2月10日水曜日 16:30

「ひらかな盛衰記 源太勘當(ひらがな・せいすいき げんだ・かんどう)」

浄瑠璃で初演されて歌舞伎でも上演された作品。初段から五段目までの長い物語の二段目にあたる。題名は書くときは〈ひらかな〉で読むときは〈ひらがな〉と濁る。
名前も〈げんだ〉と濁る。

あらすじ-主役・梶原源太景季(かじわらげんだかげすえ)は宇治川の先陣争いで、父・景時が恩を受けた佐々木高綱にわざと勝を譲り、本心を知らぬ景時から切腹を命ぜられるが、母。延寿は源太を勘当して命を助け、恋人の腰元千鳥共々、館を立ち退かせる。(日本古典文学大辞典参照)

まわりの皆さん、よく寝ていらっしゃいました。わたしも源太が退場したところで寝て、目覚めたら源太は*阿呆払いのため黒の着物に縄帯姿になっていた。

しかし梅玉の源太が先陣争いの模様を語る所、静かな気がみなぎってとてもいい。
葵太夫のTwitterで知った「源太の一つ見得」のところ、扇をすっと掲げる姿をりりしいと思えるなど梅玉ならではだ。
源太が片岡市蔵(かたおかいちぞう)の横須賀軍内(よこすかぐんない)を斬るとき「腕が勝手に動く」といって斬り捨てるせりふが耳に残るおもしろさ。

孝太郎(たかたろう)の腰元千鳥、梶原平次景高の錦之助との三者のやりとりが調子を盛り上げるポイントになるのだろうけれど、それがうまくない。
孝太郎はセコセコとした動きが目に立つし、錦之助は声が大きいだけで兄・源太につっこむせりふとやられてへこむせりふに落差がないしで、梅玉を盛り上げられない。

*阿呆払い  江戸時代、武士に対する刑の一つ。両刀を取り上げ、はだかにして割り竹でたたき、古着に縄の帯をしめさせて追放すること。


「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべ・さとのえいざめ)」
今回これが一番見たかった。

吉右衛門の次郎左衛門(じろざえもん)。
八ツ橋(やつはし)の縁切りに「花魁、そりゃ袖なかろうぜ」と始まるいつもの名セリフ。型に乗ったおもしろがあるのは普通のことだが、今回ここが型があるのに普通にしゃべっているような調子に聞こえ、それなのに悲痛な響きがいや増さって聞こえると言う初めて聞くせりふになっていた。
ことばがうねって切り込んでくるような感じだ。次郎左衛門がこの後、人殺しをするところまで思い詰めていく様が手に取るようにわかる。
次郎左衛門のこんなせりふ、今後聞くことができるとは思えない。別種の名セリフが出来上がっていた。

菊之助の八ツ橋。花道七三での、ふっくらとした笑顔が暖かい。ほっぺたをチョンと突っつきたくなるような感じだ。
*廻し部屋で栄之丞に問い詰められている時、長火鉢にのせた揃えた手先に焦りが見えておもしろかった。
次郎左衛門に切られ悲鳴を上げた後、背を向けて倒れる前にもう一度声を上げるというのは初めて見た。その後、恐ろしい程ゆっくり畳に崩れていく。きれいだった。

*大音寺前浪宅(だいおんじ・ろうたく)の場では、*盆が廻って尾上徳松のおとら婆さんの姿が見えるのが嬉しい。髪油をちょっとつけて縫物をするところを見ているだけで楽しくなってくる。
そこに登場する菊五郎の栄之丞。しかし、もっさりしていて今一つ花魁に食べさせてもらっている良い男という風情ではなく、病気療養中みたいだ。

梅枝の九重(ここのえ)、新悟の七越(ななこし)、米吉の初菊(はつぎく)が並んだ中で、正月浅草公演で磨きをかけた新悟がやはりきれい。元々顔立ちの良い他の二人に遜色ないというのがすごい。

下男治六(じろく)の又五郎、遣り手の歌女之丞(かめのじょう)、釣鐘権八の彌十郎、立花屋長兵衛の歌六(かろく)、女房おきつの魁春(かいしゅん)、どれも適役で芝居がしまる。

チラシの配役には載っていないが、京蔵の立花屋の女中は、座布団を整えるだけでも、いかにも色町で気働きがよさそうな行き届いた仕草だったし、中村吉兵衛の若い者もきびきびとしたせりふと軽い動きがよかった。

*廻し部屋  遊郭で、回しの客を入れる部屋。 まわしとは、一人の遊女が、二人以上の客をかけもちにすること。

*大音寺前浪宅 大音寺は今でも台東区にある寺。吉原のすぐ近く。浪宅は浪人の住まい。


「小ふじ此兵衛 浜松風恋歌(こふじ・このべえ はままつかぜこいのよみびと)」
時蔵と松緑の地味な一幕でほとんど印象が…。
前半が夜の浜辺の前で竹本による踊り。幕が切って落とされると長唄に変わる。これでグッと調子があがるかと思ったけれど変化が感じられなくて残念。

この前に帰ってしまうお客さんが結構いたけれど、まあ仕方ないかな。


三階の売店が¥800の「紅白福うどん」という立ち食いうどん屋に変わっていた。隣のたい焼きは機械が壊れてこの日だけ販売中止。うどんは今度食べてみよう。