1月6日金曜日 15:00
浅草公会堂
写真はロビーに飾ってあった等身大パネル。
記念撮影用で、自分も一緒に写り込むのが正しい使い方だと思う。
 
お年玉〈年始ご挨拶〉
松也。ごく真面目に新年の挨拶。

双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょう くるわにっき) 角力場(すもうば)」
放駒長吉(はなれごま・ちょうきち)役の尾上松也(おのえ・まつや)、意外にしっかりとした関取の雰囲気があった。かつて市川染五郎(いちかわ・そめごろう)が同じ役をしたときには、あまりに線が細すぎて関取には見えなかったのとは違う。
同じ線の細い二枚目路線でも違いがあるのがわかった。

甲高く声を張るとキンキンと響いたせりふ術がすっかり影を潜めて、耳に届く良い声になっていた。地声の良さが生きるようになってよかった。

中村錦之助(なかむら・きんのすけ)の濡髪長五郎(ぬれがみ・ちょうごろう)。恰幅は足りないけれど丁寧な芝居。

*双蝶々
長吉、長五郎と主人公2人の名に〈長〉がつくことを題名にかけている。
1月4日に見た「源平布引滝」と同じく、これも丸本物。元の話しは長く、この〈角力場〉だけが最もよく上演される。


「御存知 鈴ヶ森(ごぞんじ すずがもり)」
中村隼人(なかむら・はやと/錦之助の息子)の白井権八(しらい・ごんぱち)。
大勢で寄って来た雲助(くもすけ)を刀で水平に斬りつけるときの刀さばきが鋭くて、剣の使い手らしい権八が感じられた。柔らかみがないのは致し方なし。

幡随院長兵衛の錦之助がせりふの中で、常は〈高麗屋云々〉というのに加えて〈播磨屋〉とも言っていたように聞こえた。
吉右衛門に教えて貰ったということを入れ込んだのかな?

胴を輪切りにされる雲助がいた。この仕掛けは初めて見た。

常は〈高麗屋云々〉という
幡随院長兵衛は四代目松本幸四郎(1737-1802)の当り役だった。後を継いだ息子五代目幸四郎以降〈親や先輩役者には及ばない〉と言った意味合いの謙遜したせりふを入れ込む。
youtubeの
https://www.youtube.com/watch?v=Hls1MFGKF5U に7分ほどの鈴ヶ森の録音がUPされている。6分のところで「鼻の高けえ、わしの爺さん(五代目松本幸四郎の事)。さてその次に二代続いた目玉の大きな(市川團十郎の事)親方筋の金箔付きの長兵衛」といっているせりふがそれ。
声の主は七代目松本幸四郎(今の幸四郎の祖父)の幡随院長兵衛と、十五代目市村羽左衛門の白井権八だと思われる。


「棒しばり(ぼうしばり)」
松也と坂東巳之助(ばんどう・みのすけ/故・三津五郎の息子)。
もう必死の踊りである。緩急も何もない。若い故に仕方がないけれど、踊りきればそれで良しというものでもないような気がする。

それぞれが別個に必死で、二人でこの踊りを完成させようとしていないような感じだ。

ただ、疾走する爽快感があったので、さっぱりとした気分で劇場を出た。

公会堂に入る前に浅草寺にお詣りしてから、西山でおでんと福々まんじゅう煎茶セット。小腹がすいていたのでおでんをたのんだのだが、これがおいしかった。
帰りには並木藪で鴨南蛮。浅草に来るときの楽しみが果たせて満足。