一人で居ることを疎む時期も絶対あるし、一昨日も急に一人きりなことを酷く悩んでいたけど、別に悪いことじゃないよなあとしみじみと思う。

一人で居ることを惨めだと決めているその価値観は割と作られたもので、自分が作り上げたものでもないと気付いたら、楽になった。

視点が変わってきたことが大きいと思う。視野ともいう。

姉以外に特に関わり合いを持たない日常の中で、そうして私の視野や視点を変えてくれたのは、本だ。
確実に、読書や本に、私は救われてる。

そりゃ多くの人々と交流を持てる人、持っている人は、素晴らしいと思う。その人脈もコミュニケーション力も、その人の財産になるだろう。
だが、それと私個人とは、全くの別問題だ。
私自身がそうならなきゃいけない理由はさして存在しない。

その人はその人で素晴らしく生きればいい。私は私で、別に素晴らしく生きればいい。
私とあの人は全くの別人なのだ、ということに最近やっと気付けた。
みんな意外とその事実を自覚してない気がする。

負け犬の遠吠えと思われる気もするけど、そういうんじゃないのよーと今なら思える。
また数日後には悩んでそうだけど(笑)





今読んでる「才能に目覚めよう」と「打たれ強くなるための読書」ってのはかなーり面白い。どっちもまだ途中だけど、前者は個人の尊重を重視していて、わくわくしてきてやる気出るし、後者は大人な視点を築くためにいいかも。


それにしても、さくらももこのエッセイでイギリスの料理が酷評されてて笑ったwwww
さすが歪みねえっす!


はあ~美味しいもの食べたーい

なんていうか、お洒落って楽しむものでもあり、嗜むものでもあり、でもマナーでもあったりするよね。

最低限、悪目立ちしない程度の化粧や服装ってだいじだと思うの。
強制とかじゃなく、1個人が勝手に思っているだけのこととして読んで欲しいわけだけど。

行き過ぎた無頓着は、ちょっとした不快感を、周りにもたらしたりすることがあると思うわけです。

例えば、ノーメイクどすっぴんの全身スウェット状態で授業に出るとか。

大学ならまだいいよ、でも、社会に出たらこれってちょっと首傾げてしまうレベルに捉えらるよね。正直。

他にも、手入れ一つせず、ボサボサ伸ばし放題の長い髪の毛ひっさげて(しかも束ねない)、満員電車に乗る。もしくは満員の教室にいる。
これはもう公共のマナー的にアウトいくかもだよ。いや、ギリギリアウトだよ。目に入るんだよ。静電気すごいんだよ…。

他にも、ちょっと個人の主観入りすぎるきらいのある意見だけど、

とあるクラスの男子の、
「(超もさい女子?を指して)女捨ててるよな。」
とかいう意見。

同意とかお前言い過ぎだろとかは置いといて。
どう思うかは個人の主観すぎて判断も基準も分からないけど、これっていわゆる悪目立ちだよね。

個性なんです!って主張があるならそれもまたいいと思う。だがきっと、彼女は目立ちたくなくて地味な格好を選んでいる気がするのよ。勝手な憶測だけども。

でもそれが裏目に出て、余計に、しかも悪い方向に目立ってしまっている。

それはきっと本意ではないと思うんだ。

ていうか私自身の思いも多大に含んだ意見なんだけどさ。

目立ちたくないなら、ないなりに周囲から浮かない格好を研究して実践しなきゃいかんのよきっと…。

そこら辺が、最低限の嗜みとマナーに繋がってきもする気がする。


難しいことだけどね…。

そんなことを考えたのです。


だから私も、もうちょっと女を磨かなきゃと悩んでます。人のこと言えないもの。

アトピーなりに化粧とかできないか考えて色々見てはいるんだけどなあ。

目もとだけでも、と、オーガニックなマスカラやアイライナーを買ってみるも、眼鏡をかけると一気に目もと隠れてしまってTHE意味がない!

ファンデーションは完璧痒くなるから考えない方向で。

そうなるともう、素材をなんとかよくする以外に考えられない…。
痩せるとかね。痩せるとか。あと痩せるとか。

あとは眼鏡をやめるとかね…。
髪の毛もただ伸ばすのではなく、色々手入れしないと…。なかなか合うリンスがないのです(><)


コンタクトにしたいなあ~。

感情は言語化したほうがいいとあったので、どうせ誰にも見られていないブログにでも書き殴ってやる所存であります。


まずは、最近の悩み。

一応体中発疹も傷口もなかったはずが、今は全身痛みだらけです。皮膚が引きつって体動かすのが辛い。

あんまり掻きすぎた部位は赤黒く変色してしまっている。皺だらけ。見てるだけでエグイ。


原因はよくわからない。腕にも指にも発疹が止まらない。もしかしたら、洗剤を変えたせいかもしれない。

明日から洗濯する洗剤を元に戻そう。(でもあれいい匂いしないんだよなあ)


あとは頭皮からの浸出液。黄色い体液。相変わらずちまちま出てきては固まりやがる。

髪染めたことによるのか。


ここまで書いて、なんでもやもやするのか分かった。

私はつくづく、人並みのものが利用できないことが悔しい。

いいにおいのする柔軟材も使えない。だから服はがびがびしている。いい匂いもしない。むしろ部屋干しくさい気がする。←

髪を染めること一つだって、どれだけの不安を抱えながらやるかっていうね。

一般の女子が楽しむものを経験したことがない。

化粧とかピアスとか肌の露出とか染髪とか。


本当は肉もお菓子も甘いものもコーヒーも一切摂取してはいけないし。(たべてるけど)(そのせいで悪化してるけど)


なんでみんなが普通にできることをできないのか。

みんなが楽しくやってることを私がやると、皮膚の悪化に繋がる。

それが悔しい。いつになっても乗り越えられない。

こんな、僻んだ思考、いつになったら乗り越えられるんだろう?


