)の政次(まさじ)が粋でほどの良い芸者だった。ちょっと着物の褄をとるような仕草は彼が一番うまかった。
この芝居、冒頭の向島三囲堤の大道具がなんとも変な寸法で気持ち悪い。
2004年に勘九郎時代の勘三郎、玉三郎で上演したときも同じ道具だった覚えがある。
茶屋(船宿?)が妙に扁平で、見ていて「ナゼそんな狭い所に座るかな」と思わせる。
出てくる役者を横並び一列にしないで、何か工夫の仕様がありそうに思うけれど。
弁当は三越地下、吉野の鮨。