㋇19日金曜日 11:00
「嫗山姥(こもちやまんば)岩倉大納言兼冬公館の場」
扇雀の父、藤十郎(とうじゅうろう)なら前段の八重桐(やえぎり)の*しゃべりが見どころになるけれど、扇雀ではそこが期待できない、と思ってみていたらその通りだった。
しかし後段の*女武道の動きが激しく、はつらつとしていて、これは予想外の面白さ。
*ぶっかえりで名前からとった桐模様の衣装になったのも見た目が面白かった。
ただ、いつもする石の手水鉢を放り投げるのがカットされていて残念。
赤い火の玉を呑み込むのと同じく、ばかばかしいおおげさな表現が楽しいのに。
立まわりで相手になる巳之助の太田太郎の俊敏な動きもよかった。
ただこうなると、見終わった後どういう筋の芝居だったかさっぱりわからないということになってしまう。
だから、題名にある*岩倉大納言兼冬って誰?となってしまう。
ここしか上演しないのなら、この副題は必要ないと思うが。
*しゃべり
長々としゃべって見せる芸を言う。
元は遊女であった八重桐が、後に夫となった時行との痴話喧嘩の様子などを面白おかしく話して聞かせる。
*女武道
女ながらに武芸に優れ、忠義のためにその腕前を発揮する役。(歌舞伎事典・平凡社2011年より)
色々あって、切腹した夫・時行の切口から火の玉が飛んで八重桐の口に入ったことで子を身ごもると同時に通力(異常なパワー)を得る。
そこへ敵対している太田太郎が沢瀉(おもだか)姫を奪わんと乗り込んでくるので、立廻りとなり、女武道の見せ場が繰り広げられる。
*ぶっかえり
上半身の着物が仕掛けで一瞬にしてほどけ、腰からスカートのように垂れ、衣装が変わることをいう。
衣装がかわることで、役の性格なども変わったということになる。
八重桐の場合は、通力を持った女になったということ。
*岩倉大納言兼冬
今上演されている場面は、近松門左衛門が書いた「嫗山姥」の一部分だけ。元の話しは長くて源頼光と清原高藤の争いが主筋。
讒言によって行方不明となった頼光の許嫁・沢瀉姫の父が岩倉大納言兼冬。
原作の浄瑠璃(岩波・近松全集七巻)では、八重桐の立廻りの直前に、この父親が出て来て「ぬし有(ある)娘をうばゝんとは人畜類の右大将。返答するに及ず あれ おっちらせ」と言う。
「権三と助十(ごんざとすけじゅう)」
岡本綺堂作、大正15年初演の*新歌舞伎。
青空文庫で読めます。http://www.aozora.gr.jp/cards/000082/card1305.html
長屋の店子(たなこ)がゾロゾロと大勢出てくる井戸替えの場面はやはり客席が湧く。
三津五郎の権三を見たのが2011年。たった5年前なのだ。
そんな感傷を吹き飛ばす若手の座組み。
獅童、染五郎、七之助、巳之助、壱太郎(かずたろう)という顔合わせで、江戸の裏長屋の夏の雰囲気が感じられるようになったのだなあ。
この芝居の猿回しは秀調(しゅうちょう)に決まっていると思っていたら、これも代替わりして宗之助(そうのすけ)になっていた。秀調は役人・石子伴作に出世して登場。
左官屋勘太郎も團蔵ではなく亀蔵。亀蔵は登場したときにとぼけた不気味さがあっておもしろかった。
*新歌舞伎
近代以降の歌舞伎演目の内、歌舞伎内部の狂言作者以外の作家の作品をいう。
また明治30年代から昭和戦前期までの作品を指し、第二次大戦後の演目は「新作歌舞伎」と呼ぶのが慣例。(歌舞伎大辞典・柏書房2012年)
お昼は三越地下で。夏バテ気味なのでローストビーフ弁当¥972.ソースに柚胡椒みたいなものが入っていて、おいしかった。
