大乗はインチキだと思う人にお勧め『仏と浄土』(シリーズ大乗仏教5)
今月出たばかりの『シリーズ大乗仏教5 仏と浄土』(春秋社)を読んでいる。
まだ1章(下田正弘先生)と、2章(新田智通先生)の途中までだけど、
めちゃくちゃ面白ーい! 春秋社さんありがとう!
「人間・ブッダを、弟子たちがだんだん神格化して、
挙句に大乗仏教の人がいろいろデッチあげた」という仏教史観を
持っている人には一読をお勧めしたい。
ていうか、これはつい最近までの私だ。
このブログもそういうことがいっぱい書いてある。
こういう近代的仏教観に、下田先生は常々激怒しておられるが、
この本の1章にもそれがほとばしっている。
2章は、直接的に「人間・ブッダの神格化」説に疑問を呈している。
まず最初にあげられているのが、中村元先生への疑問!
仏教ファンなら必ず読むであろう、中村元先生訳の
『ブッダの言葉(スッタニパータ)』(岩波文庫)をはじめ、
中村元先生の解説には「これは後代にブッダを神格化したものである」
といったフレーズがよく出て来る。
でも、そこに根拠はない、というのです。
たとえば、お釈迦さまが「ゴータマ」「きみよ」「聖者」などと
呼ばれているのが古層で、「超神」「神々の神」などと呼ばれるのが新層、
と中村先生は言っているけど、古い・新しいの文献学的根拠はない、と。
現在でも、初期仏典から「神話的なところを取り除いて、
人間・ブッダを復元しよう」と苦心している研究者はたくさんいるそうです。
でも、結局は、研究者が恣意的に、
現実っぽいところは「人間・ブッダ」で、
スーパーマンぽいところは「神格化」とみなしているに過ぎない、と。
「純粋に『人間仏陀』の伝記は、現在としては再現不可能である。
仏陀の事績はすべて神話的に色づけられているからである」という
平川彰先生の言葉が引用されていた。
たしかに、初期仏典だって普通に読めば、神話的なところだらけだ。
私も、「ここは作り話だな」と勝手に仕分けしてしまう癖がある。
多くの仏教ファンは、まず岩波文庫の中村元訳と註を読むだろうから、
最初に”神話化説”が刷り込まれるのかもしれない。
なんかね、仏教学者の本を読んでると、中村元という名前がちっとも
出てこないんですよ。(よく出てくるのは平川彰先生)
中村先生は偉大な業績をリスペクトされながらも、今の仏教学から見たら
微妙なんだろうな、と薄々感じていたら、そのとおりでした。
私は今でも、初期仏教徒というか阿含経典にしか感動できないけれども、
だからこそ、仏教全体の中でお釈迦さまのことをちゃんとわかりたい。
下田先生や新田先生が言ってるのは、
「先入観を抜きにして、ちゃんと仏典読め」ってことだと思う。

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