11月11日木曜日 16:30
「江戸花成田面影 えどのはな・なりたのおもかげ」
堀越勸玄(ほりこし・かんげん)*初お目見え。
無事終わった今となっては、二歳の子供一人のために一幕という結構リスクの高いことをよくやったなあと感心。
子供は確実に少なくなっているし、ましてや親の職業を継ぐことを期待されている男の子というのも絶滅危惧種だろうから、お客さんは舞台の上に勝手な幻想を抱ける疑似一族を見ているのだろうなあ。勸玄君一人に大変な拍手だった。
彼が出てくる前に、中村梅玉(なかむら・ばいぎょく)、市川染五郎(いちかわ・そめごろう)、尾上松緑(おのえ・しょうろく)が躍るのだが、これが軽くてきれい。
どこにも力みがない踊りと言うのも、ありそうでない。
*初お目見え 役者の子が芸名や役が付く前に舞台に立つこと。順調にいけば、この後初舞台となる。初舞台前に何度舞台に立っても「お目見え」である。
「元禄忠臣蔵 仙谷屋敷 げんろくちゅうしんぐら/せんごくやしき」
片岡仁左衛門(かたおか・にざえもん)、梅玉のせりふのよさ。それは期待通りだけれども、今月の演目並び順だと、デザートのあとにメインディッシュが来たような感じ。
梅玉の仙石伯耆守(せんごく・ほうきのかみ)の前で、訥々と語る仁左衛門の大石内蔵助。二人の顔の素敵なこと。この顔を眺めているだけで大満足の一幕だった。
「勧進帳 かんじんちょう」
松本幸四郎(まつもと・こうしろう)の弁慶。毎度、勢いよくすっきりというのが無くて好きになれないのだが、今回は老けて見える弁慶で残念。
立っている背中が、おじいさんが痛い腰をよっこらしょと伸ばした時の様にみえる。妙に反り気味なのだ。
*義経を打つ前に頭を下げる彼独自の演出も、より懇切丁寧になっているばかり。
尾上松緑(おのえ・しょうろく)の義経。顔が豆狸みたいになってしまうので第一印象は悪かったが、たたずまいは静かでよかった。
けれどもう一度する役柄ではないな。弁慶で見たい人だ。
*義経を打つ前に頭を下げる 義経は強力(荷物運び)に化けて、関守・富樫の目をごまかし関所を突破しようとした瞬間に呼び止められた。見破られまいと、弁慶が「この粗忽者」と杖で打つ。
幸四郎はこの直前、義経役に申し訳ございませんとばかりに頭を下げる。妙な演技で彼しかしない。
「天衣紛上野初花 河内山 くもにまごう・うえののはつはな/こうちやま」
中村吉右衛門(なかむら・きちえもん)に習ったと言う7月歌舞伎座の熊谷直実(くまがい・なおざね)がひどかったので、今回、仁左衛門に習ったと言ってもどうなることやらと思っていたが、意外やきちんとしていてよかった。
海老蔵は*義太夫物がまるでだめだということで、演技だけならなんとかなるということね。
海老蔵はふてぶてしくて恰好良いという河内山らしい外見がある。
行い澄ましたふりをしつつ、扇子の先で袱紗をめくり金額を確かめようとするところなど、伏せた目の穏やかさと、時計の音にギョッとして目を上げる落差が大きくて、おもわず声を出して笑ってしまった。
*義太夫物 歌舞伎の演目で、人形浄瑠璃(文楽)の戯曲を移入したもの。歌舞伎役者も義太夫の稽古を積んでいないと、義太夫独特の三味線に乗ったリズムでせりふを言ったり、所作をこなしたりすることができない。
弁当は三越地下。和歌山県有田市の「可吉/こうき」屋の〈紀州めはり〉。菜で包んだおにぎり2個。あっさりしていて物足りなかった。
「江戸花成田面影 えどのはな・なりたのおもかげ」
堀越勸玄(ほりこし・かんげん)*初お目見え。
無事終わった今となっては、二歳の子供一人のために一幕という結構リスクの高いことをよくやったなあと感心。
子供は確実に少なくなっているし、ましてや親の職業を継ぐことを期待されている男の子というのも絶滅危惧種だろうから、お客さんは舞台の上に勝手な幻想を抱ける疑似一族を見ているのだろうなあ。勸玄君一人に大変な拍手だった。
彼が出てくる前に、中村梅玉(なかむら・ばいぎょく)、市川染五郎(いちかわ・そめごろう)、尾上松緑(おのえ・しょうろく)が躍るのだが、これが軽くてきれい。
どこにも力みがない踊りと言うのも、ありそうでない。
*初お目見え 役者の子が芸名や役が付く前に舞台に立つこと。順調にいけば、この後初舞台となる。初舞台前に何度舞台に立っても「お目見え」である。
「元禄忠臣蔵 仙谷屋敷 げんろくちゅうしんぐら/せんごくやしき」
片岡仁左衛門(かたおか・にざえもん)、梅玉のせりふのよさ。それは期待通りだけれども、今月の演目並び順だと、デザートのあとにメインディッシュが来たような感じ。
梅玉の仙石伯耆守(せんごく・ほうきのかみ)の前で、訥々と語る仁左衛門の大石内蔵助。二人の顔の素敵なこと。この顔を眺めているだけで大満足の一幕だった。
「勧進帳 かんじんちょう」
松本幸四郎(まつもと・こうしろう)の弁慶。毎度、勢いよくすっきりというのが無くて好きになれないのだが、今回は老けて見える弁慶で残念。
立っている背中が、おじいさんが痛い腰をよっこらしょと伸ばした時の様にみえる。妙に反り気味なのだ。
*義経を打つ前に頭を下げる彼独自の演出も、より懇切丁寧になっているばかり。
尾上松緑(おのえ・しょうろく)の義経。顔が豆狸みたいになってしまうので第一印象は悪かったが、たたずまいは静かでよかった。
けれどもう一度する役柄ではないな。弁慶で見たい人だ。
*義経を打つ前に頭を下げる 義経は強力(荷物運び)に化けて、関守・富樫の目をごまかし関所を突破しようとした瞬間に呼び止められた。見破られまいと、弁慶が「この粗忽者」と杖で打つ。
幸四郎はこの直前、義経役に申し訳ございませんとばかりに頭を下げる。妙な演技で彼しかしない。
「天衣紛上野初花 河内山 くもにまごう・うえののはつはな/こうちやま」
中村吉右衛門(なかむら・きちえもん)に習ったと言う7月歌舞伎座の熊谷直実(くまがい・なおざね)がひどかったので、今回、仁左衛門に習ったと言ってもどうなることやらと思っていたが、意外やきちんとしていてよかった。
海老蔵は*義太夫物がまるでだめだということで、演技だけならなんとかなるということね。
海老蔵はふてぶてしくて恰好良いという河内山らしい外見がある。
行い澄ましたふりをしつつ、扇子の先で袱紗をめくり金額を確かめようとするところなど、伏せた目の穏やかさと、時計の音にギョッとして目を上げる落差が大きくて、おもわず声を出して笑ってしまった。
*義太夫物 歌舞伎の演目で、人形浄瑠璃(文楽)の戯曲を移入したもの。歌舞伎役者も義太夫の稽古を積んでいないと、義太夫独特の三味線に乗ったリズムでせりふを言ったり、所作をこなしたりすることができない。
弁当は三越地下。和歌山県有田市の「可吉/こうき」屋の〈紀州めはり〉。菜で包んだおにぎり2個。あっさりしていて物足りなかった。