みなさん こんばんは。

 

18日佐世保後期セミナー終了後

Mちゃん先生に陽だまりCafeさんに連れて行っていただきました。

おいしい香りと共にす~っとした、まったりな時間をいただき、ほぼ毎日のようにMちゃん先生が通っているわけがわかるそんな時間をいただく事ができました…(感謝!)

 

波佐見のカップとソーサー 自分で挽いた粉 美味しくいただきました

 

ゆったりな時間をいただいたあと、山口県周南市に移動(約4時間の道のり)

ホテルの温泉でものんびりほっこりとさせていただいてから就寝。

 

19日朝は、周南から広島に入り、かねてから行きたかった平和公園へ

たくさんの、ほんとにたくさんの外国の方々がおみえになってみえる中、

妻と一緒にその地を歩かせていただきました。

 

 

そこにある時間

そこにあるいのち

そこにある魂

そこにある想い

そこにある悲しみも恐怖も

やるせない氣持ちも感じさせていただきました。

 

その全部を未来に残す大切さ

そして今こうしていただいている時間を生き、次の方たちに間違いなく伝えること。

 

争いは「個々の愛」があるゆえに起こる

争いは「愛するものを守る為」の結果だというお話を聞いたことがあります。

 

その方がおっしゃる通り。その通りかもしれません。

ただ「愛」があるから、という理由であれば永遠に「あらそい」は無くなりません。

そこにとどまっているのであれば永久に「いのちの奪い合い」は無くなりません。

その「個々の愛」を超越した「おおいなる愛」

森羅万象、あらゆるものの中にある愛が本当の「愛」なんじゃないのかと思います。

 

その地を歩かせていただいて感じたことは

「何をやっているんだ!」

という事。

何のための科学か。

何のための学問か。

「何をやっているんだ!」魂に響く力強い叫びの声を感じました。

 

先人の方々がそれこそ文字通り命と引き換えに守って下さった私たちの「今」

 

この「今」はあたりまえにあるものではなく、

おおきな大きな想いと、たくさんのいのちの礎が根底にあります。

 

その「今」私たちは何をすればいいのか。

 

全ての人がしあわせに生き、

そのしあわせを味わい楽しみながら生き美しく死を迎える。

 

その連続する「今」に「何を」するか。美しいかそうでないか。

私だけの「今」ではない「今」出来ること。美しいかそうでないか。

それをしっかりとやっていくこと。

 

 

妻とふたり、その地を歩く「今」をいただいて、そう感じました。