これが私の体質と人生なのだから、と割り切ることが、本来ならいちばんなのだろう。

それが大人の思考ってもんだ。

でも、私なんかより全然苦労とかしてなさそうな馬鹿なやつらのけばけばしい姿見ていると、嫉妬や僻みで、どうにかなってしまいそうだ。

おまえらがアトピーになればよかったんだよ。畜生。

黄色い汁を傷口から駄々漏れさせとれDQN共が。そして皮膚を赤黒く変色させて、化粧もできない肌になってしまえ。


というのが、私の隠された本音だ。

なんて浅はかで汚い根性だ、と思われるかもしれない。

でも、世の中の人々はもっと自分の恵まれている環境に気付くべきだ。勿論私自身もな。

平気でなんでもかんでも敵というターゲット作り上げてあれこれ愚痴の肴にしたてあげて。

ばかばかしい。自分含めてばかばかしい。



こんなこと考える自分は駄目な子だとか、前は考えてたけど。

無理無理。いい子するのは疲れたわ。

こんな風に中二病を脱せられない私は駄目な奴だとか、さ、反省もしたけど。

結局、周りの馬鹿なやつらが妬ましくてたまらないのは、もうどうしようもないことに気が付いた。

こんな感情や妬み嫉み僻みはだめ、て、目を反らすだけじゃあ解決にはならないのね。

もっと自分の感情を見詰めてあげなければだめなのだ、きっと。


だからもっと素直に、おもいくそ妬んでやろうと思います。

そしていつの日かそれを乗り越える人格になれるよう頑張ろう。


素直に妬ましい、って言えたら、人並みに出来ない色々なことに対するわだかまり、もやもやも晴れるかもしれない。誰かを羨むことにも、いつか決着がつけられるかもしれない。

自分は自分って割り切れる日がくるかも。













関係ないけど、カルノみたいな人間になりたい。

なるしまさんの描く人間はみんな素晴らしく人間味あふれる人々ばかりだけど、中でもカルノは本当に素敵。かっこいい。あんな人間になりたい。


「誰の赦しもいらない。神様の赦しもいらない。ただ俺は、俺の赦しがなければ、生きていかれない。」


とかなんとかって台詞が忘れられない。


私は逆に、誰かの赦しがなければ生きていく価値さえ失われるのではないかとびくびくしているクチだけど、

それはよくよく考えると、「誰か」の価値観に、自分の価値を委ねているということだ。

自分の価値観、価値基準、自分の中の規範がない。土台がない。だからぐらついてる。自分がない。だから他者の視線や意見や価値観が気になって仕方がない。それらに踊らされている。びくびくおどおどしている。


その点、カルノはどこまでも自分の基準や価値観を持っている。だから私は、彼の行動、言動に憧れる。自信ありげな彼のすべてに憧れる。

つまり、カルノには自分のなかにしっかりとした価値観、規範が根付き、確固たる自信というものが出来上がっているのだ。


では自信とはどうやって根付くものなのか。自身の中にしっかりと根を張るものなのか。

それが分からないんすよねー。色々本とか読んでるけどさあ。


まず、大体の本で語られるのが、自分を認めてあげるということ。

ここがだめだった。じゃなく、なにができた、という点に、小さなことから目を向けてあげること。それらが、確固たる自分自身を作り上げていくそうな。


まあ、簡単にいうけどね。難しいっすよね。

20年間、自分はなんてだめなの、っていう感じで育ってきた人にいきなり「おまえは大丈夫だ。自信を持て。」とか。むりだろう。なにがだいじょぶなんだっつの。


ここらへんはもっと本を読んで研究あるのみなんかなあ。

答えをしっている人にきいたところで、自分が実践しなきゃあ何も知らないのと一緒だし。


偉大なる哲学者たちは実践の人々だった。と、この前本で読んだ。

実践したいのは山々だけど、このアトピーがまーた邪魔しやがる(^^#)ksが!!





津田雅美先生の「ちょっと江戸まで」より。


「みんな自分に課せられた宿題を解いているようなもの。わしがこのように生まれたのはわしの「宿題」。おぬしがそう生まれたのはおぬしの「宿題」。

不幸自慢はやめて、自分の「宿題」と向き合え。」


なんて痛いところをつく言葉だ!

つまり今の私の思考って「あいつの宿題、おれのより少なくね?ずるくね?」ってことだね!!

でも、そう思うこと事態は別に×だとかそういうことではなくて、そういうプロセスを経てどこに最終的にたどり着くかってことですよね。問題は。

現段階はプロセスの前半みたいなもんなんだから、「ずるくね?もう宿題やるのマジたりーんですけど!!」とか考えておk?ってことだよね!そういうことにしとく!!


とりあえず私の宿題を解こうじゃないか。

無添加の洗剤買いにいこう。