5月9日月曜日 11:00
連休明けのなんだか間の抜けた空気の中で芝居を見る。
4本も芝居が並んでいるのはお客さんのためではなくて、出演者の都合にしかみえなかったな。

「鵺退治 ぬえたいじ」
平家物語にある源頼政の鵺退治が題材。
なんか雑なつくりの一幕だった。

頼政(中村梅玉・ばいぎょく)は何かの件で謹慎中なのに彼女・菖蒲(あやめ)の前(中村魁春・かいしゅん)の所に夜這いに来ていて、鵺退治をすることになる。

屋根の上に現れた鵺-狸のような体形のぬいぐるみ-を、弓を使う必要がない程の至近距離から射る。
鵺はみずから屋根の隙間に仕込んでおいた矢を頭につけて刺されたような形にみせる。あまりにバレバレな段取りで失笑が漏れる。

せりふで鵺の鳴き声は虎ツグミのようだと言っているのに、虎の咆哮の様な音声が流れる。
ぬいぐるみの鵺本人は申し訳程度に「ケーケー」と鳴いて見せていてかわいらしくなっている。

54年ぶりの上演だとあるが、54年に1回で十分かな。

「寺子屋 てらこや」
春藤玄蕃(しゅんどう・げんば)の片市(かたいち・片岡市蔵の略称)と、園生の前(そのおのまえ)の市川右之助(うのすけ)が見ごたえ十分。
園生の前の赤い着物に、紫地の打掛がきれいで古風に見えてよかった。

とにかく松王丸の海老蔵の形が悪い。出て来た瞬間から姿が小さい。
横に居る片市は堂々と座っているから、彼の方が立派に見える。
あの*雪持ち松の豪華な着物の下でも、からだの形が整っていないと貧相にしかみえないものなのだな。

門口(かどぐち)から部屋に入るところでは源蔵(げんぞう・尾上松緑 しょうろく)が緊張して構えているのに海老蔵はブラブラ歩きになっている。
園生の前を呼びに外に出るときも同じく、散歩に行くみたいに見える。

海老蔵の松王丸がする*首実検は團十郎型
珍しいが前にもしたのだろうか?

松緑の源蔵は目が効く。暗く思い悩む気持ちが「いずれを見ても山家(やまが)育ち」という声音に籠っていて第一声からいい源蔵だなと思った。

菊之助の千代は花道で振り返った瞬間、梅幸(ばいこう・菊之助の祖父)の顔だった。
泣くのがうまい。

中村梅枝(ばいし)の戸浪(となみ)はきちんとしていて、それが欠点になって印象薄い。
松王丸夫妻の話しを聞いている時、ぼんやりした顔になるのは若さゆえだろう。


*雪持ち松の豪華な着物
降りしきる雪の中で松の木に雪が積もっている景色が着物の柄になっている。
寺子屋の場面に登場する松王丸はこの柄の着物をきるのがきまり。
カラー写真は↓ココで見ることができる。

http://www.kabuki-bito.jp/special/lixil/29/no3.html
松王丸


*首実検は團十郎型
松王丸は主人菅相丞(かん しょうじょう)の子・菅秀才(かん しゅうさい)を助けるため、我が子を身代わりに差しだし源蔵に殺させる。
殺した子が間違いなく菅秀才であると嘘の証言する為、切首となった我が子と対面する場面が見どころ。
その首をみる見方に役者によって工夫があり、型となっている。
團十郎型は、松王丸が首桶を開けるのを一瞬ためらうと、春藤玄蕃が横から手を出して蓋を開け松王丸の前に差し出す。松王丸は策略を見抜かれたかと思い刀を抜き玄蕃を斬ろうとするが瞬時に誤解だと悟り、その刃を源蔵に向けてごまかす、という芝居をする。


「十六夜清心 いざよいせいしん」
2009年以来だから久しぶりの上演。

菊之助の清心がきれい。
清元で「花を見捨て帰る雁、それは常闇の北の国、これは浄土の西の国」と唄うあたりで、菊之助が背を見せて空を指さす姿が実にいい形だった。

恋塚求女(こいづかもとめ・尾上松也)と揉み合う時の菊之助の滑稽な仕草もうまくて面白かったが、*「だが、待てよ」の一言では凄味が出ない。

白魚舟(しらうおぶね)に乗った左團次の俳諧師白蓮(はくれん)は恰幅があり、幕切のせりふには色気もあった。
船頭の亀三郎を見ていて、前回同じ役を勤めた又五郎がちょっと悪い男ぶりを匂わせていたのを思い出した。
白蓮が実は大寺正兵衛(おおでらしょうべえ)という盗賊であることを知っている船頭という役を垣間見せたのは、かなりうまかったのだな。


*「だが、待てよ」
清心は僧でありながら遊女十六夜と深い仲になり心中に追い込まれる。二人で川に飛び込んだものの清心は泳ぎがうまくて死にきれない。
岸に上がった清心は通りかかった求女の金を奪いとろうとして誤って殺してしまったので、今度は刀で腹を切って死のうとする。
その時、遊山舟の享楽の様を耳にして「だが、待てよ」と気が変わり、図太く生き延びていく決心をする。
そのため、この一言のせりふが重要な聞きどころになる。



「楼門五三桐 さんもんごさんのきり」
吉右衛門、菊五郎二人で、わずか15分の幕なのに見ごたえがある。
ストーリーを気にせず、桜満開の舞台に並ぶ二人を堪能するというだけの一幕。

まずは吉右衛門の石川五右衛門。座っているだけで大きいとはこのこと。
すこし気になったのは、どてらの下の素肌を白く塗らず、白い肌着を着ているのだが、これに皺が寄って見苦しい。

次に菊五郎の真柴久吉(ましばひさよし)。*水盤に映った五右衛門の姿を認めて、*ちょっと決まったそれだけの動きで堪能させる。
こんなところが見れると嬉しくなる。

捕り手に又五郎、錦之助が出て芝居の枠組みが色濃くなってよかった。


*水盤に映った五右衛門の姿
舞台面は、上に五右衛門、下に久吉。
久吉の左にある水盤に二階にいる五右衛門の姿が映るということになっている。
楼門


*ちょっと決まった
気付いてハッとなった瞬間、動きをとめて目線を定め整った姿をみせる一瞬のことをいう。
からだの体幹だけを使ってわずかに動く。
見た目にはたいしたことをするわけではないので、これだけでイイナと思わせるのはたやすいことではない。



それにしても、最初と二番目の演目のどちらかはいらなかったな。
お弁当は木挽町広場のおこわ弁当¥900.たいしておいしくない。