1月19日火曜日 14:00
渋谷シアターコクーン

終幕に向かって、しみじみと泣ける芝居だった。
特定の場面が悲しいというのではなく、物語が進んで行くに連れ泣けてきた。

舞台は播州とあるから、今の広島県のとある港町。貧しさと悲しさ漂う内容から東北の寒村を思い浮かべたが違っていた。
旅から旅の瞽女の一行が、長年の贔屓筋、大店の筑前屋に招かれ、宴の余興として〈葛の葉子別れ〉を語る。
狐が、人間の男との間に生まれたわが子を置いて去って行く物語が、この芝居の芯になる。

筑前屋の長男・信助(段田安則)は、筑前屋の主人・平兵衛(猿弥)と瞽女の糸栄(猿之助)との間に生まれた子。その子を筑前屋が引き取り、主人の妻・お浜(新橋耐子)が育てた。

猿之助の糸栄(いとえ)は、やはり見事。目が見えないため大きな仕草はどこにもない。
最後に、薬で目をつぶされた我が子・信助と共に歩みだそうと言う時、猿之助一人のからだに、一言では言えない思いが膨らむように見えた。
我が子と名乗り合えたこと、共に生きていくとこになったことが単純に喜びとはならない糸栄の、旅立っていく姿がただただ悲しい。
終幕にむかって、こんなにしみじみとしていく芝居は久しぶりだ。

信助の出自は糸榮とお浜にとっては、重い秘密だが、主人の平兵衛はさほどの事と思っていない節がある。
妻に対して申し訳ないと言った気持ちを見せない分、この秘密が糸栄えとお浜、女の側の物語として際立ったいう効果があったように思う。
猿弥は、平兵衛が馬鹿に見えず、ある時代の価値観としてすんなり通る芝居をしていて印象が強かった。財力を持った傲慢な男の目がよかった。

新橋耐子のお浜は実子の次男・万次郎(高橋一生)を溺愛し、信助にはよそよそしく対応するのだが、最後に信助の手をとって糸栄の手を握らせる姿がよかった。
二人の手を重ねて、すっと身を引いて上手に去っていく伏せた顔。夫の女だの、その子だのというところを抜けて、これから旅立つ人たちに心を寄せているいるような姿だった。

宮沢りえの初音と信助の恋物語はなかなかエロチックだった。宿としている阿弥陀堂で逢引をして口づけをくりかえすところが激しかった。

鈴木杏と高橋一生は身体表現が時代劇になじみきれないところがあって、今一つ。
杏ちゃんは、身分違いの恋をあきらめ職人との結婚を決意するせりふがサバサバしていて「ま、この選択もありかな!」といった感じに聞こえるし、一生はグレているのかふざけているのか、役の輪郭線がはっきりしない。

終幕で猿之助のからだに物語が収斂されていったのはやはりすごいことだと思ったのには、段田安則が安っぽさを見せたことにもある。
彼が一人で立って暗転するところで、どうにもその姿が軽くて温泉ショーの一場面みたいな印象を受けたのだ。猿之助が持っているからだの使い方の技術が大変な物なのだなと思う。

カーテンコールでも、他の役者が「終わった~」と晴れやかな表情を浮かべる中、猿之助はからだの芯をつかって、客席の気を集める。自主公演でも見たけれど、改めてすごいものだ。