「大乗的見地」と戦争と仏教学の危うさ(『シリーズ大乗仏教』末木先生の章) | 釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~

「大乗的見地」と戦争と仏教学の危うさ(『シリーズ大乗仏教』末木先生の章)

あーもう雑事ばかりで本を読む暇もありゃしない。
久々にメモです。

『シリーズ大乗仏教10 大乗仏教のアジア』(春秋社)の第10章、
末木先生の
「大乗非仏説論から大乗仏教成立論へ―近代日本の大乗仏教言説」は、
仏教学ファンとしてなかなかに落ち込む内容だった。
ぜひ読んでみてほしい。

・日本の仏教学は、いろんな理屈を駆使して
大乗仏教を擁護しようとしてきた

・仏教学は時代のムードの影響を否応なく受けてきた

・戦時中、「大乗」という言葉が、日本の軍事行動を正当化する文脈で、
偉い仏教者自身によって使われた
(その仏教者個人によるのか、
日本の大乗仏教そのものが危険性を孕んでいるのか、
という末木先生の指摘が沁みる)

・今でもよく言われること、たとえば
「初期仏教はお釈迦さまが説いたけど大乗は仏説じゃない」とか、
「いや、お釈迦さまの弟子が教えを矮小化したので、
仏の教えをより深く説いたのが大乗だ」とか、
その手の話は50年も100年も前から言われている(退屈な話・・・)



以下はただメモしただけ
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「」は末木先生の文、<>は同書内の文献の引用

・大乗仏教非仏説論が大きなスキャンダルとなった

村上専精(1851-1929、仏教学者、真宗大谷派僧侶)
『仏教統一論』『大乗仏説論批判』

<余は大乗非仏説と断定するも開発的仏教と信ずる者なり>
(『仏教統一論』)

「大乗は釈迦仏が直接説いたものではないが、
仏の深い悟りの世界を明らかにしたものと解する」ことで
「大乗の優越を見出す」。
「この村上の理解は、現代の仏教学でもほぼ踏襲されている」。

ところが、これは当時の仏教界の反発を招いて、
村上は僧籍を離脱せねばならない事態に陥った。


・大乗と戦争

宮本正尊
(1893-1983、仏教学者、東京帝大などの教授。
日本印度学仏教学会を創設し30年以上理事長だった)

戦争中に大著『大乗と小乗』(1944)を刊行
「大乗的見地」といった言葉が使われる時局に触れている。

その時局とは・・・
1930年に斎藤隆夫衆議院議員が議会で質問した有名な反軍演説で
議事録から削除された部分

<此ノ度ノ戦争ニ当ツテハ、政府ハ飽クマデモ所謂小乗的見地ヲ離レテ
大乗的ノ見地ニ立ツテ、大所高所ヨリ此ノ東亜ノ形勢ヲ達観シテ居ル~>

大川周明も「大乗亜細亜」でなければならない、と主張。

大乗とか大乗的というのは、日本の軍事行動が「東洋や世界の平和を
目指す高い理想に立っているという口実に使われている」。

宮本の大乗観は、
・<出家在家・僧俗・凡聖斉しく廻入する>
<衆愚を選ばぬ大衆の仏教>
(チベットの大乗はそんなことないのだが。浄土真宗的)

・釈迦の教えを弟子たちが矮小化し、それに対する仏陀復帰運動が大乗である

※「このような護教論的仏教研究は日本では必然性があったが、
それ以外の地域ではほとんど展開されなかった。
宮本を継承しつつ発展させた平川彰の大乗在家起源説も
長い間海外ではほとんど取り上げられなかった」

その後、宮本は時局に深くコミットした発言をするように。

『不動心と仏教』(1941初版、1942年改訂版)

大東亜戦争開戦に<感激の外はない>。
<大乗とは、現実の結びの力、和合の大道である>
<大東亜指導精神に日本の大乗的立場が見られる>

アジアをひとつにして理想的世界を建設すべく、
滅私奉公するのが「大乗」だという。

「涅槃経に説かれた護法のための戦争や殺人の肯定は
『大乗的見地』からする戦争やテロを支持する根拠となった」

それが、戦後になると…

<解脱は相対有限なる人間の自由、涅槃は無為絶対の原理であって、
それは平和である>
自由と平和、という戦後の新しい理念に置き換えられている。



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