「嫗山姥(こもちやまんば)岩倉大納言兼冬公館の場」
扇雀の父、藤十郎(とうじゅうろう)なら前段の八重桐(やえぎり)の*しゃべりが見どころになるけれど、扇雀ではそこが期待できない、と思ってみていたらその通りだった。
しかし後段の*女武道の動きが激しく、はつらつとしていて、これは予想外の面白さ。
*ぶっかえりで名前からとった桐模様の衣装になったのも見た目が面白かった。
ただ、いつもする石の手水鉢を放り投げるのがカットされていて残念。
赤い火の玉を呑み込むのと同じく、ばかばかしいおおげさな表現が楽しいのに。
立まわりで相手になる巳之助の太田太郎の俊敏な動きもよかった。
ただこうなると、見終わった後どういう筋の芝居だったかさっぱりわからないということになってしまう。
だから、題名にある*岩倉大納言兼冬って誰?となってしまう。
ここしか上演しないのなら、この副題は必要ないと思うが。
*しゃべり
長々としゃべって見せる芸を言う。
元は遊女であった八重桐が、後に夫となった時行との痴話喧嘩の様子などを面白おかしく話して聞かせる。
*女武道
女ながらに武芸に優れ、忠義のためにその腕前を発揮する役。(歌舞伎事典・平凡社2011年より)
色々あって、切腹した夫・時行の切口から火の玉が飛んで八重桐の口に入ったことで子を身ごもると同時に通力(異常なパワー)を得る。
そこへ敵対している太田太郎が沢瀉(おもだか)姫を奪わんと乗り込んでくるので、立廻りとなり、女武道の見せ場が繰り広げられる。
*ぶっかえり
上半身の着物が仕掛けで一瞬にしてほどけ、腰からスカートのように垂れ、衣装が変わることをいう。
衣装がかわることで、役の性格なども変わったということになる。
八重桐の場合は、通力を持った女になったということ。
*岩倉大納言兼冬
今上演されている場面は、近松門左衛門が書いた「嫗山姥」の一部分だけ。元の話しは長くて源頼光と清原高藤の争いが主筋。
讒言によって行方不明となった頼光の許嫁・沢瀉姫の父が岩倉大納言兼冬。
原作の浄瑠璃(岩波・近松全集七巻)では、八重桐の立廻りの直前に、この父親が出て来て「ぬし有(ある)娘をうばゝんとは人畜類の右大将。返答するに及ず あれ おっちらせ」と言う。
「権三と助十(ごんざとすけじゅう)」
岡本綺堂作、大正15年初演の*新歌舞伎。
青空文庫で読めます。http://www.aozora.gr.jp/cards/000082/card1305.html
長屋の店子(たなこ)がゾロゾロと大勢出てくる井戸替えの場面はやはり客席が湧く。
三津五郎の権三を見たのが2011年。たった5年前なのだ。
そんな感傷を吹き飛ばす若手の座組み。
獅童、染五郎、七之助、巳之助、壱太郎(かずたろう)という顔合わせで、江戸の裏長屋の夏の雰囲気が感じられるようになったのだなあ。
この芝居の猿回しは秀調(しゅうちょう)に決まっていると思っていたら、これも代替わりして宗之助(そうのすけ)になっていた。秀調は役人・石子伴作に出世して登場。
左官屋勘太郎も團蔵ではなく亀蔵。亀蔵は登場したときにとぼけた不気味さがあっておもしろかった。
*新歌舞伎
近代以降の歌舞伎演目の内、歌舞伎内部の狂言作者以外の作家の作品をいう。
また明治30年代から昭和戦前期までの作品を指し、第二次大戦後の演目は「新作歌舞伎」と呼ぶのが慣例。(歌舞伎大辞典・柏書房2012年)
お昼は三越地下で。夏バテ気味なのでローストビーフ弁当¥972.ソースに柚胡椒みたいなものが入っていて、おいしかった。