1月29日 日曜日 国立能楽堂 13:00

「錦戸(にしきど) 宝生流」
(能楽堂H.P.より あらすじ)藤原秀衝亡き後、兄たちが頼朝方へ寝返る中、三男の泉三郎は義経への忠節を貫き、攻め寄る兄・錦戸の手勢を迎え討ちます。忠義に殉じる三郎の気概と妻の健気さを軸に、ドラマチックに展開する稀曲です。

シテ・泉三郎(いずみのさぶろう)を*直面(ひためん)で勤めるのは金井雄資(かないゆうすけ)。せりふがうまくて、ワキ・錦戸太郎の殿田謙吉(とのだけんきち)との問答がよかった。兄弟仲が決裂する会話の緊張感があった。

泉の妻が夫の立場を慮って自害する。自害する時、そそくさと刀を腹に突き立てたように見えて軽かった。ちょっとしたことで緊張感がそがれるものだ。

後半の*斬組(きりくみ)で、泉三郎が一畳台から飛び降りると同時にバク宙をして仰向けに倒れる大技には驚いた。
50歳代にしてからだがキレる。

ところで、役名は〈泉三郎〉〈泉の妻〉とあるので主役の苗字は泉で、脇役の兄の名字が〈錦戸〉だ。それなのに題名が錦戸になっているのは〈錦戸一族〉という意味合いなのかな?

下記サイトに金井雄資による曲の解説があった。
http://shiun-kai.flips.jp/?page=menu2


*直面(ひためん)
面(おもて)を付けないこと、またその役柄。(平凡社『能・狂言事典』より)

*斬組(きりくみ)
直面の武士が斬り合う働事(はたらきごと)。(平凡社『能・狂言事典』より)
能のチャンバラ。斬られた時に〈仏倒/ほとけだおれ〉と言われる直立したまま倒れる技などがあり、かなり激しい場面である。



「胼(あかがり) 和泉流」
素朴な狂言。名古屋の狂言師・松田髙義の太郎冠者が何気に愛らしい。

「綾鼓(あやのつづみ)」
昨年、横浜能楽堂で復曲されたものの再演。
常にはみられぬ演出があった。

前シテ・庭掃の老人、後シテ・老人の怨霊は浅見真州(あさみまさくに)。
綾錦を貼った鼓を打ち、聞こえぬ音を聞こうと耳に手をあてるしぐさをする。見た目にわかりやすかった。

女御(にょうご)は武田宗典(たけだむねのり)。
怨霊となった老人の恨みを受け苦しみ悶えるとき、正先(しょうさき)で両手を上げて虚空を掴む。さらに打ちのめされるとワキ座に座り込み、右ひざに両手を添えて横座りになる。
手に動きを与えると、わずかに男が出る。横座りのかたちでも同じ。歌舞伎の女形と違って女に見えるようにからだを作り込むわけではないので、振りをつけると男の線が出てしまうのだろう。艶消しだった。
謡の声が大変美しかったので、謡うところを増やした方が効果ありそう。

松田弘之(まつだひろゆき)の笛がとてもよかった。
恨みの笛の音はおどろおどろしく響く。
紅蓮大紅蓮の地獄の猛火に焼かれつつ恋の妄執から逃れられない様も笛の音が表して迫力満点。

ドラマチックな能を二曲も続けて見て満腹になった。

正先(しょうさき)
舞台正面、一番客席に近いところ。階(きざはし)のあるあたり。

ワキ座
ワキが座る場所を指す。正面向かって右手前の柱のそば。