「般若心経」はこうやって漢訳された、という記録 | 釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~

「般若心経」はこうやって漢訳された、という記録


漢訳仏典はどうやって漢訳されたのか?


『新アジア仏教史06 中国Ⅰ南北朝 仏教の東伝と受容』の
5章「仏典漢訳史要略」(船山徹先生)のメモのつづき。

『仏祖統紀』43巻に、インド人僧の天息災によって行われた訳場儀式の様子が説明されている(982年、訳経院)。しかも、あの「般若心経」の有名な一節「照見五蘊皆空 度一切苦厄」に即して説明されているそうだ。



それによると、翻訳は9つの係が分業して行われた。



1 「訳主」が僧たちに向って梵文(サンスクリット語)を高らかに朗読する

2 「証義」は訳主の左に坐り、訳主と共に梵文(の意味内容)を討議する

3 「証文」は訳主の右に坐り、訳主の朗読を聞いて誤りを点検する

4 「書字梵学僧」は梵文を聞いて、それを漢字で音写する

5 「筆受」は(音写された)梵語を中国語に改める

6 「綴文」は文字の順序を入れかえて文章化し、意味が通るようにする

7 「参訳」はインドと中国の文字を比較検討して間違いないようにする

8 「刊定」は冗長なところを削除し、語句の意味を確定する

9 「潤文官」は僧たちの南側に席を設け、(訳語の表現が適切かどうかについて)調べてて(適宜)潤色する。



たとえば「般若心経」の「度一切苦厄」は、もともとサンスクリット語の経にはなかったのが、(漢語表現としてすわりがよくない、などの判断で)「潤文官」によって付け加えられた・・・らしい。



もちろん時代や人によって訳の現場は違うでしょうが、

これだけの人が分業している以上、ひとりファンキーな人が混じっていたら、おかしな漢訳になることだってあったでしょうね。



しかも982年の段階で「般若心経」をイチから訳してるの?と一瞬思うわけだが、当時は誰かの訳が本屋に出回るわけでもHPに掲載されるわけでもないから、それぞれが自力で訳すわけですよね。なかにはトンデモ訳もあったかもしれない。

あるいは、もうだいたい訳は知ってるけど、儀式としてイチから訳すとか?



残っている訳も数種類あるそうだ。

いま日本人が後生大事に写経している「般若心経」は玄奘訳(だっけ?)らしいが、それも真偽不明だという説があるとかないとか・・・・。



しかし、そのおごそかな訳経儀式の現場を見てみたかったものです。



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